78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎今年のバレンタインは中止になりました。ご了承下さい

2009-01-29 18:42:50 | もはやチラシの裏レベル
第2問(マテ


実話をもとにした問題。
写真のようなカップ飲料の自動販売機がある。
コーヒーとココアが100円、その他の飲料は70円である。
この自販機に100円玉を入れてコーラのボタンを押したが、カップにコーラは注がれない。
良く見るとコーヒーとココアのボタンは点灯していたが、コーラを含む他の飲料のそれは点灯していなかった。
かといって「売切」の表示があったわけでもなく、実際全ての飲料は残量がある。
何故コーラは注がれないのか。また、この自販機でコーラをゲットするにはどうすれば良いか。

ああ、簡単かもな……まあいいや。正解は↓














コーラが注がれないのは10円玉の釣り銭が切れていたから。
よって、70円きっかりになるように硬貨を投入し直せばコーラをゲット出来る。

◎玉掛け技能講習を23時間ぐらい受講してみた ~最終日~

2009-01-25 16:57:16 | 本当の日記はこちら
玉掛け技能講習最終日。

今日も野田線と京成バスのコンボで教習所へ。



9時講義開始。だが今日はいきなり外へ。
すごく寒い。いやマジで。
だが今日はいよいよ実技試験の日。外に出ないわけにはいかない。
14時まで講習、14時から試験となる。
つまり、実質4時間ほどでやり方を全て覚えなければならないのだ。

まずは講師の実演を見る。
全く覚えられない。手順がいろいろややこしい。
玉掛け作業は仕事で何度も見てきたが、これはほとんど違う。

8~10人ずつ5つの班に分かれ、さらに3人ずつの組を作る。
当方は5班の2組となった。
1人は当方より少しだけ年上と思われる青年。
もう1人は50は超えているであろうおじさん。
そして当方の3人である。

まずは1組が講師の指導をもとに実際にやってみる。
1人がクレーンに指示し、残りの2人はつり荷を押さえるなどの補助役となる。
この前者が正しくできるかどうかの試験ということになる。補助はどうでもいい。
クレーンに対する指示は呼子笛と手の合図のみで行う。口に出して言うことはない。
ただし補助2人には「ワイヤーをかけろ」などと口に出して命令を出す。
だから難しいのである。
1回ごとに指示役を交代するので、一組あたり3回やることになる。
当方は3回も見たわけだが、あまりの寒さで手順がまともに頭に入らない。

その3回が終わり、続いて2組の番。
まずは青年から。初めてにも関わらずほぼ順調に指示してゆく。
次におじさん。間違えまくる。怒られまくる。


そして当方。


間違えまくる。怒られまくる。
笛の鳴らし方も補助への命令も自信が無く、低めの音声になってしまう。



1組の時から計5回も見てきたのに、頭に入っていない。
いざ実際にやるとなると頭が真っ白になってしまうのだ。
寒いということもマイナス要素となった。



その後、3組も終わり、午前中にもう一巡することになった。
2巡目も当方は間違えまくる。
これはやばい。
昨日の質量目測も自信はないし、今日もこんな感じでは本当に落ちてしまうような気がしてきた。



12時昼休み。ようやく暖かい部屋へ。
弁当を食べ終わると一人作戦会議。
その結果、ノートからあるページを切り離す。
それは、昨日観た玉掛け作業の教習ビデオから、簡単な手順を箇条書きしたものだった。
これに書き足して覚えていこう。
もう時間はない。



13時。
試験までにもう一巡することとなった。
1組の玉掛け作業を見て、切り離した紙に詳しい手順を書き足していく。
少しずつ覚えていく。

そして2組の番。
青年は完璧だった。おじさんはまた怒られた。
そして当方……



「もう少しだ。頑張れ」



そう言われた。自分でもかなり覚えてきている気がした。
だいぶ気持ちを落ち着かせることが出来た。



14時、試験開始。

1組はあっという間に終わり、2組。

ここでまさかの事態が起きる。
なんと、青年が1箇所ミスをしてしまったのだ。
さっきまでは完璧だったのに、緊張のあまりのミスということか。
補助をしている当方の目の前でのミス。
せっかく落ち着いていた当方を一気に不安にさせた。

