Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

新戸トンネル

2015-12-09 23:23:00 | 神奈川




新戸隧道はキャンプ座間の下を貫通する唯一の一般道路で、相武台前駅と一段地形の低い新戸・新磯方面を結ぶ貴重な道である。
キャンプ座間は相模原市から座間市にかけての広範囲を占めており、往来には迂回を強いられている。

駅前から続くこの道は、約1kmに渡って他の道と交差・分岐しない専用道路になっている。
敷地内が見えないように新戸側半分が隧道で、相武台側半分が切通し区間。

しかも自動車は新戸方面からの一方通行であり、案内板も少ないので地元の知る人ぞ知る道であった。
一応歩道があるので、歩行者での通行も可能。


どうやら掘削されたのは座間キャンプ以前、陸軍士官学校時代(正確には1937年ごろ)のようで、相当な古株である。
いつかこのトンネルに軍人が出ると風の噂で聞いたことがあったが、その理由が何となく理解できる。

そのため薄暗く、陰気な雰囲気が拭いきれないので、近年大規模な改修工事が行われている。
もう、かれこれ4、5年ほど工事を行っているようで、現在通れるのは、歩行者と自転車のみだ。




■2010年8月




相武台前側の坑口。
500mに及ぶ隧道のため、待避所が数か所と非常電話が設置されていた。

内部には隧道特有のオレンジ色の照明のほか補助照明もいくつかある。







直線のため、出口を望むことはできるが非常に長い。
壁面のコンクリートも老朽化しており、模様のように見える。

2010年まで新戸側に県立新磯高校があったため、登下校時には多くの高校生が通っていたが、中間や夜間に通る人は少ない。
1kmにわたって人目に付かない場所が続くため、敬遠されていたようであるが、徒歩で通行している人もいるにはいた。







■2015年9月

 



相武台前駅側の入口。
厳重なバリケードが設置されており、歩行者・自転車のみ通行できる。






一気に高度を下げて、一般道をアンダーパス。
下り坂の切通し区間が約500m続く。
しばらくは直線区間。





定期的に待避所が用意されていることからも緊急車両が通るためか、それとも以前は片側通行ではなかったのか。
謎が深まる。

切通しの上に針葉樹林が見えてくると、座間キャンプ内に入ったことを示している。
道路は一度鉤の路にカーブして、もう一度直線区間になる。








隧道の入口は2015年9月現在見ることは出来ず、歩道橋を上って仮設道路を通ることになる。
両サイドをパネルで塞がれ、天井にも柵が設置されているので、周囲の状況は確認することができない。
仮設区間は短く、また階段を下りる。






隧道は新たに掘削され、以前より広くなった。
しかし、片側1車線+歩道を設けるなら若干狭いような気もする。

以前は直線だったが、新たな隧道は途中で大きく左にカーブしてからもう一度右にカーブしている。
何かを避けるように道路が迂回しているような構造となっている。

隧道は自動車の事故が多いため、なるべく曲線は好ましくないように思うが、なぜ効能な形状になったのだろうか。






隧道の構造を見ると、切通しと同じ工法で開削してから、天井に蓋をしたのであろう。
他に特に構造上目立った箇所はない。

以前は天井に通気口のようなモノがあったがなくなった。






カーブを過ぎると出口が見える。
新戸側は隧道を出るとすぐに住宅街になっている。






路面も舗装しておらず、しばらくは歩行者専用の期間が続くと思われる。
これからどういった道路になっていくのか楽しみではある。

 



新戸側坑口。
壁面も新たに造られたものに変わった。

 



新戸側のバリケード。


原鉄道模型博物館 いちばんテツモパークジオラマ

2015-09-26 18:03:16 | 神奈川

 




みなとみらい線新高島平駅からすぐの三井ビルディング内にある原鉄道模型博物館。

この博物館は原信太郎(1919-2014)が製作・収集した鉄道模型のコレクションを公開しており、鉄道模型専門の博物館です。
自身が再現した多くの模型は国内の鉄道にとどまらず、ヨーロッパやアメリカなど世界を渡り歩いて記録・製作していました。

