78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎真藤順丈の『地図男』を読んでみた

2013-01-13 02:55:15 | 小説30冊読破への道
仕事中の〈俺〉は、ある日、大判の関東地域地図帖を小脇に抱えた奇妙な漂浪者に遭遇する。
地図帖にはびっしりと、男の紡ぎだした土地ごとの物語が書き込まれていた。
千葉県北部を旅する天才幼児の物語。
東京二十三区の区章をめぐる蠢動と闘い、
奥多摩で悲しい運命に翻弄される少年少女――
物語に没入した〈俺〉は、次第にそこに秘められた謎の真相に迫っていく。
(裏表紙より引用)

===

今回も受賞ものです。
本作で第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞し、
更に『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞大賞(誤植じゃないよ)、
『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞と
2008年に3つの作品で3つの新人賞を獲得した驚異の人でもある。







※以下ネタバレ有







地図帖に書き込まれた無数の物語はいずれも「誰かに語りかけるような文体」であり、
その独特さが面白く作品世界に引き込まれる。
当方はその語りかける文章を『化物語シリーズ』の忍野メメ(CV櫻井孝宏)の声で脳内再生した(ぉぃ
まあそれで違和感無いのだからそんな感じの文体だと思っていただきたい(解りづらいわ)。

その書き込まれた物語で詳しく紹介されたのは『天才幼児』『二十三区大会』『ムサシとアキル』であり、
これら3作品を収録したオムニバス作品という見方も出来る。
『天才幼児』は短編ながら一番面白い。良い所で終わってしまっているので後日談を読みたい。
『ムサシとアキル』は切ない恋物語の長編で、これだけ独立した作品で書籍化しても良いと思う。
これら全てが地図男の考えたフィクションだというから凄い。おっさん何者だよ。

また、映画プロダクションの助監督という〈俺〉の職種も斬新で、ロケ地探し等の仕事内容がリアルに伝わり
「弱小の助監督は実は雑用仕事が多い」等の意外な事実(?)に興味をそそられた。

ただ、肝心の謎解きのオチが残念だった。
誰かに語りかけるような文体を「誰に語りかけているのか」という謎。
伏線の張り方が弱く、普通に読むだけでは解けないようになっていたのだ。
しかも平凡なオチでスッキリしない。そこで鳥肌が立つぐらいのインパクトが欲しかった。

ちなみにAmazonのレビューでは「文体が古川日出男の二番煎じ」という意見がチラホラ見受けられるが、
その御方を知らないので当方は何も気にしていない。もちろん文体は斬新に感じた。

◎日向まさみちの『本格推理委員会』を読んでみた

2013-01-06 01:18:55 | 小説30冊読破への道
冒険家の父、小説家の母、大道芸人を夢見る妹という特異な家族と暮らす「俺」こと城崎修は
小中高一貫の木ノ花学園に通う高校1年生で、
理事長木ノ花あざみの立ち上げた「本格推理委員会」の活動に強制的に巻き込まれる。
委員長桜森鈴音と楠木菜摘、そして勘だけは強い幼馴染の木下椎と共に
小等部の間で噂になっている怪談について調査を進めていくうちに本物の事件が発生し、
更に春休みに起きた事件や16年前の出来事まで絡み複雑の一途を辿る。
修は怪談や事件の真相を徐々に突き詰めていくが、
自身が招いた「3年前の悲劇」がトラウマとなり――

===

著者は処女作となった本作で第1回ボイルドエッグズ新人賞を受賞したそうで、
賞の名前こそ初めて聞いたが、受賞ものにハズレは無い法則を信じ読んでみた。

これは表紙に萌え系キャラが描かれているだけの普通の小説本として発売されながらも
本編は完全に「ライトノベル」の文体になっているのだ。
台詞が戸松遥や花澤香菜、沢城みゆき等の声で脳内変換される(マテ
これは活字で読むよりもアニメという形で観てみたかった作品である。







