交通量の多い目白通りを目白駅方面へ歩いていくと、左に伸びていく道のほとんどは坂道となって急斜面を滑り落ちていく。
覗いてみた小布施坂は途中から階段に変わる仕様。
江戸時代に新たにつくられた坂のようで、長野県の地名でもある小布施は明治期に近辺に住んでいた小布施新三郎から採ったらしい。
電線が邪魔でもあるが、遠く新宿副都心が見渡せる。
途中でカーブした坂道はその先が気になるから歩いてみたいが、また登って来なければならないと思うと躊躇する。
いつか坂道専門の散歩をしようと思う。
少し進み、不忍通りの起点になる目白二丁目の信号を過ぎてすぐ。
またも魅惑的な坂道がある。
急傾斜の坂が直線に伸びていて、途中から左に道を分けている。
まっすぐ伸びる坂は富士見坂と呼ばれ、往年は富士の雄姿が見られていたと言われてもうなずけるほどの見晴らし。
細く分かれて階段路になる方は日無坂。こちらは家々の間を縫うように進む日影の多い坂のよう。
「どちらの道を下ろうか」と問われたら、答えに窮してしまうに違いない。
どちらも景観の美しさを保っていて、電線や街灯すらも美しく、雑多な東京を象徴しているとも風景といえる。
それに加えて、何と言っても、Y字路の美しさだろう。
絶妙な比率で分かれていくふたつの坂、祐天寺のなべころ坂のように美しいY字路はいくつかある。
美しさについては、横尾忠則『Y字路』の影響が強いが、
同じ道が行先を2つに分けるY字路は、別れの場所として出発の場所としての境界が目に見えているところにありもしないドラマを夢想する。
ぜひとも中心には道祖神を置いておきたい。
目白通りをまた進むと、坂道を登ってきた都電荒川線と明治通りと立体交差する。
散策を続けるべく、目白通りには別れを告げて都電荒川線の鬼子母神前駅に着く。
地下には地下鉄副都心線が通っている。
鬼子母神前駅はその名の通り、目の前から鬼子母神堂までの参道が始まっている。
ここもまたY字路だ。
参道は石畳の趣のある通りで、商店も控えめながら営業している。
参道が何故かちぐはぐな景色に思えるのは育ち過ぎたケヤキのせいかもしれない。
この巨木たちはいつ頃からここにいたのだろうか。
参道は直角に折れて、鬼子母神堂に至る。
近隣にある法明寺の別境内としてある鬼子母神堂も歴史は古い。
境内では大公孫樹を仰ぎ見る。
樹齢700年の巨木はまだ芽吹いてはいない。
文化財指定を受けた鬼子母神堂も木の趣があってよいが、この銀杏の存在感には敵わない。
鬼子母神堂は、神社のような清々しい雰囲気の場所ではないけれど、来る度に安心できる場所のような気がする。
また来ることになるから、長居はせずに、雑司ケ谷霊園へと向かう。
踏切を渡って、都電荒川線のモーター音を後ろに聞きながら、坂を登れば鬱蒼と木に囲まれた雑司ケ谷霊園に着く。
外から見たら公園のようだが、明治初期の公営墓地。
「池袋の女」とかいう怪奇譚が残るようにこの地がまだ辺境だった時代、雑司ケ谷霊園はつくられた。
園内も木々が生い茂り、都心とは思えない環境。
都心から見て雑司ケ谷霊園よりも外側にサンシャインシティなどの高層ビル群が林立している。
いつもここへ来ると、サンシャイン60が巨大な墓標にしか見えない。
天気も良いし、久々の墓地散策。
猫が気ままに墓と墓の間をすり抜けて歩いているのも見える。
猫に着いて行こうと、静かに後を追う。
すっかり春らしい陽気になって、猫も眠そう。
人が姿を消して落ち着いたら、お昼寝の時間かもしれない。
たくさん歩いたから、私はご飯でも食べに行こう。
あ、漱石には挨拶してから行こう。