5月22日でキンプリの平野くん、神宮寺くん、岸くんが脱退した。
デビューしてからまだ5年経っていなかったことに驚く。
誰よりも平野くんのダンスを見るのが大好きだっただけに、
これから見ることができないのが何よりも残念だ。
5月22日でキンプリの平野くん、神宮寺くん、岸くんが脱退した。
デビューしてからまだ5年経っていなかったことに驚く。
誰よりも平野くんのダンスを見るのが大好きだっただけに、
これから見ることができないのが何よりも残念だ。
お久しぶりです。
昨晩、坂本龍一さんの訃報が入りました。
昭和の巨星がまたひとつ消えてしまって寂しい限りですが、
彼の残した功績は深く明るく民の行く先を案内してくれることでしょう。
今日から新年度のスタート。
きっと坂本氏もそんな人たちの背中をポンと押して送り出してくれることでしょう。
愛媛新聞に「あったか不動産」という連載記事を見つけた。
横浜でアオバ住宅社を経営している齋藤瞳さんが、日頃奮闘している様子が描かれている。
昔々だが、「福祉と不動産」って何かできるのではないかと思いついていたことがあったことを思い返している。
福祉というと、がっつり身体介護やなんかを思い浮かべるが、私には向いていない。
間接的にではあっても、生きる上での要である住まいに特化した福祉業があってもいいのではないか。
そんなことを燃えカスのなかのくすぶりが囁いてくる。
今日は天赦日。
今まで躊躇していた事を始めるには良い日だとか。
その後押しもあり、
数年ぶりに派遣会社に問い合わせの電話を入れてみた。
目当ての仕事はすでに応募が締め切られていた。
空ぶった。
ただ、電話に出た方が偶然、以前お世話になった仕事の担当者さんで、
私のことを覚えてくれていたので、話がスムーズだった。
さすが餅は餅屋。
少ないやり取りの中に、的を射た質問をなげかけてきた。
おかげで(?)この数年の間に障害者となったことも伝えることができた。
事情を分かっている方だったので、思いがけず、
「この1歩が大事になりますね。」
と、親身になって応対してくださった。
電話を切った後、その言葉がじわじわとこころに沁みてきて目頭が熱くなった。
ハロワの職員や、なかぽつの職員よりも相談先としてはよかったのかもと思った。
久しぶりに本気を出して頑張ったご褒美に何か自分にあげたいと思った。
いつもならGUや化粧品に手を出すところだが、なんとなく食指が動かなかった。
今日は天赦日、&9月2日でくじの日らしい。
なので、宝くじを買ってみた。
大当たりとはいかなかったが、出費の半分ほどは回収することができた。
上出来ではないか。
9月になった。
朝、玄関先まで新聞を取りに行くと、虫の音が聞こえてきてくるようになった。
日中の暑さは厳しいが、季節は暦通りに進んでいるようだ。
今日はついたち。
何の予定もなかったので、いつものようにパソコンの前に座りっぱなしのはずだった。
だが、掃除でもしてみようかと思い立ち、頑張って動いてみた。
いつも気になりつつ、死にゃぁしないからとほったらかしにしている部屋も、
本当は毎日掃除したほうが気持ちがいいに違いない。
ここに住み始めてからもう10年くらいにはなるのだろうか。
だんだんと物が増えてゆき、部屋の中が物で溢れかえるようになった。
そうなればおのずと掃除もしづらくなる。
何より物をどかすのが面倒くさい。
ということで、
また少しずつ断捨離をせにゃならんなぁと思った。
自分が何のブログエンジンを使っていたかも忘れているほど放置していた。
前回の更新が2017年8月だったので、丸3年になるのか。
140文字の気楽なつぶやきにすっかり慣れてしまい、
長文で考えていることを書く機会がなくなってしまっていた。
今日は基礎学力が欲しいという思いが沸々と湧いてきた。
欲しいと思うだけで手に入れられるほど世の中甘くはなくて、
勉強することがキライときているんだから今更アップデートするはずもなく…。
自分は元来、感覚人間なので、いわゆる思いつきは得意だったりする。
ただ、基礎学力があっての思いつきと、そうではない思いつきではその先の現実味が大きく違ってくる。
自分の好きなアーティストさんのことについて検索してみたのだが、