※以下ネタバレ有







で、肝心の内容はというと、序盤のキャラ紹介や前置きが長すぎて何度も読むのを挫折しそうになったが
1クールのアニメだと「3話」ぐらいに当たる部分から面白くなってきた。
ミステリ要素も活字だからこそ誤魔化せる「叙述トリック」も上手く活用し存分に楽しませていただいた。。

細かい部分を言うと事件はほとんど修が解決し、勘だけが頼りの椎が特に終盤で全く活かされていない点は残念だったが、
なんだかんだいって友情や家族の絆、そして「夢」もテーマになっており純粋に良かった。



ただ次は、ラノベ調ではなく普通の文体の小説を読みたい。

◎片山恭一の『満月の夜、モビイ・ディックが』を読んでみた

2010-03-07 08:21:54 | 小説30冊読破への道
──待っているから。いつまでも待っているから。

家庭崩壊で失われた自分の居場所を求めてモーツァルトを聴きバス釣りをする大学生・鯉沼は、
謎めいた同級生・風嶋香澄に恋をする。アプローチがありながらどこかで拒絶しているようでもある彼女の本心が読めないまま
2人はデートし肉体関係まで結んでしまう。その後、ひょんなことからバス釣りが趣味の“絵描き”タケルと3人で
やくざの集団から逃げ回る旅に出る。

===

原作320万部、劇場版の興収85億円、ドラマ版の平均視聴率15.9%、
更には漫画化、舞台化、ラジオドラマ化までされ社会現象と化した
『世界の中心で、愛をさけぶ』の著者・片山恭一氏の作品である(長すぎ)。
氏の数ある作品の中で、未読のセカチューを避けてまでこの作品を選んだのは、
意味深なタイトルと美しい絵の表紙に惹かれたからである。

というわけで読んでみた。










※以下、本格的なネタバレです。










香澄は精神が病んでいた。
それが鯉沼との出会いで変わることができた。
しかし、自分が楽になるための手段として鯉沼を利用しているだけだとも感じた。
鯉沼の望む女になることは、本当の自分に蓋をすることになってしまう。
そんなことは出来ない。だから一緒にはいられない。



ラストの入院先からの香澄の手紙によって、↑が明らかになる。
香澄は三人旅の終盤で刃物で自殺未遂を図り、そのまま入院してしまったのだ。
手紙を書く数ヶ月前?にお見舞いに来た鯉沼は、最後にこう言った。

>「待っているから」
> 言葉は返ってこなかった。もう一度、繰り返した。
>「いつまでも待っているから」

そして手紙には、

>あのときの鯉沼くんの言葉を拠り所にして、いまのわたしは生きていると言ってもいいくらいです。



これが純愛小説としての一応の結びである。

何だか救われない結末に空虚感と何か物足りない感じが残された。
感動も出来なかった。まあエロゲ原作のアニメぐらいしか感動できない当方の意見など当てにならないだろうが。

3人旅が始まる時には「やっと面白くなってきた」という感じだっただけに
救われる結末を用意して欲しかったが、おそらくそれはベタと言うのだろう。

あまりレビューが詳しくないので、分かりやすく★の数で表現させてもらうと
★★★☆☆
となります(要は微妙だと……)。



ちなみに、タイトルの「モビイ・ディック」(=大きな鯨)が何を意図するのか、当方には解読できなかった。

◎綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んでみた

2009-12-01 05:10:03 | 小説30冊読破への道
──いためつけたい。蹴りたい。愛しさよりも、もっと強い気持ちで。

レベルの低い周囲と合わせるのが嫌で、
教室で自ら孤立している高校1年生の女子・長谷川初実(ハツ)と、
同級生で同じくハブられた半ば引きこもり男“にな川”の2人の物語。
にな川はオリチャンという雑誌モデルの大ファンで、
彼女に実際に会ったことがあるというハツに強い興味を抱き、
会った場所を聞き出すためにハツを自宅に招待する。

