福 風

心にとまった物や想いを集めて。穏やかな風が吹きますように。

備忘録

2014-08-05 | 暮らし向き




昨夜は宵の口に眠気があったので、
デパスを飲まなかった。
それがよくなかったのか、3時前まで眠れず。

朝方に目が覚めた時、
携帯で時間を確認するために画面を見たら、
少し画面がくねって見えた。
そして、頭痛。

寝不足なのでまた眠れた。

その時、かなり濃厚でリアルな夢をみた。

まず。
スーパーで買い物中。
安物ワインを見ている時に、半額のがあって、
買おうかどうしようか迷っていた。
結局買わずに、店を出ようとしたとき、
職場の同僚の男性の後ろ姿と、
携帯でおそらく職場に報告の電話をしているのだろう、

「やっぱり仮病でした。」

という声が聞こえた。

こんな病気は病気だということは外からではわからない。
それをいちいち説明するのもおかしい。
見られた、という罪悪感になり、夢の中の私はいたたまれなくなった。

そのあと場面は変わり。

私は職場に出勤していた。
長期休職していたことを、誰に、どう切り出していいのかわからず、
結局誰にも謝罪することなく、うろうろと自分の席を探していた。
職場の様子はすっかり変わっていて、
私の席は結局みつけられなかった。
仲良くしてくれていた同僚も、
まわりの空気から話しかけてこない。

また場面は変わる。

見知らぬおばさん3人が私に声をかけてきた。
名刺を手渡され、
職業相談の相談員だという。
その後体調はどうですか?と優しく話しかけてくるが、
初めての人にそんなことを訊かれても答えに困る。
苦笑いしながらその場を離れる。

また場面が一転。

私よりも年上っぽい別のきれいな女性が、
気分転換にと、女性が好みそうなきらびやかな美術館に誘ってくれた。
何故かそこはセキュリティーがしっかりしており、
金属探知機を通ることになっていた。
私が通ると、ものすごい電気のビリビリを感じた。
入ったものの、こんなに痛いのでは出るのが怖いと思いながらも
こんなに痛いものなのか、受付の人に伝えるために痛い思いをして入口に戻り、
受付の人に痛かったというと、
後ろにある電圧?の調整スイッチを「すみません。」と言って調整していた。

という支離滅裂な夢。
目覚めたときは頭痛がひどく、水分不足による熱中症にでもなったか?と、
梅干しとお茶を摂った。

深層心理で、職場復帰を不安に思っているのだろう。
目覚めてみても、長い休職をして、人様に言えない病気を患っているのだから、
不安も無理はないとは思うが。

休養中のはずだが、休まらない心。





なんてこった

2014-07-30 | 暮らし向き



人生で生まれて初めて始末書を書かされることになった。

書かされるという言葉が適当かどうかは、
この始末書に至るまでの経緯を聞いてもらわなければわからないと思います。
だけど、ここでは割愛します。

双極性障害のうつ状態が重くでているための休職中。
自分で考えたり、判断することがとても負担になります。

休職延長に関して必要な書類の不備があったことに対し、
始末書への押印が必要、
8/1必着で返信してくださいと本日付で文書が届きました。

始末書なんて、書いたことがないから、
どんな文面のものか比較しようがない。
もし、どなたか知っていたら、おかしなところをご指摘いただきたい。

                   始末書

 休職処分にあたり、○月○日までに医療機関を受診し、診断書を提出すべきでしたが、
ご忠告があったにもかかわらず、これを軽視していた私の責任であります。
今後はこのような過ちを繰り返さないよう留意いたしますので、
今回は、ご寛容のほどお願い申し上げます。
 上司の命により、ここに始末書を差し入れ謝罪申し上げます。

平成26年○月○日
任命権者 様 

                     所属
                     職名
                     氏名           印


納得のいかない文章だけど、形式的にはこんな文章にしないといけない。
そう言い聞かせようとしました。

だけど、悔しい。
職場から届いた文書を軽視なんてしていないし、
過ちなんて言葉を使わないといけないのかと、
甘えたら負けるような気がするけれど、
病気なのに、こんな文書を突き付けてくるんだと、
また、うつに逆戻りです。

復職のことは考えられない。しんどい。






 


驚く医療費

2014-07-29 | 暮らし向き




今日は、職場に提出する休職延長届に添付しなければならない診断書のために動いた。

私が勘違いしていたことが、対応が遅くなった原因である。
職場から届いた書面には、

…引き続き病気休暇が必要な場合は、
あらためて病名と療養期間○月○日以降も療養が必要であるという内容を記した
医療機関の診断書(異なる2つの医療機関の診断書各1通)を添え…

とありました。

異なる2つの、のところを、
私的には、心療内科以外の病気で病院にかかっている場合、と解釈しており、
現在通院している心療内科の診断書のみ、職場の人事に送付していました。

それは私の解釈違いでした。
双極性障害であるというお墨付きをもらうために、
同じ病気の診断ができる心療内科もしくは精神科のある他院を受診し、
初対面の医師に、双極性障害であることを診断書に書き記してもらわなければならない。
そういう意味でした。

引き続き病気であることを証明するために、
いくらかかるかご存知でしょうか?