おじさんも間違えまくり、当方の緊張はMAXに達していた。



そして、いよいよ当方の番。
前の2人は関係ない。自分が覚えてきたことをただやるのみ。
そう言い聞かせ、自信をもって笛を鳴らし、今までで一番威勢良く命令した。



試験終了。
気持ちの迷いは何度かあったが、結果的にミスは無かったと思う。




3組が終わるまでプレハブ小屋の中に入り休憩。
そこで盗み聞きしたのだが、例のスイーツ女の正体が明らかになった。
彼女の職業は園芸だったのだ。
クレーンでつって運ぶこともあるのだという。
なるほど。





16時。
ついに念願の終了証を受け取る。

おじさんは残念ながら不合格だった。

落ちることはほぼ無いと言われている玉掛け。
だが当方はそれを信じずに努力した。実際に落ちた人もいるのだから。
やれば出来るって本当なんだな。そう思えた23時間だった。




「この人(当方)は最初ね、一番危なかったの。でも必死に紙に書いて努力してね……その違いだと思いますよ◎◎さん(おじさん)。」

◎玉掛け技能講習を23時間ぐらい受講してみた ~2日目~

2009-01-24 18:00:22 | 本当の日記はこちら
玉掛け技能講習2日目。

もう武蔵野線の混雑はうんざりなので、東武野田線で船橋へ行き、京成バスに乗り換えて会場まで行くことにした。
野田線も途中から満員になったが、武蔵野線の比では無いので大丈夫だった。

船橋駅からバスに乗車。バス停を1つ間違えて教習所から遠い場所で降りてしまう。
バスは関東にしては珍しくSuicaでの支払いが出来ない(バス共通乗車券での支払いは可能)。Suicaだと小銭を探す手間が省けるのみならず「支払履歴」が残るので便利なわけだが。仕方なく小銭を230円取り出して支払い降車。
念のためダッシュで教習所へ向かい8時半到着。余計な体力消耗だ。



8時50分。
講義の前に出欠を取る。
当方さんと呼ばれ「ハイ」と答える。
すると、何故か笑い声が。
やばい・・・また何か変なことやらかしたのか?
それとも気のせいか?


9時講義開始。
午前中で「玉掛け用具の知識」と「玉掛けの方法」を続けてやった。
講師の話を聞いてメモを取りつつアンダーラインしつつ、合間合間で昨日まとめたノートを読み返して復習。なんとも忙しい。

10時の休憩で、革手袋と呼子笛の無い人に限り受付に買いに行く。
だが当方は既にマツキヨホームセンターで購入済みなのでノートを延々と読み返す。今は買いに行く時間も惜しいのだ。
だが尿意を抑えきれずトイレに行く(マテ)。受付を覗いてみると案の定、行列が出来ていた。ざまあ。

12時昼休み。今日も支給された弁当だが、大好物のハンバーグが入っていた(子供か
これは美味い。昨日と同じ業者が作っているとは思えないぐらい美味い。
コンビに弁当にしなくて正解だった。
食べ終わるや否やノートを読み返す。


13時。「災害事例」と「関係法令」を続けてやった。
そのあと、奇跡が起きた。
「エー、では試験までまだ時間がありますので、重要な部分をもう一度最初から確認していきましょう」

なんと、ここで昨日聞き逃した「力学」の重要箇所をもう一度聞ける。
先生ありがとうございます。急に自信が沸いてきた。



15時、いよいよ学科試験開始。
直前に確認してくれたおかげでかなりの問題をカバー出来た。

中にはこんな○×問題も。
「どんな場合でもクレーンで作業者をつってはならない」
当たり前だろオイ。

見直した結果、どんなに低く見積もっても合格ラインの6割を超え68点。
学科はクリアしたも同然だろう。とりあえず良かった。



16時15分、ここからは実技試験の一部として「玉掛け用具の選定」と「質量目測」が行われる。
試験と言っても他の受講生どうし話し合ってもいいし、講師に聞いても良い。要は方法を覚えろという話。

質量目測とは、つり荷の大体の質量を見極めること。
質量は体積(*)×比重(t/*)で何tかが分かる。比重は鋼が7.8、コンクリートが2.3なのでこの2つは暗記するしかない。
目測は誤差が生じやすいので質量を10%ほど多めに見る必要がある。よって上記の式に1.1を掛ける。さらにkgに直すため1,000倍する。
つまりはこういうこと。