===

何を今更という感じだが、
読んでた時間返せと思った『さくら』の反省を生かし、今回はちゃんと賞を受賞した=プロに認められた作品を選んだ。
予算の都合でブックオフの100円コーナーから選出したため微妙に昔の作品だが、
120万部も売れた“事件”として歴史に刻まれているれっきとした第130回芥川賞受賞作品であることは周知の事実。
これなら間違いないと思った。

で、読んでみた。










※以下、本格的なネタバレです。










「え、これで終わり?」と思った。

140ページ(※単行本版のページ数)もあってハツとにな川の関係は何も進展しない。
物語の終盤を3行で説明すると、

オリチャンは所詮アイドルで、どんなに近づいても手を伸ばしても届かない存在であることを知ったにな川、絶望。
それを見たハツ「ざまあw」
終了

え? って感じ。
ハツをオリチャンのライブに誘ったにな川の心境は?
それをOKしたハツもまんざらではないのでは?
にな川のハツへの気持ちは最後まで不明のまま終わり、
ハツはにな川のことを「愛しい」ではなく「蹴りたい」という気持ちで締めている。

この解釈は読者に委ねるということなのだろうか。
さっぱり意味不明な当方が出した結論は「まあハツがドSということで」(マテ





そしてハツと絹代も……かつての親密な仲を取り戻そうで、取り戻せずに終わる。
絹代もハツの同級生で、中学時代の親友でもあるのだが、今はハツよりも他の女子グループと話すことが多い。
ハツは絹代の笑顔が“好き”で、絹代も自分のグループにハツを勧誘するほどなので別に仲が悪くなったわけではない。
絹代と二人きりでいたいハツと、レベルの低いグループを優先する絹代。
中学時代に親密だった2人の間には微妙な壁が出来ていた。

そして、絹代も交えて3人でライブを見に行き、にな川の家に2人が泊まることになった時のこの流れ。

>「にな川が(オリチャンに近づこうとして)怒られちゃったのは哀しかったけど、こんなふうに
>泊まって話せたりして楽しかったね。あー、今日のこと、早くみんなに話したいなあ。」
> 暗闇の中に絹代の言葉が浮いて、ぼうっと光る。みんな。そうか、今こんなに近くで話
>しているというのに、絹代にとっての世界は、私やにな川ではなく、彼女のグループの
>“みんな”なんだ。長い夏休みは私の絹代の間にさらに距離を生むだろう。そしてその夏
>休みの先に続く、ひたすら息苦しい二学期。

そう、2人の間の壁は最後まで取り除かれることはなかった。
というか、140ページに些細な、でも色々な出来事がありながら、結局何も進展していないのだ。




にしても、孤立するハツの描写はあまりにもリアル。綿矢氏の実話ですか? と疑いたくなるぐらい。
しかし、描写はリアルなのだが、ハツというキャラクターが微妙に非現実的で共感できなかった。

陸上部所属で男みたいな太もも。
無印良品のコーンフレーク売り場で、周囲の視線をよそに全種類試食して朝食代わりにするのが“日課”。
ファッションに全然興味がなく、ライブの日の服装は“虫取り網が似合いそう”。

男勝りにしても無理があり過ぎないか?
それとも昨今の男たちはこういう女性に萌えるのか?(んなのドーデモイー



とまあナンダカンダ言っても表現が面白かったし、
140ページという圧縮された容量のおかげで無駄に長い『さくら』(約400ページ)の時のような退屈感を味わわずに済んだし、

要は「面白かった」です(ナンジャソリャ

◎そもそも「小説30冊読破への道」とは一体何なのか

2009-11-10 00:16:23 | 小説30冊読破への道
一度しかない人生を無駄に過ごすわけにはいかない。

だが、社会人になってからは、仕事、食事、風呂、睡眠の繰り返しで、自分の時間は少なくなり、それさえも無駄にダラダラと過ごしてしまうのが現実である。



ならば読書をしてみてはどうか。

テレビ、漫画、ネットというダラダラな時間を最小限に抑え(さすがにゼロには出来ない)、空いた時間を読書に充てる。

読むのはハウツー本ではなく、芸能人の雑文でもなく、ちゃんとプロの作家が書いた「小説」である。

これは学ぶことも得るものも多いはずだ。
例えば理解力を高めるには読書が有効ともされているらしいし、
読書をして当方は変わりたい。根拠は無いけど、何かが変わるかもしれない。


