円覚寺踏切を渡ったあとは、北鎌倉駅の下りホームに沿った狭い道を北上します。
横須賀線の車両は15両編成と長いので、しばらくの間はホームと並走です。
左手にはオシャレな工房などもちらほらと見受けられます。
どれも新しそうなので、ここ最近できたのでしょうか。
ホームが途切れるころには、小さな素掘りのトンネルが現れます。
看板が多く建っており、「落石注意」や「車両通行不可」と書かれている一方で、「貴重な文化財です」と書かれています。
この小さなトンネルは、今後の駅前再開発のため壊される予定ですが、相当に歴史のあるものでもあり、保存と破壊で意見が分かれていました。
しかしながら、訪問後の2015年の4月からこのトンネルは通行止めとなり、いよいよ開削されてしまうようです。
多少不便ながらも、ここにしかない景観に愛着を感じていた方も多いのではないでしょうか。
駅前という立地ながら、21世紀まで残されてきたことがすごいです。
トンネルを過ぎれば、また線路に沿った普通の道に戻ります。
右手に急な石段があり、高台に鳥居が見えたので、誘われるように登ってみると、八雲神社と呼ばれる小さな神社でした。
南西向きの明るい神社ですが、どうやら歴史は古いらしく、この地で疫病が流行した際に京都の祇園社を勧請したことにはじまると言われています。
そのため、江戸時代までは牛頭天王を祀っていましたが、現在は素戔嗚を祭神としています。
境内には本殿のほかに、もう一段高くなった場所があって、そちらの方が歴史が濃そうな匂いがします。
左手にある大きなクスノキは、太い根を露わにして、石段を押しのけるほどの生命力。
階段を上がった場所には摂社ほか、碑文がいくつか。
鳥居の左手には「安倍清明 神君」と書かれた立札があります。
この目の前には鹿島神宮の要石を彷彿とさせる大きな石が埋められていますが、これを「清明石」として祀っているそうです。
「清明石」は知らずに踏むと足が丈夫になると信じられてきた石で、昔は近隣の道路に埋まっていたと言われています。
またこの石は、故意に踏むと祟りがあるとも言われているそうです。
清明は安倍晴明のことだと言われているそうですが、この北鎌倉の地には清明にまつわる地がいくつか残されているのです。
平安時代中期の陰陽師として知られる安倍晴明が、なぜ鎌倉で伝説化しているのか。
またなぜ晴明ではなく、清明なのか。不思議です。
この神社にはさらなる文化財があるということで、一度境内を出て、清明石や摂社のある場所の裏手に回ります。
境内にはよく日が当たりますが、こちらは薄暗いです。
道路から伸びる細い路を入ると、切り立った岩肌にいくつかの石碑が並んでいます。
ここにならぶ石碑は庚申塔は寛文5年造立の鎌倉最古のものとして知られているそうです。
庚申塔とは中国道教に影響を受けた民間信仰です。
この信仰では、体内にいる三尸という虫が、60日に1度、身体から出て天に昇り、その人の罪を告げて寿命を縮めるとされる「三尸説」をもとに、
三尸が体外へ出るとされる日は、虫が外へ出ることができないように、儀礼を行うなどして寝ずに過ごしていました。
庚申の日の徹夜は、人々が集まって行われ、地域や共同体の講として発展しました。
塔を建てるのは、庚申講を3年18回行った記念に建てられることが多いようです。
各地域に根差した庚申信仰は多岐にわたり、庚申塔に刻まれているものも様々です。
例えば、庚申の「申」の字が猿に繋がるとして三猿が彫られたり、本尊である青面金剛という神を彫ることがあります。
庚申塔はある程度の歴史がある地域では簡単に見ることができるのですが、江戸時代前半のものは珍しいそうです。
庚申塔から先に進むと、本殿の手前まで戻って来ることができます。
西に目を向けると、富士山の姿も。
そのまま、階段を下りて北鎌倉駅へと戻ります。
北鎌倉の名もなき路散歩。
表通りを歩くだけでは出会うことのできない、隠れた風景たち。
また、禅寺のイメージの強いこの町に住む人々が紡いできた、小さな神々たちにも出会うことができました。
観光地で感じる普段の生活。
いつでもどこでも、人々は普通に暮らしています。
観光地図に頼らない、何に出会うかわからない散策も楽しいです。