彼は現在大手広告代理店に所属しているらしい。
出身大学も有名国立大学。
私が思うところの基礎学力+クリエイティブな才能を身に着けている。
同郷の方なので、その道に進めたということは、
地元では偏差値の高い高校に行っていたであろうことは想像できる。
親御さんも教師だったということで、その点では学びの環境には恵まれていたのかもしれない。
ご本人がその環境に満足していたのか、勉強が好きだったのか嫌いだったのか、
努力の人だったのか、嫌いでもできてしまう子だったのかはわからないが、
立派な経歴の土台の上にクリエイティビティを備えているのは伺い知ることができる。
学力とは社会で生きる上でひとつの装備品であり、
あると無いとではピンチを潜り抜ける時に違いが出る。
ほぼ丸腰に近い状態で今までを生きてきたのもある意味すごいな自分と思いもするが、
中年になり、結果を出している人との違いを見せつけられる(見る)につけ、
土台を作ることの大切さをもっと早くに気が付いておくべきだったと思う。
あぁ、久しぶりに思いつくことをたくさん書いた。
5月末からまた人生の休み期間に入った。
理由は前職場の雇用主であり
心療内科主治医でもあったヤブ医者からのモラハラだった。
私は自分の持ち分の仕事をしていただけなのに
「やる気がないんだったら辞めさせてもいいんだ」
と診察の合間で聞こえるか聞こえないかの声で吐き捨てた言葉だった。
いつもなら我慢する私だが、
今日のその言葉にはさすがにキレた。
昼休み、ヤブに
「聞き間違えだったら申し訳ないのですが、辞めさせてもいいんだとおっしゃいましたか」
と問うた。
ヤブは少しヤバイという表情をしてから
「やる気がないように見えたから」
と言った。
「やる気はあります。」
すると、ヤブは
「もっと仕事ができるかと思っていた。代わりの相談員はいるんだから。」
と言った。
そこまで言われてそこに留まる義理はない。
「解雇ですか」
と問うと
「今は辞められたら困る」
というので私は
「辞めます」
とはっきり言ってやった。
ま。今となってはどうでもいい話を思い出してしまったが、
記録として書いておく。
3月末で退職した。
精神的に混乱していたこともあり、
休暇簿に有給休暇の記入をしていなかった。
通帳をみたら給料が振り込まれていなかった。
チェックする奴がいるだろうよ。
そのことを本人に伝えるための上司がいるだろうよ。
お前らは病人の状態を考えられないのかよ。
お前らのせいで病気になったのに、
払う金も出さないのかよ。
最悪な日。
今日は母のお墓参りをしてきました。
幸い日差しもあり、暖かな気温でお参りできました。
そのあとは父の行きつけの散髪屋へ。
1時間ほどかかるので、父を下ろして私は本屋で立ち読みをしました。
いつもみるのは女性誌のファッション誌です。
冬場、何かに取りつかれたかのように各社の女性誌を買いあさっていたのですが、
一過性のものだったらしく、今日は立ち読みするだけで気が収まりました。
枚数だけはたくさん持っている洋服ですが、
上手に組み合わせられているかというとそうではなくて、
なんだかもったいないことをしているなぁと感じています。
人がどう思おうと自分が好きなものを着ればいい。
そういうタイプもあるでしょう。
私は、好きな服かつ見てくれが似合っている服がよいのです。
人からの評価を過剰に気にしてしまうのでおしゃれも肩身が狭いものになりがちです。
ジーンズのミニスカートに白のミリタリーシャツをインして着てみたい。
久しぶりのブログです。
3年前は無職でした。
そしてこの春でまた無職になります。
最初は臨時職員で働き始め、
途中から嘱託職員に。
1年更新の仕事でしたが、当たり前に更新されて続けていけるものと思っていました。
相談援助職に就いた人が皆陥ることではないでしょうが、
仕事のストレスと家族の病気が重なり、私も精神的に病んでしまいました。
正規職員の規定と同じような待遇で休職をし、
9か月休みました。
主治医から復職可能との診断書を受けて1か月後、
契約更新はしないと通告を受けました。
病気治療と職探しと親の介護。
今時珍しいことではないのでしょうが、
同じ状況でも、家族持ちで帰るところのある人とは大きく異なる状況です。