質量(kg)=体積(*)×比重(t/*)×1.1×1,000

だが、この試験ではスケールも巻尺も渡されない。つまり自分の手の幅などを使って長さを測るしかないのだ。
やばい。当方は手の幅を知らない。昨日講師に「自分の手の幅が何センチあるかは覚えておきましょう」と言われていたのを思い出した。
これはピンチだ。
どうしようかと悩んでいると、右手に持っている昨日まとめたノートの存在に気付く。
そうだ、ノートの罫線幅は7mmじゃまいか!
ノートのページの上に親指と人差し指をニョッキの真似をして伸ばし、約19センチと判明した。
これでいける。急いで最初の物体から測り始める。
物体は4つもあったが、3つ目を測る途中でまさかの終了。

しかも、悲劇はそれだけではなかった。
「あれ? このノート当方さんのですか?」
なんとノートを置きっぱにしてしまい講師に名指しされる。するとまたしても笑い声が。
しかもノートの表紙には「玉掛け技能講習コンプリートベスト」などと意味不明なタイトルが。










笑われるような行動はどこで取ってしまったのか。
思い出せない。心当たりが無い。


学科試験の自信はどこへやら、意気消沈のまま帰宅。


明日はいよいよ最終日、実技試験である。

◎玉掛け技能講習を23時間ぐらい受講してみた ~初日~

2009-01-24 11:56:58 | 本当の日記はこちら
2009年1月、働き始めてから初めての資格「玉掛け技能講習」の修了証を手に入れた。

嬉しい。その一言しかない。
もしかしたら落ちるのではないかと何度も思った。何度も絶望した。
だからこそ嬉しい。
働き始めて8ヶ月、ようやく一歩前進したような気がする(遅





しかし、修了証を手に入れるわずか3日前は、玉掛けの知識は初心者レベルでしか無かった。





玉掛け技能講習初日。

朝6時に起床し電車で民間の教習所へ移動。
最寄り駅の二俣新町という聞き慣れない駅に向かったわけだが、途中の武蔵野線で満員電車の洗礼を受ける。
満員電車は何度も経験しているが未だに慣れない。関東の満員電車はとにかく辛い。
だが、移動も講習のうちである(そうなの?)。合格するためには耐え抜くしかない。

市川塩浜駅で京葉線に乗り換えるためようやく満員電車から脱出。
京葉線は都心とは逆方向のためか空いていた。良かった。だがわずか4分で目的駅に到着。
そこから15分ほど歩き教習所に到着。



時刻は8時15分。
受け付けを済まして教室で待機。他の受講者を見渡すと意外にも若い人が多い。
まだ開始まで30分以上あるので仮眠(マテ
そして目を覚ますと、当方は横の席に座っていた人に驚く。




(す……スイーツ女!!)




まさかこんなところで女性に会えるとは……
しかも隣の席。運命的な何かを感じる。だが可愛くはない。

しかし、当方のような力を要する仕事に女性はいないのが当たり前。
玉掛けという資格も事務とか受付嬢の方には無縁である。
一体どういうことなのか?



9時、いよいよ講義開始。
渡されたばかりの教本を使って講義は進められた。
そう、玉掛けという資格は講習と試験がセットになっているため、事前の勉強は不要なのだ。
今日からの3日間で全て決着が付く。それはそれでプレッシャーなわけだが。

まずは「クレーン等の知識」から。
講義はノートPCとプロジェクターとOHPを用いて進められた。
使用ソフトはパワーポイントかと思いきや、なんと“アドビリーダー”。
教本の全ページをスキャンしたPDFファイルがOHPに表示され、しかも最初から試験に出る重要な箇所にアンダーラインが引いてある。
すげぇ……パワーポイント使うより分かりやすい。
このやり方は義務教育でも実践すべきではないか。歴史とか暗記科目には重宝するだろうし、教師が教科書読んで黒板に書くよりも何倍も分かりやすいではないか。

とにかく分かりやすい講義のお陰で容易く理解できた。

さらに当方は独特の覚え方で理解を早める。
例えば、一般的な移動式クレーンに「クローラクレーン」と「ホイールクレーン」がありどちらも重要だと言われたが、
前者に「フローラ」、後者に「ビアンカ」と名付けて親しみを持たせた(マテ)。フローラ→クローラの連想は容易に出来る。ちなみに当方はビアンカ派である。
また「テルハ」というクレーンは当然「青山テルハ」と覚える。

