
母は10月2日午後5時11分に息を引き取りました。
告別式は10月4日でした。身内だけで見送りました。

病院で湯灌をする時立ち会い、私も手や足や背中、髪も洗いました。
化粧もしましたが口紅やファンデーションの色などを選ばせてくれました。
手際よく、しかも丁寧に綺麗にして下さいました。
何より嬉しかったのは母の生前のいろいろな話を聞いてくださったことです。
私のblogまで見て下さいました。

葬儀場でも湯灌をしました。病院でしたことを伝えましたが、浴衣だったので白装束に着替えてはどうかとのことでした。
せっかく、病院で私もいっしょに綺麗に湯灌したのにそれが無になったように感じました。
キッパリと断れば良かったと後から思いました。
母はそれはそれは綺麗でした。納棺師の方も「とても91歳には見えない。」と言っておられました。
母は笑顔が印象的な人でした。いろんな方からよく褒められました。

質素なお葬式でしたが、身内だけということもあって、温かく和やかな式でした。
初めて喪主を務めることになりました。
挨拶をするのが一番の大役でしたが、身内だけなのでそれほど気を張らずにすみました。

母の生前の写真をたくさん飾らせてもらいました。
今回の写真選びの中で、母が職場で働いている時のものを見つけました。
こうして働いて、私たちを育ててくれていたのだなと思いました。
母は父が転職を繰り返し、お金に苦労して子どもたちを育ててくれました。
でも、弱音や愚痴を吐くことはありませんでした。いつも明るい母でした。
母は家事、仕事、子育ての合間を縫ってたくさんの本を読みました。
『本棚が私の宝物』と言っていました。音楽、美術鑑賞も好きでした。

母のことを思い出すたびに、その時の感覚や光景などが思い出されます。
と同時にもうその時には戻れない虚しさ、やるせなさも感じます。
私と母はもともと仲が良かったのですが、あることをきっかけに私は母のすることなすことに腹が立って腹が立って、どうしょうもない時期が長く続きました。
私は思春期の反抗期はなかったのに、今頃(当時)になって反抗期を迎えたかのようだと周りに話していました。

