私は多分、中学3年生の頃にはその兆候があったのではないかと思っています。
双極性障害は10代から20代の初めに発症する事が多いそうです。
その後、たびたび症状が出て、20代前半から精神科に行っていました。
でも、長い間、診断名は聞いていませんでした。こちらから聞かなかったこともあると思います。
初めて、はっきり告げられたのは2011年の「うつ病」でした。後で遡って過去にかかった病院で診断書をもらってみると1997年からうつ病となっていました。
私は父親によく怒鳴られました。叩かれたこともあります。
母親からは「こんな成績、 取ったことがない。クラスで○番以下になったことはない。」とよく言われました。悪い成績を取った時、学校からの帰り道の情景を今でも覚えています。
激しい夫婦喧嘩も頻繁でした。父は母を殴ったり、服を引きちぎったりしました。何度か母から「お父ちゃんとお母ちゃんが別れたら、どっちにいく?」と聞かれたことがあります。
また、子どもの頃、今でも引きずるような心の傷を受けたことがあります。
双極性障害の原因にはいろいろな説がありますが、私の場合、子どもの頃のこのような体験ももしかしたら影響しているのかもしれません。
父がよく仕事を辞めるので、母は働きながら3人の子どもを育てるのに苦労しました。
私は働きながら、夜学(短大-3年間)に行きました。
1992年頃に人生で一番酷いうつ状態になりました。
乳癌により左側の全摘手術。その治療に伴う女性ホルモン(エストロゲン)の減少、仕事上の困難、そして、離婚が重なりました。
乳癌を克服し、仕事を頑張ろうと思っているのに憂うつで力が出なく困りました。
判断力が鈍くなり、仕事にも支障が出て来ました。職場の人が見かねて、精神科に連れて行ってくださいました。
その頃、歩いていると、どんどん地面にのめり込んでいくという感覚を味わいました。
身体が鉛のように重く感じました。自分の心を振り返るたびに暗くて憂うつで哀しい気分でした。
女性ホルモンは精神を安定させる働きがあります。急激な女性ホルモンの減少は更年期障害のような症状を引き起こしました。
私は39歳の時の手術だったので、女盛りに急ブレーキがかかったようだと思っています。
当時のことを人に話す時、「職場でも地獄、家でも地獄、体も地獄、頭(脳)も地獄だった。」と言っています。
何年かたって落ち着いて来ました。自分の心を振り返ると明るく軽やかになっていました。その頃、友人が「声が以前と全く違う。」と言っていました。
仕事を休まず、何とか乗り切りましたが、その時は更年期障害休暇がほしいと強く思ったことを覚えています。
職場の人たちからの支えがあったので、乗り切れたと思っています。足を向けて寝れない人が何人もいます。
でも、元々、自分の実践に自信がなかった上に、このこともあって、自分にはこの仕事は向かないとの思いがどんどん強くなりました。
辞めることが頭から離れなくなり、50歳で早期退職をしました。
トルコ