こんな感じで順調に覚えていった。早くも「これはいける」と確信した。


12時昼休み。弁当が支給される。
これは希望者に限り朝のうちに食券を事前購入するシステムで、400円とまあまあ安いので買った。
だが、あまり美味しくない。印象に残らなかったのか、メニューはレンコンの天ぷらしか記憶に無い。
働き始めてから昼飯の有り難みに気付いた当方にとって、それが美味しいか美味しくないかの違いは大きい。
これでは午後の鋭気を養えない。明日はコンビニ弁当でも買って持参しようかと思ったが、荷物がかさ張るのでやめた。
ちなみに、スイーツ女は彼氏か男友達か知らんが、その男とずっと話していた。別にショックではない。



13時、午後の講義開始。
ここからは「力学に関する知識」に入る。
しかし、物理は大の苦手な上に、ここに来て睡魔が襲う。
そしてとうとう、
(ZZZ……)

寝てしまった。なんと午後の講義の7割は記憶に無い(ぉぃ
午前の自信とは真逆になっていた。しかも明日は午後に学科試験がある。これはやばい。

自宅に帰り、夜は猛勉強した。
「クレーン」はアンダーラインを引いた箇所をノートにまとめ、「力学」は勘で重要箇所を選んでまとめた。



明日の学科試験はどうなってしまうのか。


つづく

◎「ハヤテのごとく!」の伏線を全部調べてまとめてくれる人募集中

2009-01-23 19:12:31 | もはやチラシの裏レベル
問題です(ぇ


写真の弁当の価格はいくら?

ただし、
◎惣菜を量り売りする惣菜屋で当方がプラスチック容器に自由に詰めたものである。
◎内容は見ての通り、肉じゃがと酢豚と焼きそばである。
◎容器の大きさは右上の缶飲料を参考にせよ。
◎容器の重さも含めた上で、100gあたり140円で算出される。
◎もちろん缶飲料の価格は含まない。
◎実際の価格の十の位を四捨五入した値を正解とする。



正解は↓
















1,000円でした。
(本当は968円、692g)






詰めすぎたorz

◎生きてるって何だろう、生きてるって何?

2009-01-20 00:20:26 | 本当の日記はこちら
やべ……名探偵コナンのスペシャル見逃した……



サンデー掲載時には2chで祭になったあの話をついにやるというのに……

2chで実況しながらリアルタイムで観たら最高に楽しめただろうなあ……




じゃあ何をしてたのかというと、
会社が終わってから普通に漫画喫茶に寄ってました。
ニコニコ開いてちょい氏のドラクエ7実況プレイ観ておりました。

なんかもうそれが数少ない楽しみになっていて、週に3回は観ています(何


というか、漫喫に行くこと自体が心のオアシスになってる件



随分と金のかかるオアシスだこと……



でもね、
金を使わない→我慢する→ストレスが溜まる



このように節約とメンタル面が反比例している(?)わけだから

節約すればストレスが溜まり
ストレスを発散すれば金が減る。



難しいものだな……

◎怠け者は時間的効率よりも体力的効率を選ぶ

2009-01-19 20:31:10 | 思ったことそのまま
2007年大晦日に突然の芸能界活動休止発表をし、アメリカやタイなどで買い付けた古着の販売に転向したグラビアアイドル若槻千夏。



そんなフリーダムな彼女が書籍『ちなつの歩き方』を出版した。



読んでみた。



古着の買い付けに行った様々な国での出来事を日記やブログに書いており、それが本になったもの。



面白い……悔しい程。





まあそりゃ、アメブロのオフィシャルブログは一時期アクセス数断トツの1位で殿堂入りの快挙を果たすぐらいだからねえ。



当方みたいなブログがいかに稚拙かが痛感させられる。



誰でも出来るヤフオクなんかとは規模が違う、仕入れから始める本当の“商売”の難しさ、それを全部一人でこなす孤独との戦い。
その中で様々な人と出会い、助け合い、励まし合い、時には喧嘩もしつつという、古着を通して一人の少女が成長してゆく旅の記録……………だった。2度目のタイ編までは。





後半の3・4度目のタイ編、ベトナム編、インド編は古着の買い付けも一切せず、ただの気まぐれ旅行日記となっております。





1,365円返せ。

◎ペロリンチョ・・・これは青酸カリ!

