Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

春の散策 雑司ケ谷

2014-05-30 01:20:08 | とりっぷ!



交通量の多い目白通りを目白駅方面へ歩いていくと、左に伸びていく道のほとんどは坂道となって急斜面を滑り落ちていく。

覗いてみた小布施坂は途中から階段に変わる仕様。
江戸時代に新たにつくられた坂のようで、長野県の地名でもある小布施は明治期に近辺に住んでいた小布施新三郎から採ったらしい。

電線が邪魔でもあるが、遠く新宿副都心が見渡せる。
途中でカーブした坂道はその先が気になるから歩いてみたいが、また登って来なければならないと思うと躊躇する。
いつか坂道専門の散歩をしようと思う。

 




少し進み、不忍通りの起点になる目白二丁目の信号を過ぎてすぐ。
またも魅惑的な坂道がある。

急傾斜の坂が直線に伸びていて、途中から左に道を分けている。
まっすぐ伸びる坂は富士見坂と呼ばれ、往年は富士の雄姿が見られていたと言われてもうなずけるほどの見晴らし。
細く分かれて階段路になる方は日無坂。こちらは家々の間を縫うように進む日影の多い坂のよう。

「どちらの道を下ろうか」と問われたら、答えに窮してしまうに違いない。
どちらも景観の美しさを保っていて、電線や街灯すらも美しく、雑多な東京を象徴しているとも風景といえる。

それに加えて、何と言っても、Y字路の美しさだろう。
絶妙な比率で分かれていくふたつの坂、祐天寺のなべころ坂のように美しいY字路はいくつかある。

美しさについては、横尾忠則『Y字路』の影響が強いが、
同じ道が行先を2つに分けるY字路は、別れの場所として出発の場所としての境界が目に見えているところにありもしないドラマを夢想する。
ぜひとも中心には道祖神を置いておきたい。




目白通りをまた進むと、坂道を登ってきた都電荒川線と明治通りと立体交差する。
散策を続けるべく、目白通りには別れを告げて都電荒川線の鬼子母神前駅に着く。
地下には地下鉄副都心線が通っている。

鬼子母神前駅はその名の通り、目の前から鬼子母神堂までの参道が始まっている。
ここもまたY字路だ。

参道は石畳の趣のある通りで、商店も控えめながら営業している。
参道が何故かちぐはぐな景色に思えるのは育ち過ぎたケヤキのせいかもしれない。
この巨木たちはいつ頃からここにいたのだろうか。

参道は直角に折れて、鬼子母神堂に至る。
近隣にある法明寺の別境内としてある鬼子母神堂も歴史は古い。




境内では大公孫樹を仰ぎ見る。
樹齢700年の巨木はまだ芽吹いてはいない。
文化財指定を受けた鬼子母神堂も木の趣があってよいが、この銀杏の存在感には敵わない。

鬼子母神堂は、神社のような清々しい雰囲気の場所ではないけれど、来る度に安心できる場所のような気がする。
また来ることになるから、長居はせずに、雑司ケ谷霊園へと向かう。




踏切を渡って、都電荒川線のモーター音を後ろに聞きながら、坂を登れば鬱蒼と木に囲まれた雑司ケ谷霊園に着く。

外から見たら公園のようだが、明治初期の公営墓地。
「池袋の女」とかいう怪奇譚が残るようにこの地がまだ辺境だった時代、雑司ケ谷霊園はつくられた。

園内も木々が生い茂り、都心とは思えない環境。
都心から見て雑司ケ谷霊園よりも外側にサンシャインシティなどの高層ビル群が林立している。
いつもここへ来ると、サンシャイン60が巨大な墓標にしか見えない。

天気も良いし、久々の墓地散策。
猫が気ままに墓と墓の間をすり抜けて歩いているのも見える。
猫に着いて行こうと、静かに後を追う。




すっかり春らしい陽気になって、猫も眠そう。
人が姿を消して落ち着いたら、お昼寝の時間かもしれない。

たくさん歩いたから、私はご飯でも食べに行こう。

あ、漱石には挨拶してから行こう。


豊川稲荷

2014-05-30 00:10:09 | 東海地方


豊川稲荷は愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院です。
稲荷と言えば、赤い鳥居の稲荷社を想像しますがここは寺院に祀られています。
正式名称は豐川閣妙嚴寺。

宗教は異なっても、狐がシンボルのように境内で見る事ができるのは一緒です。
神道で言う、稲荷社の狐は祭神である宇迦之御魂神の眷属として存在するのですが、寺院の場合は荼枳尼天の眷属として捉えられています。
荼枳尼天というのも曖昧な神で、遥か大陸を起源に持つ女性神。日本では狐に乗って現れるとされています。(大陸ではジャッカル)

神仏分離以前は現在のような宗教同士の明確な仕切りはありませんから、大陸の神と日本の神と仏が仲良くしていたわけです。
狐に乗る仏教寄りの外来神である荼枳尼天が神道で祀る稲荷神と同一視されたのでしょう。