というわけで「年内までに30冊ぐらいは読んでみよう」を目標として9月から始まったプロジェクトが「小説30冊読破への道」である。



だが、11月現在、読破は3冊。今は4冊目。



全く間に合わない。



というわけで目標は……一応来年の春までに延長した。

それでも今のペースでは無理だ。
今は仕事柄、本当に自分の時間が少ない。



どうなることやら。

◎谷川流の『涼宮ハルヒの消失』を読んでみた(マテ

2009-11-06 17:55:25 | 小説30冊読破への道
──こんなもん、全然面白くねえぜ。



クリスマスイブの一週間前、涼宮ハルヒは消失し、彼女の席はキョンを殺そうとして消失したはずの朝倉涼子のものとなっていた。
古泉一樹は所属するクラスの教室ごと無くなり、朝比奈みくるは未来人の肩書きが抹消されキョンやハルヒを知らない普通の女子高生になってしまった。
突然の異世界に打つ手が無くなったキョン。最後の頼みの綱は、驚いた表情で口を開け、眼鏡のレンズ越しにキョンを凝視する長門有希だった──









※以下、本格的なネタバレです。










とまあ、涼宮ハルヒシリーズを知らない人には何の話だかさっぱり解らない↑の文章だが、
消失の前までの話は全てアニメ版で補完していた当方は、ヲタの間で最高傑作と名高い『消失』が映画化されると聞き、公開まで待てないので初めて原作本を手にとってみた。



やはりそれは
最高傑作
であった

(消失までの話の中では)。



消失以降の話は全く知らないので最高と付けるのは間違いだろうが、こまけえことはいいんだよ(ぉぃ

キョンを始めとするSOS団のターニングポイントと言われ、涼宮ハルヒシリーズの中でも重要な回と言われているが、おそらくそうだろう。
まあハルヒ張本人に限っては何のターニングにもなっていないのだが。


しかし当方は、ストーリー以上に比喩などの表現技法が優れていることも付け加えておきたい。

谷川氏の比喩は小ネタの連続で、西加奈子の100倍面白いのはもちろん(マテ)、東海林さだおを越えたと言っても過言ではない(何故いちいち東海林氏と比べる?)。
その面白さがストーリーを更に引き立てているのだ。



そして、物語の全ての鍵を握る長門有希。キョン視点でありながら、これは彼女の物語でもあるのだ。
日本には長門ヲタという奴等が意外にも多く、映画化されたら長門の見所満載で、彼等は上映中に周囲に迷惑をかけまくるだろう。「ながとおおおおお」と発狂する程度で済めばいいのだが……。困ったものです。



まあ散々既出なレビューですみません。
このカテゴリは読書の記録が目的なので、レビューを書く能力の無い当方にはこれが限界です。困ったものです。

◎西加奈子の『さくら』を読んでみた

2009-10-23 23:17:01 | 小説30冊読破への道
超美形の外見とは裏腹に内に籠もった妹。
肥満化し酒に溺れた母。
人生に疲れて失踪した父。
そして大学進学のために家を離れた“僕”。
わずか20年4ヶ月の命だった兄の死が招いた家族の崩壊。
そんな家族の誰もが愛する存在が、12歳の老犬「サクラ」だった──