2009-01-18 07:57:34 | もはやチラシの裏レベル
なんかキモイ文章が続いてしまったな・・・(汗
直前の記事なんか真面目そうに見えてただの紺野ヲタの独り言じゃねーか(冷汗

イヤ別に紺野ヲタではないのだが(わかったわかった
物語を書いた後で知ったが、紺野の慶応合格の件はネットでは批判が多いのね。
イヤまあAOだから仕方ないんだが、紺野の頭の良さはガチです。





気分を変えて「ブログ通信簿(gooラボ)」なるものをやってみました。




画像は携帯の方は読みづらいかもしれないのでテキストを起こします。


>氏名:78回転の限定盤◎ ~沈めば浮かぶ~
>性別:男
>ブログ年齢:59

>主張度:4
>気楽度:3
>マメ度:4
>影響度:2

>通信欄:あなたは「新聞委員」タイプです。自分の意見が言えて、マメなあなたは何をやっても成功します。もっと目立ってもいいと思いますよ。よく話題にしている就職活動の知識や経験をいかして、詩人を目指しましょう。




すげぇ過大評価w
まあ最新10件の記事をもとに評価しているから「マメ」ということになっているが最近はサボりまくりだしな。
何で詩人かは解らんが・・・
あと、ブログ年齢:59って何だ?

まあ後日またやってみよう。

◎Red to Gold ~赤点少女・紺野あさ美の物語~

2009-01-18 00:25:38 | ある少女の物語
 2001年夏。当時のモーニング娘。は、リーダーの飯田、エースの安倍・後藤を筆頭に最強メンバーが揃い、“黄金の9人”と呼ばれるほどの完成形を得ていた。
 そんな中で決行された4人のメンバー増員。そのうちの一人が紺野あさ美(当時14歳)だった。
 黄金の9人に4色が混ざる、それは果たしてプラスになるのか。ファンの間でも賛否両論だった。ましてや紺野はオーディションの最終選考に残った中では最低の成績で、つんく♂プロデューサーに赤点を付けられた存在。肩身がとても狭かった。

 しかし“赤点少女”だからこそ、過酷なボイスレッスンとダンスレッスンを人一倍、同期の他のメンバー以上に努力した。出来ないことだらけで涙する日も多かったが、

「何に対しても努力するところを見てほしいと思います」

 最終選考で口にしたその言葉が嘘にならないためにも、今は諦める訳にはいかない。
 そして彼女は、つんく♂Pの言葉を信じていた。

「歌もダンスも赤点やけど、そいつと最初に出会った時のインスピレーションに賭けたいと思いました。紺野には原石の光を感じます」

 2001年10月。紺野を含む5期メンバーが加入して初のシングル「Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~」がリリース。わずか1週間で30万枚を売り上げ、累計はなんと50万枚を超えた。
 赤点少女は足を引っ張らなかった。紺野を含む5期メンバーは世間に認められたのだ。“黄金の9人”は“伝説の13人”へと進化した。

 その後も、決して目立つとは言えないポジションに就くことが多かったが、まっすぐ真剣に努力する姿勢と諦めない芯のある志は、いつしか紺野の存在感を大きくさせていた。

 そして2002年9月。数々の名曲を世に残して来た娘。内ユニット“タンポポ”の新メンバーに、なんと紺野を含む3人が抜擢された。さらに翌年7月には、カントリー娘。の新たなサポートメンバーとして藤本と共に起用されたのである。

 また、この頃から紺野はバラエティー番組の学力テスト企画でトップの成績を収めるなど、持ち前の学力で秀才キャラを確立させていた。
 さらに、ハロー!プロジェクトのメンバーで結成されたフットサルチームでも、紺野は陸上と空手で培った運動神経を活かし、キーパーとして大活躍していた。
 そう、いつの間にか紺野は、頭が良くて運動神経抜群、そして歌もダンスも上手い“優等生アイドル”に化けていたのだ。

 そして、2006年7月。

「(オーディションでは)赤点だった自分をここまで育ててくれたメンバーとファンの皆さん、そしてつんく♂さん、本当にありがとうございました」

 紺野あさ美はモーニング娘。を卒業した。
 5年前の姿が嘘のように、娘。を巣立ちゆく彼女は輝かしい光に満ちていた。赤点少女は黄金に染まったのだ。

 そのわずか1ヶ月後に、8科目もある高卒認定試験を受験し見事に一発合格。その年の12月には、慶應義塾大学環境情報学部のAO入試に合格したのである。
 1日11時間勉強すると決めて取り組んだ時期もあり、少しの休憩でも自分は今サボっているのではないかと追い込ませるほどのやる気と努力があったからこそ、未知なる挑戦も成し遂げられたのだ。

 モーニング娘。として多くの伝説を残して来た紺野あさ美も今や21歳。一人の大学生として新たな道をまっすぐ真剣に歩き続けている。

「何に対しても努力するところを見てほしいと思います」