参考までに、3割負担の私の場合ですが、

①病気休暇延長届提出に添付する主治医の診断書   5,400円
②        〃            他院医師の診断書  2,160円
③他院の初診料・精神科専門療法              2,050円
                                合計 9,610円

です。

ちなみに、診断書料は保険適用外です。

今回の手続きを自ら行うことで、
大変勉強になりました。

休業し、給与の8割の支給で生活するのに、
上記の金額を支払うのは結構な負担になります。

雇い主側に立てば、休職者がズルをしないように監督することが必要なことはわかります。
でも、この制度ってどうなの?って思いました。

また、私のような躁とうつのある人のうつ状態の時、
このような書類の手続きは精神的負担になります。
誰か代わりに手続きをしてくれる人がいればよいですが、
自分でするのは不安定を招きます。
案の定、数日はうつが強まりました。

職場の直属の上司から、催促の電話、メールがきました。
病気になってから、電話にでることができなくなっており、
携帯電話に着信があると職場からだとわかるし、
それ以外で自宅電話に着信があっても、出ることができません。
きっと、体験した人でないとわからない状態だと思います。

今日は主治医の診察を受け、
その後書類に添付するため、主治医がよしと認める他院を紹介していただき、
自分でクリニックに電話を入れ、
たまたま午前中の時間が空いていたので、その流れで受診し、診断書を書いていただくことができました。

紹介していただいたクリニックの先生も、
今日初めて会った人のことを診断しろと言われても困るのが当然で、
主治医が書いてくれた職場へ送付済みの診断書の写しと、
職場から来た文書を参考に読んでいただきました。

職場からは、診断書の日付を都合上、延長する前日までの日付にしてほしいと書いていましたが、
先生は、

「これはおかしい。今日受診しているのに、先方の言う日付にすることはできない。
私が職場に電話して確認します。」

と言ってその場で電話をしていただけました。
職場の電話、担当部署、対応者の名前をカルテに記していました。
そして、私に、
「これでちゃんと話ができたから、何か言われるようなことがあったら言ってください。
ここにちゃんと記録として残しましたから。」

と心強い言葉をいただきました。

知り合いだったこともあるでしょうが、
社会資源を多く持っている主治医に、
また、患者を擁護する姿勢を持つセカンドオピニオンの医師に、
感謝しています。

余談ですが。

セカンドオピニオンで訪れたクリニックの待合室の壁に飾られていたリトグラフ。
とっても色合いが豊かで、観ていると、自然と笑顔になる、
そんな作品でした。
なんという作家さんの作品かとても知りたくなり、
受付の方に尋ねてみました。
一緒になって絵のサインを観てくれたのですが、その方もわからず。
すると、別の方が、絵に入っていたものですが、と、
作家さんの名前や作品名の入った説明をわざわざ持ってきてくださいました。

フランスのクリーブという作家さんでした。

興味のある方はネット検索してみてください。

残念ながらクリニックに掛けられていたものと同じものはみつけられませんでしたが、
どこかの画廊にあればまた観てみたいなぁと思いました。









                       


眠りについて

2014-07-27 | 暮らし向き




処方されているお薬を飲めば眠れるのがわかっていながら、
それでも飲まずに起きていること。
先生に言ったら叱られるだろうな。

今日は、認知行動療法の会に行ってみた。

自分がこの療法を受ける対象であること、
以前から気になっていたこと。
それが出席の理由。

教育する立場の人が多く参加していた。
場違いだったなと思ったが、聴くことは好きなので勉強になった。

現在休職中。
当初3か月だったのが、2か月延長となった。

思えば、休み始めた時、
社会福祉士として在籍している職能団体で開催されている
認定社会福祉士を目指して、今年度通してのカリキュラムを受講しようと思っていた矢先の発病。
というか、
その兆候は、心療内科を受診し始めたころからあったのだろう。
そして、主治医の先生が見極めた上で診断名をつけてくれた。

