タワーと言ってもちょっと変わった塔の話をしましょう。
大阪万博で有名な太陽の塔、岡本太郎氏の作品です。
大仏や新宗教団体の塔が高層化する中、その先駆けとも言えるのではないでしょうか。
なんたって70mもあるのですから。
1970年―
日本万国博覧会、通称・大阪万博が千里丘丘陵で開催されました。
その大阪のテーマは“人類の進歩と調和”。
その万博のテーマを伝えるテーマ館のプロデューサーを務めたのが岡本太郎氏。
そして誰も予想しなかった塔を建てたのです。
太陽の塔、万博の象徴として深く日本人の記憶に刻まれたことでしょう。
そして万博が終わった後も太陽の塔は残されました。
大阪万博会場の跡地は万博記念公園となっています。
訪れるには大阪モノレールが便利。
大阪空港と門真市を結ぶ営業区間の長いモノレールで万博記念公園下車。
改札を出て案内板通りに行くと左手に太陽の塔が見え始めます。
万博記念公園、自然文化園の入場は大人250円。
改札から入ると目の前で両手を広げ待っているのが太陽の塔です。
1970年からこの地に立つ全長70mの巨大建造物。
万博開催時もメインゲートから目の前のシンボルゾーンから観客を迎えました。
空に輝くのは黄金の顔。
未来を現しているようです。
不思議な避雷針が付いており、目玉は夜になると光ります。
中心の力強い顔が太陽の顔。
現在を表しております。
太郎氏はこの太陽の顔にはこだわっており、
1/20のマケットを多数造り、その中から選ばれた顔がコレだという。
万博時には太陽の塔には高さ40mの巨大な大屋根がかぶさっており、それを突き破った形で立っていた。
ゆえに黄金の顔は屋根上にあったので
太陽の塔の目の前に立った観客はこの太陽の顔と対峙したことでしょう。
背部には黒い太陽。
過去を表しています。
“黒い太陽”という言葉・作品はよく登場しており、
岡本太郎を知るキーワードのようになっています。
顔は信楽焼のタイル、緑のコロナはイタリア産のガラスモザイクタイルで出来ているそう。
園内にある大屋根の一部。
太陽の塔が大屋根を突き破って立っていたのには理由があります。
今となっては考えられないのですが内部は展示空間だったのです。
内部は万博の主軸となるテーマ館になっています。
太郎さんが頼まれたのはテーマ館のプロデューサーであり、
観客が注目しまた停滞させないような展示構成を考えた結果
三層の展示、地下・地上・空中を設けて地下展示と空中展示を太陽の塔でむすんだ。
観客は地上の待ちスペースから動く歩道に乗り地下へと進む。
地下には「いのち」「こころ」「ひと」「いのり」などといった
人類の過去―根源の展示があり、太郎作品の地底の太陽もありました。
地底の太陽は万博終了後、撤去作業中に紛失し幻の太陽となってしまっています。
地下展示から次に、エスカレーターで太陽の塔の内部を上がっていきます。
「生命の樹」と名付けられた、50mの大きな樹があり、生物の進化を上りながら体感できたといいます。
そして太陽の塔の腕の部分をつたって空中の大屋根に出ます。
太陽の塔の広げた手は観客を大屋根へと誘導する役割があったのです。
大屋根部分には空中・未来―進歩の展示があり、
最後はエスカレーターを下って現在―調和の広場に到着。
仏教でいう胎内くぐりのようでもあったのです。
太陽の塔とは、根源から噴き上げて未来に向かう生命力の象徴。
しかしこれは進歩とも調和とも思えません。
太郎さんはこの万博のテーマ、進歩と調和には反対でした。
「技術の発達で進歩と言えるだろうか。」
「馴れ合いは調和と呼べるか。」
などとテーマを疑問視した彼は各パビリオンが最新の科学技術を見せる中、
人類の根源的なもの「いのち」の展示で反発したのかもしれません。
人間のこころに訴えかけ、奥底に眠る人間としての誇りや尊厳を呼び覚ますために
ベラボーなもの、太陽の塔を立てたのです。
万博が終了し、その他のパビリオンが解体されても、太陽の塔だけはこの地に残りました。
大阪万博でもっとも万博的でないものが現在まで残されているとは不思議なことです。
閉園後に植えられた植物たちが成長して森となり、万博の面影は今はまったくありません。
太陽の塔は万博の遺産として、また個々の象徴として千里丘に立っています。
※
参考:平野暁臣編 『岡本太郎と太陽の塔』 小学館
万博記念公園内には大阪万博の記録を展示するEXPO'70パビリオンがあります。(有料)