館内の見どころは、一番ゲージと呼ばれる規格の巨大ジオラマ、「いちばんテツモパーク」。
全体で再現されているのは日本ではなく、欧州の街と郊外の景観。
それもそのはず、走行している模型は海外の車両が多いのです。

時計台のあるターミナル駅を中心として、一周しているコースには隧道や鉄橋も存在しており、角度によって様々な景観が楽しめます。
NゲージやHOゲージと比べて、規格がおおきい分、リアルな造形が見どころとなっています。
また、実際に架線が張り巡らされており、模型車両はそこから電気を供給するという徹底ぶり。
思わず見入ってしまいます。

通常走行する模型とは別に、指定の時間のみ走行する模型もあるようです。

開館当初は写真撮影は禁止でしたが、現在は可能ということなどので楽しみも増えますね。





ジオラマ中央に位置する駅舎はパリのリオン駅に似ています。
駅のホームは背後に、手前にも高架線が走っています。



中央の駅のそばには路面電車の始発駅があります。
このジオラマは人物もしっかりと表現されていて、車両を走らせるだけにとどまらず街全体の再現を行っています。
マニアでなくとも楽しめそうです。



向かって右手には鉄橋が架かっています。
軌道にも曲線が用いられて、ジオラマならではの複雑な景観を作り出しています。


 



定期的に車両が通過します。
薄暗いこともあり、近景はなかなか写真では撮りづらくもあります。





向かって左側は中央駅から郊外へと移行しています。
鉄道だけではなく、道路や自動車なども見どころです。
 



鉄橋との立体交差です。
信号機や踏切も列車の走行と連鎖しています。





緑の多い、郊外の風景です。
奥に転車台もあります。



左側のカーブの先は隧道になっています。
高架橋の作業場に保線の人がいるのを発見しました。






一番手前を走る線路にも別の駅舎とホームがあります。

留置線にはいくつかの車両が停車中。
手前側は日本の車両っぽいですね。



扇形車庫にはたくさんの蒸気機関車。
若干遠いので、4倍ズームではこれが限界。





貨物駅でしょうか。
作業風景が再現されています。
その目の前を旅客車両が通過していきます。







個人的に好きな場所は赤色の鉄橋付近。
人工物のごたごた感と、弧を描いて走行する車両が絵になります。

 



照明が一定のサイクルで朝、夕、夜に切り替わります。
夜は街中の建物の明かりがついて幻想的です。

車両も室内照明が点灯します。

 


原鉄道模型博物館

2015-09-25 02:00:53 | 神奈川




横浜にはオシャレなミュージアムが多いのですが、2012年に開館した原鉄道模型博物館も大人も愉しめる素敵な博物館です。

みなとみらい線開業以降、開発が進められている新高島平駅からすぐの場所に建つ横浜三井ビルディング。
原鉄道模型博物館はその2階にあります。

この博物館は原信太郎(1919-2014)が製作・収集した鉄道模型のコレクションを公開しており、鉄道模型専門の博物館なのです。
自身が再現した多くの模型は国内の鉄道にとどまらず、ヨーロッパやアメリカなど世界を渡り歩いて記録・製作していました。

第一展示室から始まる前半部はディスプレイされた鉄道模型を展示、後半部はこの博物館自慢の「いちばんテツモパーク」を中心としたジオラマ展示といった構成になっています。

 


第一展示室は「原模型の神髄」。
原信太郎が製作した鉄道模型の代表作7点が展示されています。
このコーナーは、よほどの鉄道車両か模型マニアでなければ車両の名前を聞いてもさっぱりな展示です。
ただ、ディスプレイと照明が綺麗なのでじっと眺めていると、緻密だなあと感心してしまいます。


 



中にはオリエント急行や、2015年にJR九州が運行を開始したSWEET TRAIN「或る列車」の基になった車両の展示もあります。
或る列車は1906年に九州鉄道がアメリカに発注した豪華客車で、その後に九州鉄道は国有化されて活躍のないまま眠りに就いた幻の車両。
原氏は九州にて眠りについていた豪華客車の詳細なスケッチを残しており、鉄道模型も作っていたのでした。

 