豊川稲荷の由来としては、
鎌倉時代の禅僧・寒巖禅師が2度の入宋を果たし、2度目の復路の海上で荼枳尼天の託宣を受けた。帰国後には自ら荼枳尼の神像を彫り、善神として祀った。
時は流れて、寒巖禅師の6代目の弟子が豊川の地に寺を創建する際に、寒巖禅師の彫られた荼枳尼天の像を山門に祀ったために稲荷信仰が始まったといいます。

当時すでに根付いていた稲荷信仰と習合した結果、属性が不明瞭な荼枳尼天と狐は稲荷神と同じ属性を帯びていくようになります。
そして食物・産業・商売の神として認知されるわけです。

ちなみに本殿は千手観音が祀られているので、荼枳尼は境内の鎮守として祀られています。
参道から本殿までは普通の寺院と何ら変わったところはありません。

妻入二重屋根の立派な本殿に参拝して、右手へ進むと、奥ノ院に向かう鬱蒼とした針葉樹の森になります。
参道の両側には幟が並んでいます。白地に赤で文字が書いてあるのですが、ここでは参拝と共に幟を奉納する習わしがあるそう。
鳥居こそ無いですが、幟の続く景色を「千本幟」と名付けているのだから、稲荷社と変わりません。
京都の伏見稲荷には信者の奉納した鳥居が連なる「千本鳥居」が有名です。
これは疑いなく、稲荷信仰です。



奥ノ院を過ぎて、さらに奥へと続く参道を歩いていくと霊孤塚があります。
豊川稲荷で最も狐が集まる場所。
木々に囲まれて、大小さまざまな狐像が安置されています。
以前は信者が奉納していたとも言われていますが、今はどうなのでしょう。
赤い布を掛けた狐像が巖座から鋭い視線を投げかける霊気漂う空間です。

動物を神とする信仰は古代より存在しましたが、古代以降は人格神の下位概念としてとらえられることが多く、稲荷信仰においても狐は神ではありません。
しかしながら、神という不可視の存在よりも狐という眷属がいることにより信仰が庶民に受け入れられた部分も大きいでしょう。
狐と宇迦之御魂神が結びついた時期は明確にはわかりませんが、狐は稲荷信仰における一種のマスコットとなり、眷属らしく神と人間の架け橋の役割をしています。
あまりにも稲荷=狐のイメージが強いため、狐を信仰の対象そのものと考えてしまう人も多いそうです。

「狐に化かされる」なんて話が江戸時代にはありますが、それでもなお不思議な存在であり続けた狐。
以前はもっと一般的に目にする事ができる動物だったのでしょうか。

P.S.
霊孤塚は近年はパワースポットとして注目を集めているようで、塚内にある溶岩で積まれた大きな碑に挟まっている硬貨を取り出すと金運が良くなるとかならないとか。
儲かれば必ず一年以内に取り出した量より多い硬貨を隙間に戻しに来ることになっているそうです。





狐の表情も豊かで、険しいものから傾いているものまであります。



寺院境内というよりは稲荷の森といった雰囲気で、仏教色は払拭されているようです。



次々と奉納されているためか、苔の生え具合から時機が異なることがわかります。



狐は薄暗い雰囲気が良く似合います。


春の散策 早稲田

2014-05-26 23:20:32 | とりっぷ!


咲き乱れた桜から始まる、春の散策。
なんだかごたごたしている高田馬場駅から、護岸工事された神田川を歩く。

明治通りを渡って、交差点で90度にカーブする都電荒川線を横目にまた川沿いの散策路に入る。
最近、日中の気温が高いことは感じていたのだが、知らないうちに桜が満開になっていた。

川に架かる橋には近所の工場の人か、作業着を着た幾人かの人がスマートフォンで写真を撮影している。
時間はまもなく12時半をまわったところなので、お昼休みなのだろう。





工事の為に途中から散策路は封鎖されているが、虚空をさまようクレーンと桜のミスマッチがおもしろい。


神田川は新宿区と豊島区の境になっていて、橋を渡ると豊島区に変わった。
狭い路地を進めば上り坂にぶつかる。登れば目白台に着くのだが、相当の高低差だ。

そのため周辺には多くの坂道が存在している。
坂登りはとっておいて、台地の崖に沿って歩く。




狭い道路を頻繁に車が駆け抜けていくから、心落ち着かずに公園に逃げ込む。
立派な門には「新江戸川公園」とある。
砂利の広場を抜けると、回遊式庭園のようになっている。