ただ愚痴るしかできなくて、
何とかするのは自分しかいなくて、
そんなことを吐き出したくてここに書いています。
あと何回こんなことを繰り返しながら生きていくんだろう…。
普通に生きることがこんなに難しいとは思わなかったな。
いつもはTwitterでつぶやいでいますが、
悪態はつけないので…。
病気と失業はセット。
身を持って感じています。
復職可能なのに何故切られるのか納得いかない。
産休の女性職員は何事もなく祝福されて復職できるのに、
病気休暇をした嘱託職員は首切りされる。
世の中線路に乗っかっている人間のもの。
腐りたくもなる。
そんな夜。
といっても、完全なひきこもりではひとり暮らしは続けられないので、
食べ物を買いに行ったり、どうしてもしなければならない用事をしたりはできています。
泣いてばかりで布団から離れられなかった時からしてみれば、よくなったと言えるのだと思います。
近頃は復職への焦燥感がチラホラしています。
図太くなったのか、『今は考えない』という思考パターンを使うことができるようになり、
別名『逃避』というのかもしれませんが、
“今”に焦点を当てれば楽になることを感じます。
Twitterが生活の糧になっていた(いる)のですが、
ある方からTwitterをよくしているようですが、余計なことに気を使わないように、とアドバイスをいただいてからというもの、
愚痴的なつぶやきや他愛のないつぶやきをしにくくなってしまいました。
言論というのは抑圧されると精神的に大変よくないのだなぁと思います。
なので、もうひとつの逃げ道であるこのブログに思いを吐き出しに来ました。
久しぶりに、本屋にて女性誌を買ってきました。
私は40代なのですが、洋服選びってとっても難しい。
年相応を求められたり、老けて見えたり、若作りに見えたり…。
ま、どちらも他人目線を気にしているからなんですけれども。
あと。クリーニングしなければいけないものとそうでないものがあったら、
後者を良く着るようになるんですよね。
安物買いのなんとやらで、洋服はたくさん持っているのですが、
買っただけの服もたくさんあります。
と。横道にそれました。
女性誌を見ていると、真似できそうやんと思うものがあります。
こっから実際にしてみるかどうか。クリーニングのことを考えないで着るかどうか。
この秋冬の課題です。
今年もてはやされているスニーカーやスリッポン。
掲載の様相を観察していると、
靴下は見せない。(履いてないのかな?)
それがお約束のようです。
どの写真もスニーカー+靴下はないですねぇ。
代わりに、ヒール+靴下。
これはありなようです。
これも挑戦したい技ですが、もうひとつ勇気湧きません。
私の場合、軽躁状態になると衝動買いをするようで、
散在してしまいます。欲しいと思うと止められません。
ブランド物を買いあさるようなことはありませんが、
先にも言ったように安物買いの銭失いです。
さて。女性誌の話に戻りますが、
女性誌はターゲットの年齢層別に作られています。
今回は40代向けのSTORYを買ってみました。
だけど、品物ひとつひとつのお値段が高い!
対象年齢層の注意書きとして、『それなりの収入のある40代の方』と但し書きが欲しいところです。
そして。おまけのLesOlivades(レゾリヴァードと読むそうです)のボニス柄ファスナー付きビッグトート欲しさに、
30代向けのInRedを買いました。
ちなみに、欲しいなぁ、買おうかなぁ、どうしようかなぁと迷っている間に、
11月号が店頭に並んでしまい、買いたくても買えなくなってしまいました。
バックナンバーを取り寄せ可能か聞いてみましたが否でした。
なので、泣く泣くAmazonで定価の倍近くのお値段で取り寄せました。
私、袋もん大好きなんです。
子供のころから。
出かけるときにはひとつしか持っていかないのに、
無駄にいっぱいあるんです。
ふろくバックもいっぱいあります。
ふろくバックは、同じの持っている人と会ったらどうしようとか、
バックみたらどの年齢層の雑誌を買った人かわかる人にはわかるから歳がばれてまうし…
とか思いながら使ったりしています。
ということで、
貯まっていた心の澱をどば~っと文字にして
あーすっきりした!
