78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎『足湯女子』を流行らせたい! 春休みは足湯カフェへ行こう

2019-03-21 16:21:59 | 小野と芋子

芋子「都内でも桜の開花が発表されたり、すっかり春ですねえ」

小野「春休みに入った学生も多いだろう。社会人も今日は祝日だ」

芋子「何が言いたいのですか?」

小野「世の女性の皆さん、足湯に入りに行きませんか?

芋子「湯布院の温泉施設経営者のツイートが炎上して間もない時にする話題では無いと思います」




小野「別に混浴風呂で『特大の魅力』を見たいと言っているのでは無い」

芋子「そのワードも使わないで下さい! いくらブログランキング4桁だからって、女性の読者も少しくらいは居る(と思う)のですよ」



<女性は適度な露出が丁度良い>

小野「僕が見たいのは、↓こんな感じの女性なんだよ」





芋子「先輩、これは?」

小野「声優・高田憂希さんが草津の足湯カフェに行った時のツイートだよ」

芋子「また声優ネタですか」

小野「声優というのもポイントなんだよ。このブログでは『声優はアイドルでは無い』と何度も力説してきたが、例えばアイドルはすぐ水着になるけど、声優は一部の限られた人しか水着にならない。ましてや温泉に入るとか、入浴シーンをOKしている声優事務所はゼロに近いんじゃないかな」


(※最近の事例として、3月9日放送のテレビ朝日『ゲンバの声がある』で女性声優(千本木彩花)とグラドルが女子ソロキャンパーをリポートし、キャンプ場近くの温泉に入るシーンがあったが、声優だけ湯船に漬からず服も一切脱がなかった)


芋子「つまり、女性声優は肌の露出を控えめにしがちということですね?」

小野「例え夏でも、私服のスカートはミディ丈かミモレ丈がほとんどだ。でもそれはとても健全で良いことだと思う」

芋子「まるでミニスカートが不健全みたいな言い方ですね」

小野「不健全とまでは言わないけど、例えば大学時代に毎日ミニスカートの女子学生が居たけど、そこまでやりすぎると、その女子の生足にありがたみを感じなくなってしまった。この年にもなると、適度な露出がちょうど良いと思えるようになる」

芋子「貴方まだ高校生ですよね? 設定上は」



<2019年版「奇跡の一枚」>

小野「で、↑の高田さんのツイート。2枚目の写真を見て欲しい。奇跡の一枚だ」

芋子「まあ足湯ですから、普通の温泉と違って、露出しているのは膝から下の部分だけですね」

小野「これくらいの露出がベストだし、足湯に入るという行為に適度なエロスも感じられる。声優としても温泉に入る(写真をUPする)ことは多分NGだから、これくらいが限界だったと思うんだけど、結果的に奇跡の写真が誕生したわけだ」

芋子「そう思っているのが当方さん(ブログの管理人)だけの可能性もありますよね?」

小野「共感してくれる男性が居ることを信じて、こうやってネットで発信しているのだ。わからないかなあ、この写真の良さ」

芋子「まあ私は女子なので」



<春は足湯にベストな季節!?>

小野「芋子もやってみて欲しい。足湯カフェに行って写真を撮り、SNSにUPして男性の反応を見てみるんだよ。僕の持論を証明させたい」

芋子「でも足湯って面倒そうなイメージがあるんですよね。高田さんの写真はたまたま足湯に入りやすそうな衣装を着ていたわけですが、タイツやストッキングを履いていれば脱がなければならないし、パンツスタイルなら裾を捲し上げる必要があります」

小野「だから暖かくなってきた今こそチャンスなんだよ。気温も上がって街ではミディ丈スカート、かつ生足を見せる女性も増えてきた。その格好なら靴と靴下を脱ぐだけで足湯に浸かれる」