第二展示室は「語る模型」。
この展示室では膨大な数の所有模型がずらりと並んでいます。

鉄道模型にもさまざまなサイズが存在するらしく、私たちがよく目にするNゲージよりはるかに巨大なも模型が中心です。
中には抱きかかえるほどのサイズもあります。

所蔵品の核を成すのは国外の鉄道車両。
この博物館、しいては原信太郎のコレクションの特色をここで理解することができます。

国内の鉄道が好きで訪れた方は少し戸惑うかもしれません。









第三展示室は「ヴァンテージ・コレクション」。
氏は幾度も海外を旅して鉄道模型や資料の収集を行ってきました。
この展示室では旅にまつわる貴重なきっぷやコレクションが展示されています。

レトロな懸垂電車模型も可愛らしいです。



 




パサージュはお洒落な鉄道模型屋さんといった感じの展示。
ここではHOゲージと呼ばれる規格の模型を扱っています。

国際的にはこのHOゲージが主流だそうですが、鉄道模型にも多くの規格があるようです。



 




細長いパサージュを抜けると、いよいよ博物館の目玉であるいちばんテツモパーク。
こちらは一番ゲージと呼ばれる規格の模型で作られた巨大ジオラマです。
一番ゲージでは世界最大級のジオラマだそうです。

他の鉄道博物館と同じく、照明によって昼夜を表現したり時間限定の車両を走らせたりしているようです。

詳しくはこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/fujizero3/e/3efc818269c85ace18ff9aa5c2414122

 




一番ゲージの特徴は、日本で普及しているNゲージに比べて大きい規格であること。
そのため、車両や建造物の再現度が高いということが利点です。

このジオラマではヨーロッパの町並みが再現されていて異国調なところもオシャレです。

ベンチも用意されているので、空いているときはいつまでも眺めていられます。






最後は横浜ジオラマ。
いちばんテツモパークに比べると小規模ですが、京浜東北線など、馴染の車両が走行しています。

神奈川県庁や横浜税関の建築も再現されています。



原鉄道模型博物館。
鉄道好きの聖地というよりかは、模型趣味や懐古主義な人にお勧めできるオトナの隠れ家的空間です。
展示が日本の現代の鉄道とは距離を置いていて、海外であったり前世紀の見たこともないような車両。
中心となるいちばんテツモパークジオラマは特に、現実とは切り離された異国世界が忠実に作り上げられており、鉄道や模型に興味がなくとも引き込まれてしまう空間になっています。


三井大橋 & 三井そよかぜ橋

2015-09-11 23:10:59 | 神奈川



相模原市緑区の津久井といえば津久井湖を有する山間の町。
もともとは中世から山城である津久井城が存在し、古くからこの地には人が暮らしていました。

相模川の水量調節と水力発電を主な目的として1965年に城山ダムが完成し、津久井湖ができました。
これに伴い、いくつかの集落が湖の底に水没することになりました。
現在は人の暮らしと自然が調和した景観を見せていますが、この湖はもともと人の造り上げた二次的な自然と言えます。

近代以降、産業や生活用水を確保するためにこのような湖が多く建設されています。
市内だけでも相模湖(1947年)や宮ケ瀬湖(2000年)がそのひとつです。

その一方で、都心部からそう遠くないダム湖は、モータリゼーションが進んだ昭和30年代ごろから行楽地として知られるようになり多くの人が訪れました。
相模湖にはピクニックランド(現:プレジャーフォレスト)が出来、津久井湖もボートや釣りなど気軽に自然を楽しめる場所として県内および多摩地域からの多くの観光客で賑わったと言います。

特に津久井湖は、湖畔を周遊する県道513号があり、ドライブやツーリング客が多かったとか。
その県道の一部として、また湖に隔てられた集落との連絡を図るために建設されたのが三井大橋と呼ばれる鉄橋です。

県道513号の起点は緑区の橋本方面から、城山・津久井・相模湖の町を結ぶ県道413号「太井」交差点。
そこから下り坂を左に大きくカーブすると三井大橋が忽然と姿を現します。