桜も咲いて、芝生も鮮やかで春の訪れをゆっくりと感じながら散策ができる。

しかしながら豪雪の爪跡なのか、不自然に折れた松の木を見つけた。
虚空に立つ松の木は、先程の桜並木のクレーン車をにも似いている。

コースは池を取り囲むように整備されていて、そのほかにも枝道があるようだが、倒木のため通行止め。
今年の冬は厳しかったんだな、と今さらになって思い返す。






終盤に、小さな小川を飛び石で渡る。
地上に生えるべき草が、水中から生えていて可愛らしい。



公園を出ると、もう一度神田川と並走してから、右手に迫ってきた崖を登ることにする。
ちょうど良いところに坂道もある。






車の通る事ができない狭い坂の名前は「胸突坂」。

坂道は両側に草木が茂る。
まだ芽吹いていない木もあるから、夏ごろにはもっと鬱蒼とした雰囲気になるのだと思う。
片方の塀が高いから、切通しのように見えなくもない。


右手には関口芭蕉庵、反対側には水神社が建っている。
芭蕉庵というと深川を思い浮かべるが、この地にも数年間住んでいたといわれている。





登ってみると、さほど急傾斜とは思わないが、路が細いために長く感じる。
途中には休憩できるスペースが付いているからありがたい。

石でつくられた椅子に座って、坂道の塀でも観察してみる。
石積みがはっきりとわかる塀も素敵だが、塀の向こうに見える瓦屋根や樹木が絵になる。



坂道を登りきってもしばらくは現実から忘れ去られたような雰囲気が味わえる。
自動車の流れる道をつくると現代化が進んでしまうのだが、自動車の通る事の出来ない細道や行き止まりの道は時代に取り残される。
そのため、比較的古い時代の風景を残してくれるから嬉しい。


目白通りにぶつかると一気に現実に戻されてしまうのだ。
現実逃避したくなって、知らない路地に入ったら行き止まりだった。


千鳥ヶ淵の桜

2014-05-23 01:00:55 | とりっぷ!


年明けにNHKを見ていて、さだまさしの「風に立つライオン」が流れた。
今年初めに聞いた曲、として記憶に残ることとなったこの曲の中に、

「昔君と見た 千鳥ヶ淵の夜桜が恋しくて」

という歌詞が含まれていて、頭に情景を浮かべつつ千鳥ヶ淵の桜に思いを馳せるのだった。


時は移ろい、4月の夜。
桜を見に行こうという話になって、東京の桜の名所は数あれど、千鳥ヶ淵にいくことに。
乗り慣れない新宿線に乗って、九段下駅に着くと改札外には大勢の人と警備員。


とりあえずは千鳥ヶ淵とは反対方向の出口から、人の波に乗って靖国神社へ。
巨大な参道をもつ靖国神社も今日は夜店が出て、たくさんの人で埋め尽くされている。
露店のどの商品も美味しそうに見えて、うろうろしてしまうのは皆同じなようで、人の動きも目線も入り乱れている。






まるで光に吸い寄せられる昆虫のようにうろうろしては立ち止まる。
でも実は光ではなくて、匂いに吸い寄せられている。

人は祭で虫になる。

タコ焼きに、ぶどう飴、お団子にフランクフルト。
頬張って満たされた後は桜を愛でにいこう。

花より団子と言われても、ショートケーキの苺は最後にとっておくタイプ。
一番の楽しみはお花見。





靖国通りに架かる歩道橋を渡って皇居方面に向かう。
階段を下りると目の前にあるのは復元された常燈灯台。
この灯台が完成した明治時代初期には東京湾を出入りする船の目印になっていたという。
ビルの林立する現代では信じがたい話だ。
モダンな感じが素敵な塔。


皇居周辺は街灯が少なく、先程の喧騒は嘘のよう。
しかし、桜を見るにはちょうどいい。
千鳥ヶ淵はまだ遠い田安門付近でも、見事な桜を見る事ができる。

桜の木が、水面に自らの姿を覗き見るような生え方をしているなと思う。
きっと緑の生い茂る普段はそんなことは感じないのだろうが。
細かく揺れる水面もまた美しい。






田安門から皇居のお濠を右回りに歩いていくと、それはそれは見事な桜並木。
千鳥ヶ淵もこの先にあるらしい。

夜桜なんて見たことがないから、手前の景色だけでも驚かされて見入ってしまう。
初めて訪れた人は皆同じらしく、「これが千鳥ヶ淵の桜かあ」と納得して感慨にふけっている人もいる。

しかし、
会場整理の人がしきりに声を上げて、

「千鳥ヶ淵はもっと先です!」
「この先が本当の見どころです!」

とか言っている。
皆入り口付近に立ち止まってしまうらしい。

いつの時代かの仁和寺の法師のように、一人早合点して目的のものを見ずに帰ってしまいかねない。
人々の列に倣って、お堀沿いの桜並木を歩く。



桜の合い間から見えるのもまた桜。
桜の木に囲まれている。

人工の明かりに照らされた遠くの桜の木々は額に納まった絵画を見ているように現実感がない。
対岸の風景を見ていると、桜の木々が実態なのだろうかと疑いたくなる。

喧騒の中にいても桜は恐ろしいくらいに穏やかで、黙っている。
明かりに照らされているからいいものの、満開の桜が月明かりだけに照らされていたら青白くて少し怖そうだ。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」を思い出した。

