じわじわと夜が狭まって、都会では生暖かい風が吹くようになると、夜歩きがしたくなる。
喧騒を逃れて、静かな自然の中でほのかに吹く涼しい風が恋しい。
そんななか、高尾山に登ることになった。
夜歩きとは違う、夜登山である。
高尾山と言えば東京の西に位置する天狗信仰の盛んな霊山で、都心からアクセスも良いことから新緑、紅葉シーズンは善男善女で溢れかえり、夏の夜になるとビアマウントで賑わう。
ミシュランガイドでは星何個かを頂いているそうである。
そんな高尾山であるが、標高は599m。
幼稚園児が気楽に遠足に行けてしまうような山でもある。
せっかくの聖地、人混みの中を歩きたくはないし、静かな夜に登ってみる。
夜の山は気分も空気も新鮮であろう。
そんなことで、ハイカーを募ると意外にも10人の男たちが集まった。
22時を過ぎた京王線新宿駅。
見慣れない白塗りの列車に乗って出発する。
土曜日であるから平日に比べると乗客は少ないが、乗車率は結構なものだ。
それぞれの人が家に帰る顔をしている中、こちらは準備万端といった顔をしている。
夜は長いとはこのことである。
特急は爽快に途中駅を飛ばして、いつか訪れた調布駅は地下駅に変わっていた。
このまま特急に乗っていると八王子まで輸送されてしまうので、北野駅で普通・高尾山口行きに乗り換える。
車両は同じなのだが、明らかにローカル線と言った雰囲気で、乗り換える乗客も少ない。
北野駅を出ると、列車はぽつぽつと人を降ろして、取り残されたように私たちが座っている。
車窓からは転々と散らばる住宅地と街灯の明かりが流れていく。
それ以外は暗闇であるから、日中の風景を知る由もない。
中央線との乗換駅である高尾駅に到着して、同行の何人かを乗せると次は終点の高尾山口駅だ。
新宿駅を出てから50分。 列車が停まって、ホームへと降り立つと涼しい風が吹いた。
都市部とは明らかに気温差があることがわかる。
からっぽのホームから降りて、自動改札を出ると静まり返った駅前ロータリー。
23時30分、いよいよ山に向かって歩き出す。
昼間であれば門前町のように賑わう遊歩道沿いも、すでに寝静まって物音さえしない。
護岸工事された川のせせらぎすらも心地よく感じる。
空を見上げると一見、その闇は山なのか空なのかわからない。
高尾山は低い山だが、途中まではケーブルとリフトが走っている。
ケーブルは日本一の急傾斜だと聞くので一度乗ってみたいと思っていた。
しかしこの時間はケーブルカーだって寝ている。
ケーブル清滝駅の手前の広場には小さな滝と池があってカジカガエルが鳴いている。
都会の気分が足をせかすから、ちょっと待てと蛙の鳴き声に耳を澄ましてみる。
簡単に頂上に登ることはできるはず。
ならば、夜の世界をじっくり堪能してから登りたい。
高尾山にはいくつもの登山道と散策路が整備されており、自らの気分と体力次第でコースを選ぶことができる。
昼間のビギナーさんは可愛らしいケーブルカーに乗って、薬王院を参拝するコースをとるだろう。
登山道は1号路から6号路まであるから、ケーブルを使わないコースでも1号路いちばん基本のコースなのだと思う。
以前に来たとき、1号路がほぼ舗装された道路であることを知っていたので、あえての6号路を選ぶことに。
6号路はお休み中のケーブルカーを横目に続いている。
しばらくは渓流沿いのなだらかな上り坂が続く。
道も舗装されていて、住宅がぽつりぽつりと建っている。
道中祈願のためか、道端に七福神とゆかいな仲間たちが静かに見守っている。
ライティングされているためか、少々気味が悪い。
ありがたい神様たちに、祈りをささげて先へと進む。
人家は見当たらなくなってきても、LEDの街灯が足元を照らしてくれているので心強い。
緩やかな坂道についついステップを踏んでしまいながら歩く。
忽然と現れた病棟が見るころになると、登山道も本領発揮。
舗装道路も終わり、いよいよ渓谷の細道だ。
明かりを装備して、足元に気を付けながら進む。
先程まで呑気に写真を撮っていた私たちも、歩くことに集中する。
渓谷の先に見える病棟の明かりが不安を煽る。
左手は断崖、右手は渓谷の蛇行した道は方向感覚を失って、自分が今何処にいるのかわからなくなる。
明かりを消せば、夜の闇。
しばらくは目を開けているか、閉じているのか判断がつかない。
しばらく歩くと、渓谷に簡素な橋が架けられている場所に出る。
恐る恐る橋を渡ると、岩窟の中に何やら祀られている。
どうやらここは弘法大師を祀った場所らしい。
手入れも行き届いているので、現在でも信仰されているのだろう。
落ち着く場所でもないので、もとの道に戻って山登りを再開する。
するとすぐに6号路と琵琶滝方面の分岐点に到着。
案内板がしっかりと整備されているので、夜でも安心する。
結局、6号路は山頂付近まで他の登山道と交わることなく登っていくルートを採っているため、ここで逸れて琵琶滝方面へ向かう。
朱色の灯篭が照らし出す琵琶滝付近はなかなかの雰囲気があるが、肝心の琵琶滝は夜間立ち入りが禁止されており、鉄格子越しに拝むことしかできない。
ここからケーブル高尾山駅付近の1号路へと連絡する無名のショートカットコースを利用する。
地図では九十九折になった道が続くので、相当の高低差があると思われる。
予想通りに、登山道は琵琶滝を出てから急に牙を剥き始めることになる。
今までの渓流沿いの道は前座にすぎなかった。
樹木の根を利用した階段が続き、街灯など存在するはずがない。
しかし、開けたところに出ると、空が明るい方角があって、木々のシルエットが見えるほどに遠くの空がぼんやりとしている。
きっと見ているのは東の方角なんだな、と思う。
岩場のある別れ道に着くと小休止。
先程まで涼しいと感じていたはずが、今では汗がにじんでいる。
夜の山の中、明かりは必要最低限にして過ごす時間。
会話を楽しむもの、詩歌を詠むもの、闇を散策するもの、それぞれの思い思いである。
本来、深夜は時計という制約から最も逃れられる時間帯であると思う。
電車も走っていないし、テレビ放送も放置気味だからということからかもしれない。
時間という制約から解き放たれ、自然の中で過ごす時間に自分なら何をするだろう。
そんなことを思っていたが、いざとなるとしたいことが色々と思い浮かんでゆっくりしていられない。
ふらふらと歩いていると、地蔵様が向かい合う広々とした空間を見つけた。
昼間に見ればなんてことないのだろうが、地蔵様たちが談笑する空間のようでも何かの儀式をする空間のようでもあり想像が膨らむ。
夜の闇への想像は無限大だ。
つづく