Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

東京国立科学博物館 日本館

2014-06-14 01:10:01 | 東京都

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家族と恋人と、自由研究に期末レポートに。
何かと便利な上野公園ですが、なかなか飽きないのが不思議です。

公園内に林立するミュージアムの双璧を成すのは東京国立博物館と東京国立科学博物館。
歴史も古く、新旧混じり合った館内も見どころです。

国立博物館は絵画や文書・甲冑を中心とした文化財展示であるのに対して、
科学博物館は剥製や模型を多用した視覚的に楽しめる展示なので学問の姿勢で構えなくとも十分楽しめるのがいいところです。


東京国立科学博物館については以前に一度紹介しましたが、何度訪れても飽きないのが不思議。
展示品や展示空間を毎回異なった視線で見つめることで新しい発見もありますし、
隣で一緒に鑑賞する人が違えば目の付け所も変わります。

地球館や特別展示も含めると館内はとても広いので、集中力を切らさずにすべての展示を見るのも難しいですから
毎回、焦点を絞って展示を見るのも、探検気分で歩き回るのも楽しいかもしれません。

展示品は一部を除き撮影可能なので、
自分の目で見えている角度や抱いた印象にできるだけ近い形で写真を撮影するのもおすすめです。

 




入り口すぐの日本館は重要文化財に指定された建造物で、中央にドーム型の吹き抜けを置き、左右に展示室。
上空から見ると翼を寛がた形が飛行機に見えるから洒落ています。

完成は1931年で、関東大震災の復興事業の一環として建てられました。
大正時代らしい、重厚で細部まで凝った造りが印象的です。




うすぼんやりとしたキツネ


超巨大マリモ

 
ただ見ているだけで美しい鉱石展示室


目が虚ろなシカが切ない


目つきの悪い鶏


縄文人、弥生人の順で並ぶ日本人街道


役目を終えた地震計


18世紀の天球儀は紙張子が多いという


黒漆塗りは光沢が美しい




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本館の展示テーマは「日本列島の自然と私たち」。
各展示室ごとにテーマが決められ、私たちを取り巻く自然環境と日本列島の歴史を展示しています。
主に化石や標本などで構成された展示ですが、
名前を見たところで解らない様々な種の好物が整然と並ぶ鉱物展示室や、顕微鏡や時計・天球の展示される1階展示室は科学館らしくて好きです。

 


リニモ

2014-06-13 01:10:50 | 駅と鉄路



愛知県の東部を駆ける愛知高速交通東部丘陵線はリニモの愛称で親しまれています。
愛・地球博のメイン会場への輸送を担うため2005年に開業した新しい路線です。
市営地下鉄東山線の藤が丘駅から愛・地球博記念公園(現在)を経て愛知環状線の八草駅の約9kmを結びます。

高低差のある丘陵地帯を走るために、リニアモーターが導入されています。
都営大江戸線をはじめ、近年地下鉄で利用されているリニアモーターは通常の鉄道と同じように軌道上を車輪で走行するものですが、
リニモは常に車体が軌道から浮いたまま走行する、磁気浮上式のリニアモーターカーです。

2027年に開通見込みのリニア中央新幹線に先立って、実用化は日本初。
磁力による浮上走行は摩擦がなく、ゴムタイヤで走行する新交通システム以上に加減速に優れ、揺れも少ないことが特徴です。
そして最高速度は100km。
高架・高速・リニア・無人運転。夢に見た21世紀の交通の具現化です。
万博から数年が経って、初めてリニモに乗りましたが、高架線からの眺めもよく、乗り心地も快適。
特に車両は全面ガラス張りとなった車端部がおすすめ。
藤が丘駅付近では新交通では珍しい地下線も存在します。






しかし、リニモは利用者に伸び悩み、羽振りが良くないのが現状です。
鉄道空白地帯を走るリニモ沿線は住宅開発の行われていない地区が多く、開発当初から都市鉄道ほどの輸送力は求められていませんでした。
万博開催時は小ぶりの駅と車両から混雑を招くことが危惧され、万博側は名古屋駅から高蔵寺経由のエキスポシャトルの利用を推奨していました。