気がつけば、しとしとと雨が降って人々は帰路につこうとしている。
千鳥ヶ淵の桜。
私はどこからが千鳥ヶ淵かもわからずに、ただ満開の桜が集まった不思議な空気がいつまでも忘れられないのだった。

自ら花見に行こうと思い立つことはこの先も少ないだろうが、どんな時に千鳥ヶ淵の桜が思い出されるのか。
私の感じた景色は「風に立つライオン」のそれとは、また少し違うんだろうな。と思った。

 


浅草でカッパを探せ!!③

2014-05-21 00:20:23 | とりっぷ!


かっぱ橋の名前の由来には別の説もある。
この地域に住む人々が作った雨合羽を晴れた日に橋の近くでよく干していたからというもの。

かっぱ橋は正式には「合羽橋」であるから、その可能性も多い。
合羽河太郎こと合羽屋喜八の苗字も合羽。雨合羽を売る商人だったとの話もある。

それでもこの街は雨合羽ではなく河童をマスコットのように可愛がっている。
街を歩くと、思いのほかカッパだらけ。





商店街の店名前が書かれた看板も、色は違えどカッパのようだ。
でも甲羅が赤いので何とも言えない。マントかもしれない。





大きめの複合ビルの外壁にもちょっと悪質な顔をした河童の顔面が

商店街から路を逸れても、カッパは逃げも隠れもせずに道端にいる。





瀬戸物屋さんの店先で立つカッパが・・・・
なんだか眠そうだが大丈夫だろうか。

極めつけは「河童寺」と呼ばれる曹源寺。
門前は小さな通りに面した一般的な禅寺なのだが、なんと河童大明神が祀られているという。
この曹源寺には先程の話に出てきた合羽河太郎こと合羽屋喜八が眠っているそうだ。

工事を手伝ってくれるだけではなく、カッパの姿を見たものは不思議と商売繁盛する事からもこの地に祀られ、信仰されているらしい。





境内に入ると、隅の方に何やら不可思議な彫刻が置いてある。
礎石には「かっぱ。ぎーちゃん」。
屋根まで付いて大切にされているようだが正体は不明。
カッパのようで、キュウリのようで・・・





本堂手前には河童大明神を祀るお堂。
カッパ人気の中心ともいえるお堂にはカッパにまつわるものが点在している。




賽銭箱にもカッパ。
中を覗くと奉納されたたくさんのカッパたち。
どうやら河童の腕のミイラもある。

壁には河童大明神の描かれた掛け軸。
事前に予約をすれば中に入れてもらえるそうだが、今回は外から参拝。

ここで参拝する時の呪文は「オン・カッパヤ・ソワカ」という。
見えない存在や土俗信仰神を祀るときは神社形式が多いけれど、仏式なところがいい。





合羽屋喜八の墓と伝わる石碑の前には夫婦のカッパの像。
妻ガッパにはしっかりまつ毛とたわわな乳。
双体道祖神の如く男女差を明確に現しているから驚かされる。





仙台四郎を思い起こさせるようなポーズをとったカッパ。
腕組みした肩からは鍛え上げた筋肉が見て取れる。
こいつと相撲をやったら尻小玉を持って行かれることは間違いないだろう。





その後ろには対照的に木陰に隠れるカッパの姿も見える。
街中これだけのカッパが堂々と姿を見せているのに、それでもお前はカッパか!と叱りたくなるが
本来のカッパはどうなのだろう。

本場の遠野のカッパ淵に行ってもカッパは見当たらなかったのに、かっぱ橋界隈のカッパ率は異常である。

だから、
なかなか姿を現さない内気なカッパもいいと思うよ。
そんなことを言うと、内気そうに見える奴こそ確実に尻小玉を取りにに来る慎重派だから気をつけなくては。



噂好きにして怪異好きの江戸っ子の町で生まれたカッパ伝説。
真意はともかく、カッパは現代でもこの街に生きていてマスコットキャラクターと肩書きを変えて生きている。
妖怪は次第に数を減らしながらも、人々の中に強烈な印象を刻みつける。
記憶に残された妖怪は、リアリティを失って象徴化されたキャラクターとして今も健在だ。

妖怪のキャラクター化は妖怪本人が選んだか、人間の商業主義が生んだのか。

今になっては誰も見たことのない生きものが普遍的な存在としてそこにある。
人々を惹きつける妖怪の呪力ははかり知る事ができない。


変化するもの消えるもの。
兎角、時代はめまぐるしい。
移り変わる都市に残る妖怪を探し出すのもなかなか面白いかもしれない。





P.S.本堂の影から猫がじっとこちらを見ていた。


浅草でカッパを探せ!!②

2014-05-13 23:20:58 | とりっぷ!