それが収まったのは母が弱って来てからです。
なんとおとな気のないことをして来たのだろうと申し訳なく思いました。
そのことに気付いてから罪滅ぼしとして、母に出来るだけのことをしようと思うようになりました。
何でもっと早く出来なかったのかと思います。
とても尊敬する母でした。
私は一昨日までは疲れて寝ても寝ても体が沈み込みそうでしたが、昨日から元気になって来たように思います。
私は時々は涙が出ますが、どうも心が平坦というか、心から込み上げてくる感じがありません。
薬の中に気持ちの上がり下がりをなだらかにするものがあるからかとは思いますが、泣きたいのに泣けないもどかしさなようなものを感じています。
お母様の御逝去に接し
心からお悔やみを申し上げます。
2年前に父が急逝した時の悲しみを思い出しております。
ブログで拝見したお母様の素敵な笑顔は
私にもとても印象的でした。
どうかご自身のお身体とお心、ご自愛くださいませ。
マグノリア
87歳でしたか、もう少し生きてほしかったですね。
私はいつも、母に100まで生きるよと言って来ました。
本当に元気だったからです。まさか、91歳になってがんになるとは…
手術がうまく行ったのに食べることが出来なくなるとは…
母が喜んでくれていると嬉しいです。
笑顔の母をいつも思うようにしますね。
確かに家族ということで甘えてしまった部分が大きいと思います。
一番母のことをよく思っていない時期に同居したことも摩擦が大きくなってしまったと思います。
でも、母はこの家を終の住処だと言ってとても喜んでいました。
そんな母を施設に行かせてしまったことも申し訳なく思っています。ちょうどコロナ禍でした。
お母さんは若くして旅立たれたのですね。もっともっとお母さんと話したかったこと、したかったことがたくさんあったことでしょうね。
これから悔いることがたくさん出てくるような気がしますが、皆さんの励ましで乗り越えることができるような気がします。
ゆうちゃんさんにもお母さんとそのようなことがあったのですね。
私は母を悲しい思いをさせてしまったことを悔いていますが、母は幸せだったのではないかと思います。
それは、私も弟も退職していて頻繁に会いに行くことができたからです。
弟は金沢から1週間おきぐらいに5回来ました。そして、1週間近くいて、毎日母に会いに行きました。
私も体調が良くなかったり、ヘルパーさんが来てくれていけない日もありましたがご近所さんが車を出してくださり、行ける日が増えました。
たった10分というのは短すぎましたかコロナが猛威を振るった頃は全く面会できなかったのですから母にとっては良かったと思います。
母は4年前に病気で病院から特養に変わって
1ヶ月半で亡くなりました、87歳でした。
なので生きていれば お母様と同い年?
87歳でも 充分長生きできたとは思いますが
あの時こうしたら、もっとああしていたら・・
亡くした後の後悔は尽きないもので それは
誰にもあると思います。
クローバーさんのお母様への献身は 過去の
仲違いの頃に利子がつくほど十分に返せたと
思いますよ。
それにお母様は最後に仲良くできて それだけで
嬉しかったと思います。
これからはお母様の素敵な笑顔を思い出してあげて
クローバーさんご自身も ご自愛くださいませ。
ブログで知り合いになってから、短い期間ではありますが
お母様の為に精一杯されてきたと感じます。
血のつながりがあっても色々ありますよね。
家族だからこそって事もあるのでは、とも思います。
綺麗なお顔での旅立ちが、お母様の生き抜いた証ですね。
クローバーさん、お疲れが出ませんように。
落ち着かれたら、またお母様のお話を聞かせて下さいね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
いろいろありましたね。
私は母とは34年間の短い間でしたが、
思い出すのは、あの時あんなこと言わなければよかったとか、あの時、、、
後悔ばかり、、、
でも、楽しい事一杯あったよね!
一緒に旅行行ったり😊
お母さまはちゃんとわかってくれてますよ!
お辛さが体に出ませんよう、暖かくなさって
どうぞお大事になさって下さい。
私も母と上手く行かない時代がありました。
中学の頃なんて、1年くらい殆ど話さなかったのです。
事情があって母と幼少期を暮らさなかったのですが、
暮らすようになってからの方が、どうも上手く行かなくて。
ぶつかってイヤな事があっても、やっぱり
いつかは仲直りするし
寄り添って過ごして、思いやる。
それが素敵な家族だと思います。
クローバーさん、素敵な娘さんだなぁって
いつも思って読んでいました。
私は子供の頃、父親似でしたが大人になるにつれて、お母さんに似ていると言われることが増えてきました。
嬉しいと思う反面、いや、でも違うと思うことがしばしばでした。
顔よりも知的な面をもう少し母に近づけたらと思いますが難しいです。
お母様がお亡くなりになられたと聞いて驚きました。
ご冥福をお祈り致します。
お綺麗で本当に笑顔が素敵なお母様でしたね。
ベッドの上でココちゃんと一緒に微笑まれてるお母様のお写真、とても素敵で印象的でした。
お母様と海外旅行されたお話を伺って、仲の良い母娘さんだと羨ましく思いましたよ。
四つ葉のクローバーさん、ココちゃんとお元気にお過ごし下さいね。
ブログではいい娘のように写っているのではないかとむず痒さを感じて来ました。
いつか、母に悪態をついて来たことを書かねばと思っていました。
minai-himeさんの言われるように直後は何を書けばいいか頭が回りませんでした。
葬儀が終わって、ほんの少し落ち着かれた頃でしょうか。
私もその頃に、母が亡くなったことをblogに書きました。
コロナ禍以降、家族葬が主流になり、うちもそうでしたが、
本当の身内だけでよかったと思います。
よくやられたと思いますし、お母さまもきっと感謝されていますよ…
はじめのうちは気を張っていましたがどんどん疲れが出て来て、1日に12時間くらい寝ることが何度かありました。
今はずいぶん楽になって来ました。
笑顔で旅立ったと思いたいです。
大変でしたね。お体ご自愛下さい。