朱色に塗られた鉄橋は周囲の自然と体色を成しており、印象的。
片側一車線の狭い橋であり、2012年に隣に歩行者専用の吊り橋、三井そよかぜ橋が作られたようです。

橋を渡ると県道は、この橋の名前となっている三井集落へと続き、その先は湖を周回して城山の集落までを結んでいます。
三井の集落まではバスも走っているようですが、それほど大きい町でもなく、周囲に駐車場もないため、立派なつり橋も誰が利用するのかなと不思議ではあります。

また、三井大橋は心霊スポットとしても知られていますが真意は不明。
宮ケ瀬湖の虹の大橋をはじめ、湖に架かる橋には色々といわくがあります。

どうやら自殺者が多いとか、県道でのバイク事故が多いとかそのような事実が心霊スポットとしてのイメージをつくっている要因のようにも思えます。

三井大橋周辺は人家もないため、夜に訪れた際は少し怖かったものですが、そよかぜ橋が完成してからは街灯も取り付けられて以前より明るくなりました。







シンプルで細身の三井大橋は女性的な美しさがあります。




三井大橋と並行して架けられています。
歩行者用だからか、照明は明るめです。




晴天時に訪れれば、満天の星空を眺めることができます。


観音崎トンネル巡り【増補版】

2015-07-01 00:23:31 | 神奈川

 

明治以降、急速に各地に普及していった隧道。
その初期を飾る隧道遺産が横須賀には残されています。
もともと山の多い地形であったことと、明治期に横須賀に軍港が整備され、千葉や三浦半島の沿岸部は要塞としての性格を帯びていったことが挙げられます。

また、隧道の建設時期も様々なため、多種多様な隧道が残されています。

東京湾に突き出た観音崎には江戸時代後期から東京湾の要として砲台が整備されたことに始まり、明治期には海軍施設も隣接する軍事色の濃い場所でした。
自然豊かな場所のため、現在では県立観音崎公園として整備されていますが、公園の中には多くの軍事遺跡がひっそりと残されています。

この地に残る近代遺産を隧道を中心にして紹介しましょう。









観音崎公園内の隧道①
通称:3分間トンネル


観音崎公園中央を横断する県道から園内の東京湾海上交通センターの施設を結ぶトンネル。
入口は観音崎トンネル(自然博物館側)のそば、出口は公園内の第二砲台近くにあります。

隧道は関係者以外は通行禁止との看板があります。
よく見ると隧道内は素掘りになっており、壁面剥落のためか、天井にはネットがかかっています。

県道と砲台跡には高低差があるため、トンネルは勾配になっています。
どうやら聞いた情報によると、この隧道は「押しボタン式トンネル」ともいうべきか、常に洞内の電気は点灯しておらず、入り口のスイッチを押すと3分間だけ点灯する仕組みらしいです。
その特異性から「3分間トンネル」の名で通用し、WEB検索すると心霊の類が多め。

内部には地下弾薬庫と思われる小部屋が存在しており、隧道内から入る扉はコンクリートで塗り込められていますが、砲台跡にある隙間から入ることができるようです。
水が溜まり、枯葉に覆われた狭い通路は小部屋に続いているようですが、非常に暗く色々な意味で怖いそうです。


 



 
観音崎公園内の隧道②
通称:28サンチ砲台への隧道

園内散策路と海の見晴台を結ぶ盲腸園路にあるトンネル。
隧道の先には第三砲台跡が残されており、詳しくは28サンチ榴弾砲の砲座だそうです。
倉庫跡なども確認でき、砲台に弾薬などを運搬する目的で建設されたのでしょう。

内壁は煉瓦(イギリス積み)になっており、内部に煉瓦積みを残す隧道は横須賀でも珍しいです。
多くの隧道は拡張されたり、塗り込められたりしています。

園内にあり、トンネルの先が行き止まりであるため当時のまま残されているのだと思います。










観音崎公園内の隧道③

観音崎灯台へ至る道には第一砲台跡が残されています。
砲台は2つあり、互いを結ぶ小さな隧道が設けられています。
専門的には横墻(おうしょう)というそうで、地下には倉庫があったそうですが、現在は埋められしまいました。

隧道は補強のためか、外壁をコンクリートで塗られていますが、一部が剥落して煉瓦が顔を出しています。


 