人の少ない旧浅草六区を抜けて、かっぱ橋道具街へと出る。
道路を挟んで両側の歩道は道具店街となっていて、鍋からお玉からたくさんの道具で溢れている。
よくある商店街に似ているが、取り扱っているものはコアなものばかりである。
「何の道具かな」と前々から思っていたが、調理道具のようだ。
雑誌で食品サンプルの専門店があると読んだことがあった気がした。

ちらちらと店先から店内を眺めつつ合羽橋交差点を渡る。
メイン通りの立ち並ぶ商店の一角に、何やらポケットパークのような場所があった。
不思議に思って、近づいてみると、金色に輝く怪しい像が立っている。
カッパだ。



逃げも隠れもせずにカッパが光り輝いている。
恵比寿の真似事なのか左腕には大ぶりの魚を抱えているではないか。
足元の石には「かっぱ河太郎像」とある。
カッパの名前だろうか。

やはり、かっぱ橋にカッパはいた。
かっぱ橋の由来にもカッパが絡んでいるらしい。

案内版に書いてあることを要約すると、
文化年間に付近は水はけが悪く、水害が多かった。
合羽屋喜八(通称:合羽河太郎)は資材を投じて排水工事を行うのだが、工事は思いのほか難航してしまう。
そこで河童が現れた。昔、河太郎に助けられたことのある河童たちで、恩返しと夜になると現れて工事を手伝いついに掘割は完成した。という話。
そのためこのあたりはかっぱ橋と呼ばれはじめたという。

で、この像は「かっぱ河太郎」。
話通りに考えると、合羽河太郎は人間なはずなのだが像は河童の姿。
河太郎河童説?
治水工事の立役者である河太郎と力を貸した河童、この地の二大英雄を混ぜてしまったのだろうか。

それにしても、若さみなぎる金色のカッパに目が離せない。


浅草でカッパを探せ!!①

2014-05-07 01:20:12 | とりっぷ!

スカイツリーができて、その余波が押し寄せているだろう浅草。
東京屈指の古寺である浅草寺周辺は賑やかで、下町情緒を色濃く残す。

そんな浅草で妖怪を探そうと思う。
江戸時代、町人の多く住む下町では怪しい噂が多く語られていた。
隅田川を隔てた本所の、「本所七不思議」は有名である。
置いてけ堀を筆頭に、灯りなし蕎麦や足洗屋敷など不可思議な現象が闇夜の下町で起こっていたようである。

時代を経るにつれて、怪奇現象の起こる場所も曖昧になり、怪しい下町は忘れ去られつつある。
明治時代に浅草六区として十二階が建ち、劇場や見世物小屋が軒を連ね大いに発展した浅草で、はたして妖怪は生き残っているのだろうか。

仲見世を歩いて久々に浅草寺に参拝し、五重塔を仰いだのちに散策を始める。
地図を眺めると、どうやら浅草寺から西へ進んだ先に「かっぱ橋道具街」と記載された通りがある。
河童は江戸時代頃に多く目撃された妖怪で、頭の上には皿があり、キュウリを好物とするあいつである。
日本人なら実際に見たことはなくとも、容易に姿を思い浮かべる事ができる。

さすがは有名妖怪のカッパ。逃げも隠れもせずに堂々と商店街の名を冠している。
いったい、道具街とカッパにどのような関係があるのだろうか。

下町浅草に残るカッパの正体を探りに出かけよう。

 


名古屋のりものづくしファイル

2014-05-07 00:15:33 | 東海地方

 

 

ドリームなごや号
運行区間:東京駅‐名古屋駅
乗車区間:東京駅-名古屋駅
3列独立デラックスシートで運転される便がある。その場合は2階席前方にはビジネスシートが付く。

 




名鉄名古屋本線
運行区間:名鉄岐阜-豊橋
乗車区間:名鉄岐阜-豊橋
名古屋を中心に愛知県広域に路線を伸ばす名鉄の幹線。
通過型のターミナル駅として珍しい名鉄名古屋駅は、行先種別の異なる列車が同一ホームから発着する。





名鉄豊川線
運行区間:国府-豊川
乗車区間:国府-豊川
名古屋方面からの豊川稲荷参拝客の輸送を担う支線。



JR飯田線
運行区間:豊橋-辰野
乗車区間:豊橋-豊川
 天竜川に沿って愛知県と長野県伊那地方を結ぶ。総延長は195.7km。
多くの列車が豊橋-豊川間の短距離運行している。



愛知環状鉄道
運行区間:岡崎-高蔵寺
乗車区間:中岡崎-新豊田・八草-新瀬戸
貨物路線の岡多線と瀬戸線の一部を利用した第三セクター。
一部は複線化しているものの、単線区間が多く残る。