沿線には未だ更地や緑地が多く目につきます。ほとんどの駅に駅員がおらず自動放送がこだまする「兵どもが夢の跡」状態。
最新鋭のローカル線と言った雰囲気が漂います。もったいない話ですが。

浮上式リニアは建設費も他の交通よりかさむために、残念ながら新たな建設は当分の間は無さそうです。







起点となる藤が丘駅は地下鉄東山線との接続駅で、地下鉄駅が高架線、リニモが地下線という一般常識的に逆転現象が起こっています。
地下の藤が丘駅のホームは1面2線。珍しく、先端に行くにつれて狭くなる扇型をしています。






藤が丘駅停車中の折り返し車両は出発時に浮上するそうです。
プワァと浮く瞬間はわかりませんでしたが、いざ発車サイン音が鳴り終わって出発するとなめらかな発進に驚かされます。

しばらくは地下線を走りますが、自らの走行が順調か試すかのようにゆっくりと進みます。
新交通の地下区間は他にアストラムラインの愛称で知られる広島高速交通の本通-城北間のみとなっています。
地上へ出るとすぐに次のはなみずき通駅に到着。





はなみずき通駅からは高度を上げて高架線を走ります。
青空が射し込む最前部の座席は展望席も同然。
無人の運転席にちょこんと乗った鏡餅が可愛らしい。





周囲は宅地造成地が多く、名古屋らしく整備された自動車道路がまっすぐに伸びています。
そんななかリニモの軌道はその先にある丘陵地帯を目指します。






軌道が平坦な区間でリニモは思った以上に速度を出します。
何と言っても最高速度は100km。静かな加速はさすがリニアモーターカー。
高速道路をアンダーパスすると、いよいよ丘の上にある万博公園に向けて急勾配を登ります。








鉄道ではありえない傾斜を難なく上り続けると、右手には万博の遺構の大観覧車を横目にまだまだ進みます。
万博の敷地はさすがに広く、公園西駅を過ぎて坂を登りつめたら愛・地球博記念公園駅に到着です。
愛・地球博長久手会場の最寄駅でした。








愛・地球博記念公園駅は2面3線を有するターミナル駅。
現在真ん中の路線はあまり使用されていない模様。

海抜152mの駅からは遠く名古屋市街を見わたすことができます。
藤が丘駅へ向かう列車は街を見下ろしながら坂を下いくので先頭車からの眺めは最高でしょうね。
空を飛んでいる気分を味わえるかもしれません。少し浮いているのは事実なので。






愛・地球博記念公園駅はリニモの駅では数少ない有人駅ですが、利用客の姿はなく広い構内は寂しげです。
万博跡地は長いプロムナードの先にあります。





丘の上の万博跡地の空は高く、リニモの高架線が目立っています。
愛・地球博記念公園は自然公園の他に温水プールやアイススケート場もあり、家族で楽しめそうな総合公園ですが、自動車で来園する人が多いようです。





愛・地球博記念公園から先は陶磁資料館南駅を過ぎて、終点・八草駅に着きます。
緑が多い区間ですが、高架線の標高は相変わらずなので眺めが良いです。

陶磁資料館南駅から少し歩くと陶磁美術館があります。
愛知県には焼物の生産地として有名な常滑や瀬戸があるため、この地に県立の陶磁器専門の美術館があるそうです。






終点・八草駅は愛知環状鉄道との乗換駅。
万博時の混雑緩和のためか両駅間は少し距離があり、連絡通路で少し歩きます。

リニモの延伸計画はないですが、駅の先には折り返し用の引き込み線があります。


愛知環状鉄道

2014-06-02 22:00:55 | 駅と鉄路




愛知環状鉄道という路線の名前を初めて耳にしたのは2005年の愛・地球博の時。
名古屋駅から長久手会場までの交通機関のひとつには、地下鉄東山線で藤が丘まで行き、そこから新交通システムのリニモに乗り換えるという方法もあったが、
リニモ自体の輸送力が低いために、JR中央線で高蔵寺を経由して愛知環状鉄道の八草駅(当時は万博八草)を繋ぐエキスポシャトルが推奨されていました。