芋子「なるほど。しかも普通の温泉と違って、メイクを落とす必要も無いですからね」

小野「良いところに気付いたね。すっぴんを見られたくないからと、女子同士で温泉に行くことを躊躇う女性も、足湯ならそんなにハードルは高くないんじゃ無いかな」

芋子「デートでも、普通の温泉だと男女別になってしまいますが、足湯ならいつまでも一緒です」

小野「足湯はいわば『健全な混浴』である」



<実は都内にもある足湯カフェ>

芋子「でも草津って遠いですよね。金欠の学生にはハードルが高いかもしれません。親の許可が取れない子も居そう」

小野「ところがすっとこどっこい。足湯カフェは都内にもあるんだよ。しかも上野や新宿、池袋といった大都会に」

芋子「そうだったんですね! 知らなかったです」

小野「都内だとオシャレな店も多いし、SNS映えもすると思うんだけどね。でもTwitterで『足湯女子』で検索してもあまり出てこない」

芋子「そりゃそんな言葉、流行っていませんから」

小野「だからこそ、この記事をきっかけに流行らせたいんだ。もし賛同していただける女性の方が居ましたら、今すぐ足湯カフェに行って写真を撮り、Twitterやインスタで『#足湯女子』を付けてツイートして下さい!」

芋子「………」

小野「新たなる女性の魅力がそこにあります!」

芋子「お、おう」

 

 

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◎『けものフレンズ2』10話感想……続きが気になる内容だったけど伏線の貼り方が雑

2019-03-21 04:33:06 | 小野と芋子

 <けものフレンズ2 第4巻 [Blu-ray]

 

芋子「まさかの私たちの登場です」

小野「ブログの管理人(当方128)がとうとう1200字以内で感想を書くのを放棄したからな(『ほぼ週刊サンマイ新聞』カテゴリー)」

芋子「というわけで、当方さんに代わり、私たち2人でTVアニメ『けものフレンズ2』10話について語ります」

小野「執筆時間短縮の為に呼び出される俺たちの存在意義って……」


<イエイヌの今後は?>

芋子「まずは管理人のTwitter短評からどうぞ」

小野「『物語る亀』のパクリかよ」

 

芋子「なるほど。イエイヌといえば前回の9話で『主題(サーカラとキュルルの絆)を成立させる為に犠牲になった』悲劇のヒロインだったわけですが、10話で僅かながらも再登場」

小野「これが伏線だとすれば、今後彼女が救われる話が描かれる可能性は高いということか」

芋子「『あらゆる場所を旅してきたリョコウバトがヒトを見たことがない』『キュルルの家は存在しないかもしれない』という情報から、キュルルが家探しを諦めてイエイヌと共に暮らすENDに繋がる可能性も無くはないと思います」

小野「そうなれば、9話を批判した人たちも、少しは納得してくれるんじゃないかな」

芋子「それをハッピーエンドと呼べるかは疑問ですけどね」

小野「まあイエイヌについては保留だね。監督と脚本家を信じるしかない」


<10話に繋がる伏線はほとんど無かった>

芋子「続いて『伏線の貼り方が雑』についてです」

小野「10話から、ミミちゃん助手の台詞を一部起こしてみよう」


助手「竹林のほうではジャイアントパンダにそっくりなセルリアンにパンダたちが襲われ、はたまた砂漠では、チーターそっくりなセルリアンにチーターが追いかけられたとか」


芋子「ジャイアントパンダは2話、チーターは7話にそれぞれ出てきましたね」

小野「そこで発生したセルリアンは、フレンズにそっくりなそれでは無かったよね」

 

芋子「なるほど。ジャイアントパンダやチーターにそっくりなセルリアンを2話や7話でちゃんと登場させて、それを倒す過程も丁寧に描いて、そのセルリアンが強いことを示唆しておけば、10話にちゃんと繋がるわけですね」

小野「もっと言うと、2話は2期屈指の不評回、7話も『あの6話のあとに呑気にかけっこかよ』という感じだから、せめて伏線を貼って後から評価されるようにすべきだったよね。10話と何の関係もないなら2話と7話が駄作であることは覆されない」

芋子「10話単体で観れば『フレンズそっくりのぬいぐるみ』が『フレンズをコピーするセルリアン』を示唆していたことになりますから、ギミックとしては面白いんですけどね」

小野「残念ながら、10話で褒めるべき点はそこくらいかな」

 