名鉄豊田線
運行区間:豊田市-赤池
乗車区間:豊田市-赤池

新興住宅地を通る比較的新しい路線でトンネルと橋梁区間が多い。
地下鉄に乗り入れ名古屋市街を結ぶ。

市営地下鉄鶴舞線
運行区間:赤池-上小田井
乗車区間:赤池-八事

赤池からは豊田線、上小田井からは犬山線と両端で名鉄線と相互乗り入れを行っている。

市営地下鉄名城線
運転区間:(環状運転)
乗車区間:八事-本山・大曽根-平安通・久屋大通‐栄
日本で唯一環状運転を行う地下鉄で、金山からは名港線が東名古屋港まで伸びる。
栄-市役所間は1965年に開業しており、順に路線を伸ばし2004年に環状運転が開始された。



市営地下鉄東山線
運行区間:高畑-藤が丘
乗車区間:本山-藤が丘
名古屋-栄-千種と名古屋市街の横に結ぶ名古屋最古の地下鉄。
藤が丘付近は高架線を走る。



リニモ(愛知高速交通東部丘陵線)
運行区間:藤が丘-八草
乗車区間:藤が丘-八草
2005年愛知地球博のアクセス路線として開業した、日本初の旅客用浮上式リニアモーターカー。
藤が丘付近は地下を、その他は高架線を走る。



名鉄瀬戸線
運行区間:栄町-尾張瀬戸
乗車区間:栄町-尾張瀬戸
前身は瀬戸電気鉄道で、名鉄の中で唯一、他の路線と接続を行っていない。



市営地下鉄上飯田線
運行区間:平安通-上飯田
乗車区間:平安通-上飯田
日本一営業区間が短い地下鉄。
名鉄小牧線と地下鉄の不連続を解消すべく2006年に建設された上飯田連絡線の一部。
全列車が上飯田から小牧線に乗り入れている。

名鉄小牧線
運行区間:上飯田-犬山
乗車区間:上飯田-犬山
犬山市から小牧市を通りから名古屋市へ向かう郊外路線。
長らくの間、終点上飯田から名古屋中心部への接続が悪かったが、上飯田線と直通することにより解消された。
小牧以北は単線になっている。




桃花台交通桃花台東線
運行区間:小牧-桃花台東
2006年に廃線
通称・ピーチライナー
桃花台ニュータウンの足として開業した新交通システム。
開発事業が振るわずにわずか15年で廃止。



名鉄各務ヶ原線
運行区間:新鵜沼-名鉄岐阜
乗車区間:新鵜沼-名鉄岐阜
名古屋本線と犬山線を結ぶ北部の路線で、高山線と並走する。
犬山線経由で名古屋方面に乗り入れる。

 


JR中央線
運行区間:東京-塩尻-名古屋
乗車区間:名古屋-大曽根
東京と名古屋を塩尻経由で結ぶJRの幹線。
高蔵寺までの短距離運行が主で、長距離では長野を結ぶ特急しなのが運行している。




ゆとり―とライン志段味線
運行区間:大曽根-小幡緑地-(高蔵寺)
乗車区間:大曽根-小幡緑地
日本初のガイドウェイバス。小幡緑地まで専用軌道では案内軌条に沿って運転される。
一般道に降りると路線バスと同じく、各方面へと分岐する。





あおなみ線(名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線)
運行区間:名古屋-金城ふ頭
乗車区間:名古屋-金城ふ頭
貨物路線の西名古屋港線を改良し、旅客化した路線。
臨海地帯を走る盲腸線のため、利用客は限られる。




名鉄犬山線
運行区間:(名古屋)枇杷島分岐点-新鵜沼
乗車区間:名鉄名古屋-新鵜沼

枇杷島の分岐点から犬山を結ぶ主要路線。
明治村やリトルワールドといった名鉄テーマパークへがある犬山への観光輸送を担う。




東海事業交通城北線
運行区間:枇杷島-勝川
乗車区間:小田井-味美
ほぼ全線にわたって複線非電化の高架線を走る。
貨物の計画路線の瀬戸線の一部であり、将来的にはJR線との直通やJRへの移行も考えられる。
潜在能力のあるローカル線。




市営地下鉄桜通線
運行区間:中村市役所‐徳重
乗車区間:久屋大通‐国際センター
比較的新しい路線で、他の地下鉄路線との接続駅が多い。
新瑞橋から先は鉄道空白地帯を走る。

スーパーライナー
運行区間:東京駅‐名古屋駅
乗車区間:東京駅-名古屋駅
東名高速道路を走行し、所要時間は6時間あまり。
現在は新東名スーパーライナーも運行されている。

 


名古屋のりものづくし 終章

2014-05-06 23:44:19 | とらべる!