 
観音崎公園内の隧道④


海岸沿いの散策路にある素掘りのトンネル。
荒々しい壁が物語っているように、横須賀市最古のトンネルと言われています。

その歴史は明治以前、幕府の対外政策の一環として台場が築かれたときまで遡ります。
黒船襲来に備え、ここ観音崎が要塞としての役割を担い始めたころの話です。

県道側の出口は綺麗にコンクリ-トで塗り直されているので、一見普通のトンネルに見えますが、内部は素掘り。
不思議なほど天井が高いのも特徴的です。

 

 
権現洞


海岸の散策路に口を開ける行基伝説の地。
むかし、この洞窟に大蛇が住み人々を苦しめていましたが、741年に行基菩薩がこれを退治し鵜羽山権現として祀ったといいます。

また、日本武尊の妃である弟橘媛命がこの観音崎の沖で入水した伝説に基づき、弟橘媛命を十一面観音として安置したとも言われています。

海蝕洞窟のため、奥行きはありません。

 

訪問日:2013.8.31
再訪日:2015.6.27 


氷川丸 機関室

2015-05-17 23:38:20 | 神奈川



横浜の山下公園に気づいた時から停泊しているのが、氷川丸。
舟の行き交う港でも、日常風景となっています。

この氷川丸は、今から約85年前の1930年に建造された貨客船です。
当時の最新式であったこの船は横浜-シアトル航路に就き、戦中は海軍の病院船としても活躍しました。

戦後はシアトル航路に復帰し、就航30年後になる1960年に引退しました。
30年の間に太平洋を横断した回数は254回に上りました。

翌年の1961年からは、この山下公園で第二の人生を送っています。
2003年には横浜市の有形文化財にも指定されました。
現在では第二の人生の方が長くなってしまいましたね。


船内は「日本郵船氷川丸」として公開されており、一般300円で見学可能です。

内部では一等客室や操舵室などが見学できますが、そのなかでも圧巻なのが当時の機関室です。
30年間氷川丸を動かしてきた大規模な機械類を間近で見学することができます。

四層にもわたる機関室は氷川丸の心臓部。
近代産業遺産としても価値が高く、ダブルアクティング・ディーゼルエンジンと呼ばれる当時最新鋭の技術が導入さていました。
無骨な機械たちは男らしく感じます。

機械たちが音を上げて動いていたのは50年以上前のこと。
往時に思いを馳せながら、静かな機械を眺めましょう。













 

 




日本郵船氷川丸

2015-05-16 01:00:32 | 神奈川




横浜の山下公園に気づいた時から停泊しているのが、氷川丸。
舟の行き交う港でも、日常風景となっています。

この氷川丸は、今から約85年前の1930年に建造された貨客船です。
当時の最新式であったこの船は横浜-シアトル航路に就き、戦中は海軍の病院船としても活躍しました。

戦後はシアトル航路に復帰し、就航30年後になる1960年に引退しました。
30年の間に太平洋を横断した回数は254回に上りました。

翌年の1961年からは、この山下公園で第二の人生を送っています。
日本近代化の産業遺産としても価値が高く、現在では横浜市の有形文化財にも指定されています。


船内は「日本郵船氷川丸」として公開されているので、誰でも見学することができます。
入館料も一般300円と良心的なので、おすすめです。










桟橋から、船内に入るとエントランスロビー。
ロビーはリニューアルされて広い印象を受けますが、回廊へと進むと天井は低く、幅も狭いです。
壁面もペンキは上塗りしてありますが、年季が入っていることを伺えます。





 

突き当りにあるのは一等食堂。
床は中央が高く、両端に向かって低くなっています。
決して広い空間とは言えませんが、落ち着きのある空間です。

吹き抜けの階段を上がると、一等社交室があります。






シアトル航路に就いていた時代の実物資料を展示したコーナーでは、乗客が船旅をどのように楽しんでいたかよくわかります。
ダンスパーティにトランプゲームと、到着までの間は優雅な?船旅を満喫していたようです。