(※補足……時系列的には「キュルルがスケブの絵にフレンズを描き足す→その絵をフレンズに渡す→それをコピーしたセルリアン登場」という順番で、2話や7話では描き足す前にセルリアンが登場してしまっているので、そのセルリアンを10話の伏線として登場させるのは難しいかもしれません。ただ、話の構成を工夫すれば不可能ではないと思います。例えば「セルリアンを登場させることなく問題が解決する(2話は遊具作り、7話はリレーを済ませる)→スケブの絵にフレンズを描き足す→セルリアン登場→倒してそっちも解決」の順番にするとか)

 


<真のラスボスは誰?>

芋子「最後はラスボスについてです」

小野「もしキュルルの描いた全員集合イラストをコピーしたセルリアンが現れたら最強すぎて誰も太刀打ち出来ないんじゃないかな」

芋子「一応それを阻止しようと、かばんと博士助手が動き出したようですが、最悪の事態は回避できないような気がします」

小野「そうなると相当な数のセルリアンが現れることになるね。最終話でこれまで登場したフレンズが全員集合、それぞれ自分をコピーしたセルリアンと戦う感じかな?」

芋子「ただ、最終話でフレンズが全員集合する熱い展開は1期で既にやっていますので、1期を超える演出になるかが評価の分かれ目になるでしょう」

小野「それを倒した後に大和セルリアンが真のラスボスになるのかな」

芋子「まだビーストも居ますよ」

小野「すっかり忘れていたよ。もうこれ風呂敷広げすぎだよね。あと2話できちんと畳めるのだろうか」

芋子「私は『続きは劇場版で!』とかでも大歓迎ですけどね」

 

 

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◎『けものフレンズ2』9話感想……カラカルの心情の変化や3人の絆の為に犠牲になったイエイヌ。もう少し何とかならなかったのか

2019-03-12 12:46:30 | ほぼ週刊サンマイ新聞

 

<↑次回(10話)はいよいよゴクラク回!?(フウチョウコンビ)>

 

 TVアニメ『けものフレンズ2』の9話を観た。ネットはまたしても炎上したが、当方としては9話の内容は良いほうだと思っている。“カラカルの心情の変化”が1~9話を通して物語の主軸になっていると解釈したからである。1話の時点ではキュルルの「おうち」探しにそんなに乗り気ではなく、好奇心旺盛のサーバルに付き添う形でしかなかったカラカルが、9話ではキュルルを守る為にビーストと戦った。あてのない過酷な旅を続けていくうちに、キュルルとカラカル(、サーバル)の絆が深まっていたという、本来なら感動に値する話になる……はずだった。


 このように話の内容としては良かったが、問題点が2つある。

(1)カラカルの心情が変化する過程の描写が不足している
(2)この感動の為にイエイヌが大きな犠牲になった


 まず(1)について。一つ一つの過程の積み重ねを経て後半や終盤で感動に繋げるのがクール放送アニメの醍醐味でもあるが、9話で「キュルルを守る為に戦うカラカル」を感動として大成させるには、それまでの1~8話でカラカルの心情が少しずつ変化していく過程を丁寧に描写しなければならなかった。唯一4話でオオアルマジロとオオセンザンコウに対し「何者か知らないけど流石に勝手すぎるんじゃないの?」と文句を言ってキュルルを守ろうとする場面はあったが、本当にそこくらいで、他でのカラカルは特段目立つことも無くただのツッコミ役に徹しているだけだった。
 例えば3話で海に溺れるのがサーバルではなくカラカルで、それを助けるのをキュルルにするだけで、カラカルがキュルルを守りたいと思う理由が一つ増える。6~8話で毎回登場するセルリアンも、毎回サーバルのワンパンで済ませずに、1回くらいはキュルルとカラカルが協力して倒す場面があっても良かったかもしれない。このように8話までに一つ一つの過程を積み重ね、9話でそれらを回想シーンとして入れることで、より視聴者を感動させることが出来たはずなのだ。