富士山を眺めつつ夕暮れ時を迎え、左に富士右に太平洋というような絶景を楽しみながら再び山間に入るころにはとっぷり日は暮れた。

周囲が何も見えない足柄SAで2度目の休憩があり、用もなく外へ出て寒いのにアイスを買った。
足柄SAと言えば高速道路のサービスエリアの域を逸脱し観光地化していることで有名で、首都圏からサービスエリアを目当てに出掛けてくる人もいるらしい。

すでに御殿場を過ぎ、ひと山越えれば神奈川県である。
知っている場所に着くと、いくらか気持ちに余裕が出てきて仕舞にはアイスなど買ってしまう。

状況によってはこの先の区間は渋滞も覚悟しなければならないが、平日ということもあって順調に流れているようだ。

足柄から先の峠越えは蛇行し隧道を駆使して越えていく。
名古屋インターからここまでは特に目立ったカーブはなかったため、この付近の地形がいかに厳しいかわかる。
下り方面の道路はしばらく離れたところを走っているらしく、見えない。

大井松田ICを過ぎるとよく知る高速道路の姿に戻る。
伊勢原、厚木、大和と停留所に停車するので、東京駅に出るよりもこのあたりで降りた方が本当は早かったなと思う。




夜の高速道路のオレンジ色の照明は個人的には好きで、等間隔に照らすリズムに乗せて音楽を聴くのもいい。

東京ICを越えれば車線は減り、ビルの合間を抜ける首都高速に変わる。
見事にビルとビルの間を切り裂くように走るので、海を切り裂くモーゼの奇跡を思い起こしてしまう。
そんなことを思うのも、道路が空いているからで普段の首都高で思うことはなかっただろう。

霞が関で一般道に降りて、人の少ない官庁街をゆっくりと進んでいく。
久しぶりの信号機に行く度も足止めをくらいながらも、バスは定刻通りに東京駅に着く。


この3日間私は歩くことをあまりしていなかったように思う。
しかし普段の生活の何倍もの距離を移動し、移りゆく景色を見てきた。
用もないのに、地図を広げて旅をした。

移動中、常に景色は変わるのでなかなか飽きることはない。
飽きたら本を読んで、それでもつまらなければ寝ればいい。
とても御贅沢な気分転換だ。

まだ見たことのない景色が多すぎて、「何も考えず」とまではいかない。
内田百のような奔放さは足りないかもしれない。

しかし、旅は何気なく落ちている疑問を拾う行為でもあると思う。
行先までの移動はお任せして、私はただ揺られているだけ。

そのあいだに車窓の景色には、いくつもの発見がある。
そして時には旅を思い、旅を振り返る。
自分のペースで考え事しながら旅は進んでいく。

それが自分に合った旅。
乗り心地とまだ見ぬ車窓に誘われて、また旅に出る。

そしてまたひとつの旅行記ができた。


名古屋のりものづくし[名城線-桜通線-スーパーライナー]

2014-05-06 05:00:49 | とらべる!

最終日は東京へと帰るのみだが、家に着くまでが遠足というのが掟。
最後の最後まで少しでも多くの乗り物を乗りつくし、楽しもうと思う。

まず、昨日までは名鉄のフリーパスを使用していたが2日間で期限が切れたため、名古屋駅までは地下鉄で向かう。

宿泊地を出て、大通公園を歩きつつ、名城線の栄駅を目指す。
今日も天気が良く、青空を突き刺すように名古屋テレビ塔が建っている。
鉄骨本来の飾らない姿が魅力的で、スタイリッシュな女性のような印象を抱くのは私だけだろうか。

以前にテレビ塔やその周辺は散策したことがあるため、少しだけ眺めたら地下へ潜る。
名城線は一昨日も乗り継ぎで幾度か利用した日本で唯一の地下鉄環状線。
残念ながら今回も1駅区間しか利用しない。

名古屋駅へは矢場町駅から東山線、もしくは久屋大通駅から桜通線のどちらを利用しても行くことができる。
桜通線は今回まだ乗っていないため、久屋大通経由で行くことにする。
栄駅から「右回り」の名城線に乗車。「右回り」という表記が環状鉄道らしい。

休む間もなく久屋大通駅に到着。
早いなと思って調べてみると同駅区間は400mしか離れていないらしい。
降りたホームからはエスカレーターに乗るだけで桜通線のホームへと降りることができる。




桜通線は名古屋交通局では一番新しい路線らしく、幅の広いホームとホームドアがそれを物語る。
この路線が中村区役所-今池間で開業したのは1994年のことで、その後順に路線を伸ばして2011年には郊外の徳重まで延伸している。
後に開業した区間は鉄道空白地帯を走っているが、利用者は今一歩のようである。

到着した「中村区役所行き」の先頭車に乗る。
走行中、見るともなく地下鉄の真っ暗な車窓を見ていると、トンネル内で分岐線を見つけた。
路線を左に分けて、引き込み線のようになっている。怪しい。
無機質な地下だからこそ不自然な空間にそそられてしまう。

後に調べると、丸の内駅で交差する鶴舞線との連絡線らしい。
もちろん旅客用ではないので通過することはできないが、名古屋にも隠れた地下線が存在することを知った。
機会は少ないけれど、地下路線を眺めていても発見はある。