今回はあえてネタバレはしない。

結論から言うと35点。

26万部も売れたらしく、本屋の「なんちゃら文庫100選」みたいなコーナーに目立つように置かれ、帯にはチュートリアル徳井の絶賛コメント。

完全に釣られました。



内容自体はそんなに悪くないのだが、
本筋に大して影響を与えない過去話が異常に長い。本編の8割は占める。
そりゃ読んでて辛かった。大した事件も起きない淡々とした日常が坦々と描かれるだけの過去話。
これがどっかの芸能人の過去であるなら興味を持って読める。だが全部作り話なのだ。
感情移入なんて出来るわけがない。



というわけで冒頭以外は過去話が延々と続く317ページまでは長いプロローグ。
318ページからが本編である。そこから読んでも内容理解に支障はない。
妹の名前がミキで兄の名前が一(はじめ)、そして「矢嶋さん」が兄の彼女であることだけ知っていればOKである。
あとは暇な時に本屋に行って318ページから立ち読みでもすればいいだろう(マテ

そしてラスト。
読む人によっては感動すると思う。だが当方はしなかった。
内容が悪いわけではない。表現というか書き方が悪かったのだろう。もったいない。
まあ読んでみれば分かります。



巻末の「解説」は比喩が面白いとか絵が具体的に浮かび上がるとか言ってるだけで、内容にはほとんど触れていない。
その比喩でさえも、エッセイストの東海林さだおにすら遠く及ばない。
26万部売れたというだけで、別に何か賞を受賞したわけでもない。
つまりはそういうことだ。

◎重松清の『流星ワゴン』を読んでみた

2009-09-14 17:03:18 | 小説30冊読破への道
──僕はやはり、その横顔が明日になっても消えない毎日を幸せと呼ぶタイプの男なのだろう。


妻は不倫し離婚届を突きつけられ、息子は中学受験失敗を期に不登校、暴力と荒れ狂い、会社はリストラされお金もない。
希望を失い自殺も考えていた主人公・永田一雄(38歳)は5年前に交通事故死した父子の乗るワゴンに拾われ、
時空を超えて人生の岐路となった場所を巡る“やり直しの旅”に出た。

それは見知らぬ男と一緒の妻を偶然見かけた日であったり、息子の模試の日であったり。
行く先々で何故か必ず現れる一雄の父(何故か同い年の38歳)と共に、過去を変えて未来を明るくしようと奮闘する。







※以下本格的なネタバレです。







この物語には一貫して「家族の絆」がテーマとなっている。
謎のワゴンに乗る幽霊の父子もそうだが、
一雄と父、一雄と息子、そして一雄と妻、それぞれの壊れた関係に焦点を当てている。

やり直しの旅でそれぞれの関係を修復し、未来を明るくしたかった一雄。
だが、どんなに努力しても未来を変えることは出来ない、それが現実であることを幽霊父子に聞かされる。

それでも一雄はその旅の終盤、妻に必死のお願いをした。
「おまえが未来を変えてくれ。ヒロ(息子)の受験の結果がわかったら、すぐに離婚してくれ」

妻が離婚し、息子を連れて引っ越してくれれば、息子は二中(=受験に失敗し入らざるを得なかった公立中学。
そこでのいじめが原因で不登校になる)に入らずに済むのだ。


しかし、やり直しの旅で行われたことは関わった人の記憶には残らないという悲しいルールがあり、
結局未来は大きく変わらなかった。
それでも一雄は現実を受け入れ、生き続けることを決意する。



当方は幸せとは何なのか、よく考えてしまう。
お金があれば幸せになれるのか。
お金がなくても両親や妻や子供、家族の存在が幸せにしてくれるのか。
自分の好きなこと、楽しいことが思う存分出来れば独身でも幸せと呼べるのか。孤独死が待っているとしても。




一雄にとっての幸せはこれだ。
旅の最後、ラブホテルでの妻の横顔を見て、一雄はこう思うのだった。



   僕はやはり、その横顔が明日になっても消えない毎日を幸せと呼ぶタイプの男なのだろう。




Hなシーンや終盤の一雄と父の立ちションなどの描写は余計だったが、
絆とは何か、幸せとは何か、そして人生とは何か、大いに考えさせられる物語だった。