 次に(2)であるが、イエイヌは自分の家から居なくなった“ヒト”を探しており、キュルルが来たことで当初は大喜びしていたが、ビーストが近くに潜んでいることを急いでサーカラの元に知らせに行くキュルル、そしてキュルルを守ろうと戦うサーカラ、その3人の絆を見て、「自分の探しているヒトはキュルルではない」ことを察し、自ら身を引いたわけだが、主題が3人の絆(特にキュルルとカラカルの絆)に終始してしまったせいで、キュルルを守る為に傷だらけになったイエイヌを手当もせず放置してしまう結果になってしまったのだ。尺の都合など色々事情はあったとは思うが、イヌを飼っている視聴者を敵に回してしまい炎上に繋がることは容易に想像できたはずだ。

 一つの主題を成立させる為に誰かを犠牲にしてきたのは9話だけではない。もう手遅れだが、2期は全体的に脚本に問題があることをスタッフは自覚すべきである。

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◎『けものフレンズ2』8話感想……同一個体説、別個体説、パラレル説のいずれも矛盾している。スタッフは本当に1期をちゃんと観たのか?

2019-03-08 21:58:41 | ほぼ週刊サンマイ新聞

 ペパプ・イン・ザ・スカイ!

 

 TVアニメ『けものフレンズ2』が8話まで放送された。これまで考察要素の一つとして「1期との関連性」が挙げられており、1期と2期のフレンズは「同一個体」か「別個体」か、もし後者であれば「1期と繋がった世界」なのか「パラレルワールド」なのか、複数のパターンが考えられ、その答えによっては物語の持つ意味、ひいては評価が大きく変わってくる重要な要素なのだが、現時点ではどのパターンだとしても矛盾が生じてしまうのだ。


 まず「1期と繋がった世界」かつ「フレンズが同一個体」だったパターンの場合を考える。サーバルについては前回の考察記事のとおり、1期と2期の間の空白の期間においてセルリアンに食べられ記憶を失った可能性が高くなり、これといった問題は無い。しかし、8話に登場したPPPとマーゲイはどうか。彼女たちも同一個体だとするなら、下図のように大きく矛盾してしまうのだ。





 では、マーゲイの回想から「1期とはパラレルワールド」であると仮定する。すると今度は2期6話の「かばん」の物語が意味を持たなくなってしまうのだ。6話は1期と繋がった世界かつサーバルが同一個体であるからこそ「記憶を失ったサーバル」を見て切ない表情を浮かべる「かばん」に感情移入出来るのだから。



 最後に考えられるのは「1期と繋がった世界」かつ「1期と2期のフレンズは別個体」説であるが、そうなるとやはり8話がネックになってくる。

 そもそも8話序盤でマーゲイはサーバルのことを覚えているかのような素振りを見せる。この時点で1期と同一個体であると考えるのが自然なのだが、その後ダメ押しでこのような台詞が入る。


マーゲイ「実は、マネージャーをやる前は、PPPの一ファンだったんです。
PPPのライブを観ていると、勇気とか力が沸いてきて、その時、本当にあの5人が伝説の戦士たちに思えたんです」


 アイドルのファンがマネージャーになる流れは1期そのものであり、2期で「その後のPPPとマーゲイ」を描くのは王道と言える。

 ではやはり同一個体なのか。それなら「古い絵本」に登場するPPPはなぜ5人いるのか……といった具合に、考察に考察を重ねても一向に結論が出ない。



 しかし、これら全ての矛盾を整合化する正解は1つだけ存在する。それは単なる「作画ミス」である。少なくとも2期8話は、マーゲイの回想シーンを1期8話のデビューライブを想起させる画に修正し、古い絵本のPPPを4人または3人(初代または2代目)にするだけで、「1期と繋がった同一個体の世界」としての矛盾は存在しなくなる。

 ただ個人的には、もし作画ミスだったのであれば、制作スタッフに疑問を抱かざるを得ない。一度でも1期8話を視聴したのであれば絶対に起こり得ない致命的な過ちだからである。細谷PがTwitterで「感謝とリスペクトを忘れたことなんて一度もない」と呟いたが、ハッキリ言ってこれはリスペクト以前の問題である。

 

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