まだ名古屋駅に着かなければならない時刻まで余裕があるので、一つ手前の国際センター駅で下車する。
ホームの先に未使用の部分があり、入ることはできなくなっている。柵が設けられは増結に備えてあるのだろうか。

改札を出ると、長い地下道が名古屋駅方面に伸びている。
ユニモールと呼ばれる地下街になっており、1駅区間歩けてしまう。
栄の地下街と同じく、ショップが軒を連ねてデパートのように充実している。


地上へ出て、書店に立ち寄ってからJR名古屋駅を抜けて太閤口へ。
一昨日降り立った太閤口のバスターミナルに戻ってきた。

東京へはここから高速バスで帰る。
東京-名古屋間は毎時1本は運行されていて便利だ。
バスは東名高速を経由するものが大半を占めているが、中には中央高速や新東名を経由する便もある。
特に最近は新東名の開通によって、最短時間で結ぶ便は新東名を利用している。

便によって途中停車するバス停や車の設備が異なるので、バスも鉄道と同じのように複雑。
そのため、選び甲斐もある。

ぜひともこの機会に新東名を通ってみたかったのだが、同じ料金で乗るのなら独り身は三列シートが嬉しい。
2階建てバスであれば2階席先頭を指定する事ができれば、東京までの6時間、飽きるほど景色を眺めることができる。
高速バスネットで3列シート車の2階席先頭を予約できたので、新東名は諦めることにした。

バスによってはコンセントが付いていたり、3列シートより少し贅沢なビジネスシートやプレミアムシートの付く便もあった。
時間と相談しつつ、様々なバス旅を楽しみたい。


乗車するのは「スーパーライナー22号」。
ネーミングはもう少しどうにかならなかったものか。
新幹線に「はやて」や「やまびこ」といった日本名の愛称が付くのはなじみ深いが、高速バスはカタカナ文字の愛称が多いようだ。
「ドリーム号」や「ファンタジア号」といった具合に付けられている。

スーパーライナーの所要時間は6時間16分。
新東名を使うと最短5時間というから驚き。

人の少ない待合室で案内放送が流れて外へ出ると、大きな二階建てバスが待っている。
早速改札を済ませて2階へ上がる。
さすがに天井は狭く、進むには頭を下げる格好になるが、座ってしまえば問題はない。




2階建てバスの目線は思ったよりも高く、非日常的で少し目が回る。
高速バスの事故が近年立て続けに起こっているので、意外と人気のない席かもしれない。


13:00 名古屋駅発

定刻通りに名古屋駅を出発。
さようなら、名古屋。と言いたいところだがしばらくは市街地を走る。
スマートフォンのマップを利用して現在地を追いつつ景色を眺めると、今回の旅で通った路線の真上を走ったりもする。
幹線道路の幅は広く、片側三車線の道が続く。
路線バスに自家用車と交通量も多く、バス停でも停車するため高速道路に入るまでに40分ほどかかる。

名古屋インター付近で高架を走る東山線と別れを告げると、東名高速に入る。
運転が一定の速度になると急に眠たくなって少しの間眠りについた。
昼寝をしたところで東京に着いていたりはしない。

起きると、すでに愛知県から静岡県に入っていた。
静岡県は長い。新幹線に乗っていても感じる静岡の横長はバス移動ならば、なおさらだろう。




いい感じにお尻が痛くなってきたところで、浜名湖SAにて休憩。
乗客のほとんどが外へ出て伸びをしつつ施設へ向かっていく。
与えられた時間は少なく、売店にてお菓子を購入していたら浜名湖を眺めている時間はなかった。




気を取り直して出発すると、バスはすぐに浜名湖を渡った。
予想していなかった絶景だ。

新幹線から眺める浜名湖よりも、内陸部のために入り組んでいる。
車窓左側は奥浜名湖というらしい。


新東名経由の場合は三ヶ日ICで分岐するため、浜名湖は見ることができない。
ちょっと得した気分で、次は富士山が見えるのを楽しみに見慣れない車窓を眺め続ける。

高速道路の良いところは、県境や市境に看板が出ているところ。
絵入りの看板には幾度も茶畑が描かれているのが静岡らしい。

浜松、袋井、掛川と東海道における静岡比率の高さを改めて実感することになる。
江戸時代のお伊勢参りを筆頭とした東海道の旅ではいったい何日間、静岡で過ごしたのだろう。

新幹線は最新技術を持って静岡県を完全無視して新横浜-名古屋間を1時間半弱で駆け抜けている。

移動の時間は短縮されて過程が待ち時間になったとき、旅は旅行へと変わってしまった。
「旅は憂いもの辛いもの」。目的地までの過程こそ、旅なのである。

ならば長い静岡の区間こそ、旅の醍醐味でもあると思う。
現代の旅人、時に明媚な景色に心奪われながら、焦らずに目的地を目指そう。