双極性障害という診断名がつき、振り返れば思い当たる出来事の数々。
しかし、今更そのことに言い訳をしても仕方ないと思っている一方で、
あの時の私の立場をわかってほしい。
遠ざかっていった人たちに理解してほしいと、何故か今朝起きぬけに思っている。
包括支援センターというところへ、縁あって就職して以来、
何もわからないところからの出発だった。
わからないなりに、周りの人たちの助けを得ながら業務にあたってきた。
そして、わからないなりに、未熟なりに行きつき、
思うことがある。
それは、
全ての行動や言動には訳がある。
と。
表面の言葉や態度だけでは、
本意は掴めていないかもしれないと、
汲み取っていないかもしれないと、そう思うようになった。
何故なら自分自身がそうだからだ。
声にならない声に耳を傾ける。
恰好をつけた絵空事のような言葉になるが、
今はそう思えるようになった。
人は自分が経験したことでしか判断できない側面がある。
それも理解できるようになった。
しかし、双極性障害という病気は、
外見ではわかりにくい普通の人のことが多く、
理解されにくい。
うつ病ほど認知はされていない現状。
まがりなりにも福祉に関わる人間だからこそ、
精神疾患を持ちながら社会復帰することの大変さ、
理解をしてもらいにくい社会に戻ることの不安を、
身を持って体験したほうが、
今後同じ立場の人たちに接するとき、対等でいられるのではないか。
それだけが、この病気になったメリットではないかと考えることもある。
自分の心身が耐えうるかどうか。
経験をアウトプットできるだけの力があるか。
自分はなんでもできるような気持ちになる。
これも双極性障害の躁状態症状のひとつでもある。
だから、症状として出来そうもないことを言っているのか、
ひとりの人間として役立ちたくて言っているのか、
自分でも区別がつかない。
こういう状態の時は、主治医に相談することにしている。
先生としては、生活面のこともあるため、
復職を考えてくれている。
できれば私も復職をして、
声なき声を聴けるような人として仕事をしたいと思う。
そんなことを思った朝。
昨夜は宵の口に眠気があったので、
デパスを飲まなかった。
それがよくなかったのか、3時前まで眠れず。
朝方に目が覚めた時、
携帯で時間を確認するために画面を見たら、
少し画面がくねって見えた。
そして、頭痛。
寝不足なのでまた眠れた。
その時、かなり濃厚でリアルな夢をみた。
まず。
スーパーで買い物中。
安物ワインを見ている時に、半額のがあって、
買おうかどうしようか迷っていた。
結局買わずに、店を出ようとしたとき、
職場の同僚の男性の後ろ姿と、
携帯でおそらく職場に報告の電話をしているのだろう、
「やっぱり仮病でした。」
という声が聞こえた。
こんな病気は病気だということは外からではわからない。
それをいちいち説明するのもおかしい。
見られた、という罪悪感になり、夢の中の私はいたたまれなくなった。
そのあと場面は変わり。
私は職場に出勤していた。
長期休職していたことを、誰に、どう切り出していいのかわからず、
結局誰にも謝罪することなく、うろうろと自分の席を探していた。
職場の様子はすっかり変わっていて、
私の席は結局みつけられなかった。
仲良くしてくれていた同僚も、
まわりの空気から話しかけてこない。
また場面は変わる。
見知らぬおばさん3人が私に声をかけてきた。
名刺を手渡され、
職業相談の相談員だという。
その後体調はどうですか?と優しく話しかけてくるが、
初めての人にそんなことを訊かれても答えに困る。
苦笑いしながらその場を離れる。
また場面が一転。
私よりも年上っぽい別のきれいな女性が、
気分転換にと、女性が好みそうなきらびやかな美術館に誘ってくれた。
何故かそこはセキュリティーがしっかりしており、
金属探知機を通ることになっていた。
私が通ると、ものすごい電気のビリビリを感じた。
入ったものの、こんなに痛いのでは出るのが怖いと思いながらも
こんなに痛いものなのか、受付の人に伝えるために痛い思いをして入口に戻り、
受付の人に痛かったというと、
後ろにある電圧?の調整スイッチを「すみません。」と言って調整していた。
という支離滅裂な夢。
目覚めたときは頭痛がひどく、水分不足による熱中症にでもなったか?と、
梅干しとお茶を摂った。
深層心理で、職場復帰を不安に思っているのだろう。
目覚めてみても、長い休職をして、人様に言えない病気を患っているのだから、
不安も無理はないとは思うが。
休養中のはずだが、休まらない心。