安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

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そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

一方で保守とナショナリズムを復活させながら、一方でそれを無意識に破壊する三橋貴明氏

2024-11-09 10:05:11 | 政治

前回の日記で、私が「素朴な信仰」と書いた意味を勘違いされる方もいらっしゃると思うので捕捉します

私が述べた「素朴な信仰者」とは、決して、毎週教会に通い祈りを捧げる熱心なキリスト教徒のことではありません

父母、祖父母がキリスト教を信仰し、ときどき教会に通う普通の家庭で育った人たち、キリスト教の価値観を親から受け継いだ人たち

という意味です

これは、以前私がご紹介したT.S.エリオットも、彼が語るキリスト教社会の意味を、素朴な信仰を持つ人々で作られる社会

と定義しています

 

それで、今回私がこのことを改めて強調したのには訳がありましてね

保守の原点とは何であるのか?を説明しているのです

アメリカにおける保守の原点とは、間違いなく、キリスト教の信仰です

前回も言いましたが、今回の大統領選挙は、キリスト教を信仰する保守派が、素朴な義務感の下に、自分たちの国を必死で守った

というのが本質的な見方であろうと思います

そう、保守派というのは、自由をこよなく愛しますが、その自由を守るために、自分たちに義務を課すことも責任だと思っているのです

ですから、保守の自由は自分たちの義務の上に成り立っているのです。。。自由を守るために責任を果たすべき

そう彼らは考えています

 

一方で、リベラル派(本来は自由主義を意味する言葉だが、最近は左翼を意味している)はどうなのかというと

彼らは「責任を放棄することが自由の恩恵」と考えている節があります

例えば、三橋貴明氏は山本太郎氏を、「リベラルで反グローバリスト」などと紹介したりしていますが

山本太郎氏は今回の衆院選でこのように言っています

「子供は国が育てるべき」

そして彼のその主張に根拠と正当性を与えているのが、三橋貴明氏が広げている経済政策・思想です

つまり三橋氏は、「親が子供を育てる」という、本来保守なら当然と思うべき責任を、放棄する手助けもしているわけです

「子供は国が育てる」や、「老後の面倒は国が見るべき」という考え方は、これはマルクスの思想、共産主義思想です

 

賢明な方なら、私が何を言いたいか分かると思います

保守思想は、一度失われてしまうと二度と取り戻せません

それは、家族制度が壊され、親から子、そして孫へと、大切な倫理的価値観が受け継がれなくなるからです

伊藤貫氏がキリスト教古典派の思想を紹介するときにこう言っています

「欧米社会からキリスト教の価値観が失われれば、彼らはエンプティ(空、空虚)になります。何もないんです」

アメリカでは今、伝統的なキリスト教の教育が教育現場から失われ、相対価値主義が台頭しています

分かりやすく言えば、「自分が男だと思えば男、女だと思えば女」と、個人がどう思うかで決めて良いのであって

社会の規範や法律によって決めつけるべきではない。。。。というものです

だから、「可哀想な黒人なら、万引きしても罰するべきではない」などと倒錯した価値観がでてきます

価値相対主義とは、社会に善も悪もない、すべては個人の主観なのだ、という考え方です

こう言う考え方を持つ若者が増えれば、社会は崩壊するでしょう

 

三橋氏の経済政策、経済思想は、こういう倒錯した価値相対主義を後押しする結果になっています

本人がそれをよしとするかどうかにかかわらず。。。に

それが分かるのはどうしてかというと

色々な動画のコメント欄で、「国民の血税」という言葉を、冷ややかにあざ笑う人たちがいます

それがMMT現代貨幣理論を学び、自らがインテリになったような気になっている人たちです

国民の血税という言葉はね、「国を良くするために責任を果たす」という、本来の納税義務のことを述べているのです

MMTによると、国は貨幣をつくれるのだから、納税の義務は本来ないんだ、という極端な考え方を持つ人たちが増えると

山本太郎氏のように「教育は国がやればいいんだ」という極端な意見に同調する人たちが増えるわけです

 

思想というのは恐ろしいものなのです。。。本人が意図する意図しないにかかわらず

それは独り歩きすることになる。。。。。。

三橋貴明氏には。。。仏教の「中道」が大事なのだと、提言しておきたいと思います

 

 

それではまた

 

コメント
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