お手洗いの看板や禁煙室のガラスなど細やかな意匠がお洒落。
一等客の利用するエリアは、全体的にアールデコ調の装飾がなされており、眺めるのも楽しみです。






一等客室も内装に凝っています。
特に一等特別室はリビングと寝室、シャワールームの3室から成っています。
どのような人が利用していたのでしょうか。




ひととおり内部を見たあとは、屋外デッキに出ます。
晴れた日は気持よいであろうデッキにはベンチが用意されており、みなとみらいを眺めながら寛ぐことができます。

急な階段を上ると船長室と操舵室があります。









海上を見渡すことのできる操舵室は年季の入ったごちゃごちゃしたものが備え付けられ、この船の司令塔といった雰囲気。
奥には無線室も備え付けられています。

操舵室中央にある神棚には氷川神社の御守が飾られています。

操舵室の直下が船長室になっており、パイプを使って直接連絡が取れるようになっていました。
今では考えられないほどアナログな手法・・・
現在の船舶はどのような操舵室があるのか気になってきます。







もう一度内部に戻ると、階段を2階分下って機関室へと行きます。
ここはこの氷川丸見学コース内で最後のハイライトとなっており、壮大な内部空間に圧倒されてしまいます。

いわば、この氷川丸の心臓部となっており、無言の機械が85年の歴史を物語ります。

優美な客室階もいいですが、無骨な機械室も素敵です。


 

そして、最後には3等客室。
一行客室を見て来た後に見ると、なんとも窮屈そうな空間でしょうか。
これが一般人の世界です。

機関室も近く、音も響きそう。

 


横浜人形の家

2015-03-24 01:10:30 | 神奈川

山下公園のすぐ隣に横浜人形の家があります。
「あなたと世界をつなぐドールワールド」と銘打ったこの施設は、世界各国から集められた人形を展示しています。

開国以降、世界からの玄関口であった横浜らしい博物館です。


施設自体は山下公園からフランス山やアメリカ山のふもとまで続く歩道橋に隣接していて、横浜観光の最中に何気なく横を通っていることがあるかもしれません。
建物の入り口に面した壁はガラス張りになっているため、内部が外からでもよく見えます。

以前はこの部分に人形の展示があり、夜間に通ると、真っ暗な館内に佇む人形が見えたりして少し怖かった記憶がありました。





入館料は大人400円。
館内には常設展示室は2階と3階、同じく3階には企画展示室もあります。

入り口のすぐ前にある展示室はノスタルジックハーバーと名付けられた導入部分。
横浜と人形の関わりを紹介しており、友情人形としてアメリカから日本へやって来た青い目の人形などが展示されています。

2階の中心展示はワールドフェスティバル。
世界141の国と地域の人形が一堂に会する空間は人形好きならずとも圧倒させられてしまいます。
中高の社会科で習ったような民族衣装を着た人形や、旅行先の土産屋で見たような郷土玩具も揃っています。

日本では博多人形や犬張子、土人形など地方別に並べられていて、その中で、こけしの占める割合は高い気がします。
東北地方に広く分布するこけしは子供用の玩具として温泉街で作られたのが始まりとされています、現在では10を超える系統に分けられ形状や表情が異なるらしい。
なるほど、よくよく見てみると髪型や瞳は系統によって様々であり好みも分かれるのでしょうね。

こけしを見つめていると、
凍てつく東北の畦道をこけしを胸に抱きながら帰路につく少女の姿を想像してしまいます。
その頬は寒さでりんごのように赤くなっていて・・・

そんな想像はさておき、振り返れば世界の民族人形が並びます。
人形は産地の風土を端的に表していますが、それぞれどのような経緯や目的で作られるようになったのか気になります。










続くドールメモリーは、20世紀以降の大衆と共にあった人形の歴史を展示。
人それぞれの記憶の片隅にある人形たちが展示されているはずです。
どいつの時代も変わらぬ人形への需要を伺うことができます。

ダッコちゃんやモンチッチなどは記憶がある人も多いことでしょう。
3階へと続く階段は年表になっており、ここ100年間の人と人形の関わりが写真で展示されています。



3階の展示はコレクションモール。
展示されているのは西洋と日本の人形の名品たちです。
先程の大衆人形とは異なって何処か気品の漂う人形ばかり。
端麗で芸術性に優れた人形たちは気品をも身にまとい、静かに佇んでいます。