環状と名が付いていますが環状運転は行っておらず、名古屋都市圏の東側の外周を結んでいるにすぎません。
岡崎ではJR東海道線、途中には豊田市や瀬戸市を通り、JR中央線と接続する高蔵寺に至るルートです。

愛知環状鉄道の前身は、鉄道貨物の輸送力増強のため岡崎から新豊田へ伸ばされた国鉄岡多線で、旅客運転も行われていました。
また同じく貨物線としてJR東海道線の稲沢信号所からJR中央線の勝川・高蔵寺を経て瀬戸市へと至る瀬戸線が計画されていましたが、貨物は衰退し計画は頓挫。
計画通りに、路線が開通していれば、名古屋を中心として環状型の路線ができていた可能性があります。

国鉄岡多線自体、貨物による自動車輸送が80年代に終了し、旅客需要も少ないために第三セクター化され愛知環状鉄道に引き渡されました。
この時に、計画されていた瀬戸線の一部を含む新豊田-高蔵寺間も開業して、現在と同じ岡崎-高蔵寺間で運行されるようになりました。

また瀬戸線の名残である勝川-枇杷島間は現在、東海交通事業城北線に引き渡されて旅客化されています。

愛知環状鉄道は名古屋へと向かう路線ではなく、周辺都市間を結ぶ路線の為に利用者は多くないようです。
首都圏で例えるならば、JR武蔵野線でしょうか。
三河豊田駅はトヨタ自動車の本社最寄駅となっていますが、そもそも自動車工場の御膝元ですから車通勤が多いことが予想されます。

路線は単線区間と複線区間が入り乱れている状況です。
国鉄時から複線で計画されていたために、ほぼ全線で複線化の用地は確保されていましたが、実際に複線区間がつくられたのは愛環発足後のこと。
北岡崎、北野桝塚付近と三河豊田-新豊田間、新瀬戸-高蔵寺間は複線です。
沿線には明らかに複線用につくられた相対式ホームや、トンネルを見る事ができます。
現段階では需要が高くはないため、複線化に踏み切れないのが現状かと。

点と線を結ぶ愛知環状鉄道の今後に期待です。







名鉄線と接続する中岡崎駅から新豊田駅まで乗車します。
第三セクターが運営するため、運賃は割高な印象。



JRの高架駅に似た薄暗い構内から、エスカレーターのない階段を上がるとホームです。
ホームは広くつくられていますが、実際に運行されている車両は2両編成。ラッシュ時は10両編成も走ると言います。



車両はJR東海の313系に似たもので、緑色のペイントがなさています。
車内はセミクロスシートで、綺麗です。



しばらくは盛土を走り、沿線風景は田園と寄り添いあう住宅地。複線用の用地が確保されています。



三河豊田駅は右手にトヨタ自動車工場が見え、駅構内には広々とした空間が確保されています。
いずれは2面4線のターミナル駅構内にする構想もあるのでしょうか。



三河豊田以北は遠くに見える豊田市街地へと向かって走ります。
新豊田駅は名鉄三河線と豊田線との接続駅で、中岡崎駅同様に3階建ての高架駅です。


名鉄特急

2014-06-01 15:40:21 | 駅と鉄路




愛知県を中心に走る名鉄線の特急列車には特別車と呼ばれる有料指定席車が付いています。
常滑線を走る中部国際空港発着の特急は全車特別車で運行される「ミュースカイ」になっていますが、名鉄本線や本線と乗り入れを行う主要路線には
一部の車両のみ特別車になっています。

そのなかでも、名鉄特急には今世紀初頭に引退した名車、パノラマカーの流れをくむ前展望席の付いた車両があります。

「パノラマスーパー」の名前で登場した当初は、全車特別車の使用で両端部に展望車が付いていましたが、並走するJRが普通車に新型車両を導入して高速化を図ったことにより
有料特急は不利な状況に追い込まれます。

そのために、すべてのパノラマスーパーを特別車を2両に減らし、転換クロスシートの一般車を増結した一部特別車の編成に置き換えました。
現在では豊橋・河和・内海方面の先頭車とその後ろの車両のみが特別車です。

関西などでは追加料金不要の転換クロスシート特急を走らせ、関東では回転リクライニングシートの有料特急が走っていますが
名鉄特急はこの中間位置にいるのは中部地方ならではだと思います。

展望車両は娯楽性も高く、パノラマカー時代から人気のようです。
展望席を初めて設けたのは名鉄で、その後は小田急ロマンスカーや伊豆急リゾート21など人気の特急車両が誕生しています。

現在の名鉄展望車は運転室の上部に客室が乗る構造で、通常の客室より床が高い「ハイデッカー」式のため眺望は良い。
また、展望車の座席は階段状になっているため、どの席からも眺望が楽しめるようになっています。
ガラスは曲面一枚のため反射が少ないことも特徴です。

進行方向の展望を楽しめるのは豊橋や河和行きとして運転される列車で、逆に岐阜・新鵜沼行きの場合は最後尾になります。
乗車する場合は、自動券売機でミューチケットを購入する際、「展望席」を指定すれば乗れます。
ミューチケットは一律360円です。
小田急ロマンスカーほど倍率が高くないことも嬉しいです。










通常より高い位置に座席がるのが分かります



車内にはカーテンが付いています



シアターのような座席配置の車内



曲面ガラスは空が良く見えます



枇杷島分岐から金山付近まではJR線との並走区間



早朝の豊橋行きは朝日を望みながら進みます。



運転手さんも眩しかろう。



岐阜・新鵜沼側の先頭は一般車。



一般車も転換クロスシートで贅沢。


日無坂/富士見坂

2014-06-01 00:40:32 | 東京都




東京の山手には多くの坂があり、江戸時代の名称や趣を今に残す場所もあります。
「富士見」坂と名付けられたほとんどの場所からは富士山が実際に望めたといわれますが、現在は都市開発の影響で、護国寺の富士見坂から見えるか見えないかだそうです。
この見晴らしのいい富士見坂からも、往時は富士が望めたのかもしれません。

富士は見えなくとも、豊島区の富士見坂は印象深い坂です。
高台の目白通り側から坂を望むと、まっすぐに伸びる富士見坂。
そして途中で左に道を分かれて、細く伸びているのは日無坂。
昔は木々が生い茂り、日も当たらなかったことからこの名が付いたといいます。

視界が開けて、見晴らしのいい富士見坂。路地裏を階段で進む薄暗い日無坂。
坂の名前が坂道の特徴を端的に表しています。坂道は正直です。

坂の入り口に立って、Y字路を眺めると対照的な2つの坂道のどちらへ進もうか迷ってしまいます。
少しばかり立ち止まって眺めてみると、歩いてきた人々は左の日無坂を下っていく。
次に、自動車は唸りを上げながら富士見坂を上ってくる。
 




後々調べると、
日無坂は江戸時代の坂で富士見坂は明治時代につくられた坂だといいます。
なるほど、どうしても悩んだら通行手段によって道を決めるのも良いですね。

確かに、日無坂は散策にぴったりだし、富士見坂は自転車で駆け降りたら楽しそう。
そんな私は、下ることしか考えていないのです。





坂の上からの景色は印象的で、絵になる風景とよく言われています。
坂の間の木造家屋の佇まいもさることながら、遠くを望める視界の広さも素敵。

松本泰生『東京の階段』やタモリ『タモリのTOKYO坂道美学入門』にも紹介されています。