当たり前ではあるが、人形は作り手の影響を非常に強く受けます。
いつも人のそばにあるものですから、より人間に近い姿をしており、仏像などの偶像とは異なります。

そのため、地域や時代といった差異をまとっていますし、また普遍性を見出すこともできます。

そんな人形を通しての歴史旅や世界旅行に出てみるのもいいかもしれません。

人形との出会いも一期一会。
きっと目が合って、お気に入りが見つかることでしょう。







翁萌え                                        稚児萌え



◆おまけ

階段の踊り場には展示ケースがあって、こけしが一体だけ展示されています。
照明も相まってラスボス感があります。


新横浜ラーメン博物館

2015-03-13 21:20:37 | 神奈川



すっかり近代化された新横浜のビル街に溶け込むように、新横浜ラーメン博物館はあります。
ここは世界初のフードアミューズメントパークとして1994年に開館した博物館で、館内には所狭しとラーメン店がひしめき合っています。

ここの見どころは何と言っても昭和30年代を再現した町並。
入場料を支払って地下へ1階へ降りると、地下2階までの吹き抜け空間に昭和の町並が広がります。

私たちがはじめに到着する場所は駅をイメージしているらしく、看板は鳴門橋駅。
改札や料金案内板など、小さなところにも凝っていて面白いです。





駅の目の前からは地下2階部分に広がる街が一望できます。
ここからの景色はこの博物館のハイライトでしょう。

右手の階段から直接下の階に降りることもできます。






地下1階は主にロの字型の回廊になっていて、下町の路地裏を表現した世界は探検に最適。
路地裏というからには通路も狭く、人とすれ違う時に少し窮屈に感じるほど。

家々には明かりが灯って、室内の生活を夢想してしまいます。







民家やバー、銭湯に至るまで細やかに表現され、冒険心がくすぐられること間違いなし。
銭湯の女湯の暖簾の先に、他の階を結ぶ階段があったりと遊び心が随所にみられます。
この階にあるラーメン店舗は3店舗。どちらも駅側に集中しています。








階を降りた地下2階は、6つのラーメン店舗が中央の広場を囲っています。
館内地図を見たり、店舗を覗いたりしながら次に食べるラーメンを決めるのもいいかもしれません。

良くも悪くも、ラーメン博物館としての機能はこの階に集約されているため、相当賑わいです。
休日の昼ともなれば、各店舗に並ぶ列が伸びていき、広場を埋め尽くします。







長時間列に並ぶと、再現された家々の看板や洗濯物などを観察してしまいます。
東宝特撮映画の『地球防衛軍』の看板もあります。
モゲラとかいうモグラ型兵器の侵略に地球防衛軍が立ち向かう物語で、東宝特撮映画の全盛期に製作されたもので、私も映画自体は見たことがありません。

昭和を生きた人々は話に花が咲くかもしれませんね。







バブルがはじけ、昭和という時代がやや遠ざかりつつあった1990年代。
古き良き時代として人々が懐かしむことの出来る昭和レトロは人気を博し始め、ここ10年から20年くらいは一定の人気があるように思えます。

お台場のデックス東京ビーチ内にある「台場1丁目商店街」や、居酒屋の半兵ヱなどは評判もいいようです。



そんな昭和レトロの世界観を踏まえたフードパークとしての性格を持つこの博物館は、オープン当時はかなり斬新なテーマパークだったでしょう。

しかし現在、東京立川のラーメンスクエアや大阪のなにわ食いしんぼ横丁など、テーマに沿った世界観を演出しているフードパークが増え、かつそのほとんどが入場無料という現実があります。
規模は未だにラーメン博物館に超えることはないものの、肉迫せんばかりの発展ぶりです。

入館料を支払い、館内でいくつかの店舗を梯子するのは経済的ではなく、家族連れなどは特に出費がかさんでしまいます。


また、ラーメン博物館と銘打っているわりに、博物館としての要素が欠けているようにも思えます。
以前にはラーメンの歴史やご当地ラーメンの紹介などを行うラーメンギャラリーなるものがあったようですが、現在はショップの片隅に追いやられてしまっています。

博物館というからには、単に食欲を満たす場所や、感覚的に楽しむテーマパークだけでは物足りないような・・・
以前のように企画展を行うなど、単なるラーメンフードパークとは異なる魅力を是非提供していただきたいです。


オープンから20年、多くの観光客に受け入れられて関東圏では定着したラーメン博物館。
これからの進化に期待しています。

 


横浜マリンタワー (改訂版)

2014-12-28 05:40:26 | 神奈川





横浜は非常に塔の多い街です。
横浜三塔に数えられる神奈川県庁、横浜税関、横浜市開港記念会館とともに、NTTの電波塔やぷかりさん橋なども塔の仲間でしょう。

山下公園の目の前にある横浜マリンタワーもその一つです。


横浜マリンタワーが完成したのは1961年。
横浜開港100周年を迎えようとする1958年より記念事業の一環として建設が決定され、長らく横浜の港を照らす灯台としての役割を与えられます。
展望台も併設し、横浜の観光スポットとして知られるようになりました。

20世紀も終わりに近づくと、横浜博跡地がみなとみらい21として開発され、日本一高い展望台を持つ横浜ランドマークタワーなど新しい観光施設が完成。
観光客はみなとみらいへと流れ、マリンタワーの収入も落ち込んでいきました。
そして、すでに灯台としての役割も終えていた2006年に展望台の営業を終了しました。

しかし、横浜市は横浜開港150周年を控えた2009年に、記念祭に向けてマリンタワーを再生することを決めます。
横浜港の一等地に塔の廃墟があるというのも印象が悪いという理由もあったかもしれません。

誕生から50周年を目の前に控えて、九死に一生得たマリンタワーは装いも新たに生まれ変わることとなりました。

現在、館内は地方の展望塔にあるような古臭さはなく、内観はシックな雰囲気に統一されています。
展望フロアは恋人の聖地にも指定されていて、休日にもなれば若いカップルで溢れかえりそうなほどお洒落に出来上がっています。







展望フロアの入場料は大人750円。
1階のインフォメーションで入場料を支払って、2階へ上がると展望台行きのエレベーターがあります。
塔の構造がよく見えるシースルー型のエレベーターに乗って、高さ91mの展望フロアへ到着。

円状の展望台はそこまで高さはないものの、横浜の名所を眺めることができます。
真下には山下公園と氷川丸。
少し目を前に向ければ横浜ベイブリッジと行き交う船。

みなとみらい方面は建物が林立していますが、反対に元町方面に目を向けると閑静な宅地が広がります。
夜景ともなると差は明白で、コントラストが対照的です。


展望フロアは2層になっており、狭い階段で1階部分と繋がっています。

2階部分に比べると狭いが、東京タワーにあるような直下を覗けるガラスの床が用意されています。
長細い鉄塔のため、風で揺れているのもよくわかり、高所恐怖症の人は少し怖いかもしれません。


全体的に広告や宣伝などの無駄なものは廃し、落ち着いた雰囲気のある展望フロアは、ベンチこそないもののゆっくりと景色を楽しめる空間です。
閉館に近い夜遅くは特に人がいないのでおすすめ。

50数年間、この景色を見守ってきたマリンタワー。
平成生まれの私にはベイブリッジもランドマークタワーもない横浜の風景を想像することができません。




横浜港方面。
真下には横浜人形の家の可愛らしい建物が見えます。
オレンジ色の首都高速が向かうのは本牧JCT。
その先のコンテナ・クレーン群は横浜港です。



首都高速のカーブ。
夜が更けてきても、車通りは途絶えることがありません。





目の前には横浜ベイブリッジ、通称ベイブがライトアップされています。
その後ろに見える斜張橋は鶴見つばさ橋。



みなとみらい方面。
ホテルニューグランドの先にはライトアップされたクイーンの塔が優美です。
コスモロックに赤レンガ倉庫、ワールドコンチネンタルホテルは見慣れた横浜の風景です。





クイーンの塔こと横浜税関を拡大してみました。



コスモワールドの背景にビルが増えましたね。