休みなさいってことだったんだなと、
今は感謝している。

正直、復職は考えていない。
失業しても、もう戻りたくない。

逃げていると言われてもいい。
言う人は言うけど、自分のことを面倒みられるのは自分しかいないから、
生きづらいところに居続けることはできないだろうと思う。

と書いたものの、
自分でさえ自分の面倒をみきれない。
躁になってみたり、うつになってみたり、日々刻々と変化する。
もう少しコントロールができるようになればと思うけれど、
不安定なのがわたしだからと、
ヘンに開き直ってしまった感もある。

現に、今もたくさん話している。
きっと躁状態なんだろうと思う。

私は人前で話すこと、考えていることを話して伝えるのが苦手だ。
頭の中では言葉にして考えているのだけれど、
言葉にする段階で端折ったり、言いたいことが相手に伝わらず、
伝えることをあきらめる。

しんどい生き方。





引き続き

2014-07-23 | 暮らし向き




今日から休職も明けて出勤予定だった。

しかし、主治医から「もう少し底上げをして100%回復させてからにしましょう」
と言っていただいた。

正直、よかったと思った。
復帰が怖かったからだ。

どんな顔をして職場に行けばいいんだろう。
同僚はどんな態度でいるんだろう。
そんなことが頭の中をぐるぐる回っていた。
考えたって、その場に行かない限りわかりっこないのにね。

あと2か月。猶予をいただいた。

春に休み、初秋に復帰。
まるで浦島太郎だな。

近頃は大泣きすることがなかったと思ったら、
今日はだめだった。
ぽろぽろとこぼれ落ちる涙とは、こういうのを言うのだと思った。

労働者の権利、
病気だからといっても、
後ろめたい気持ちのままの休職は続く。
精神的病への理解の低さは、目に見える病気とは違った苦しみがあると
実感している。

 


 


深い時間に

2014-07-21 | 暮らし向き




このところ、眠れないのではなく、眠りたくない状態になっています。

就寝前の投薬があるのですが、
それを飲むと、落ちるように眠ってしまいます。
だから、まだ飲んでいません。

私はTwitterをしています。
思ったことを思った時に言葉にできるツールとして、
今やなくてはならないものになっています。

反応してくれる人がいなくてもいい時と、
かまってほしい時と両方あります。

深い時間になると、フォロワーさんたちも眠りにつきます。
そしてbotがつぶやくようになります。
そうなるとつまらなくなるので、
You Tubeで音楽をむさぼります。

今日は、記憶の中にある好きな曲をたくさん引き出してきました。
音楽好きなフォロワーさんが、こんなに遅い時間なのに反応してコメントをくれました。
とてもありがたいことなのですが、
私のつぶやきのために、その方の睡眠時間を少なくしていることが申し訳なく思い、
まだ眠っていませんが、おやすみなさいとつぶやき、強制終了しました。

その後、このブログに移りました。

本来なら、明後日から休職明けの出勤となる予定でした。
しかし、まだ今はうつ状態の6割くらいまでしか回復していないとのこと。
2か月の休職延長となりました。

正直、ほっとしています。

風の便りで、私の後任探しをしていること、臨時職員を配置したことを知りました。
居場所がなくなっている。
もう、戻らなくていいんだ。
そんな安堵感もありました。
居場所のない悲しみよりも、こっちのほうが強かったかもしれません。

私のブログを見てくれていた人はご存じかもしれませんが、
この数年で、引っ越し、離婚、職探し、転職、現職への適応努力、父の入院など、
たくさんの変化の中、自分なりに頑張ってきました。
そして今、双極性障害という病名が付き、うつ状態で休息させていただいています。

休んでいいのかな。

そう思えることは、自分自身が楽でいられます。

Twitterを通じて、同じ病気を持っている方とつながることもできました。
それはとても心強く、休職中の私を支えてくれています。

今、時計は3:34です。
こんな時間まで起きてブログを書いているのは躁状態だと思われます。
目はしょぼしょぼして眠いのに、寝たくないと頭が言っています。
しばらくすれば、空が白んで朝がやって来るでしょう。

今日は海の日。
世の中は休日。
休職していることの罪悪感も少しは軽く過ごせそうです。

あくびがでました。









台風が過ぎたあと

2014-07-11 | 暮らし向き




秋風のような涼しい風を吹かせて、台風が過ぎて行った。

相変わらず不安定が続いている。
休職は今月22日まで。
焦りと不安がある。

しかし、いくら考えても名案は浮かばない。
だから、ま、いいかと、考えることを放棄する。
そうすると楽でいられる。

どうしたいか、じゃなくて、
流れにのってどうなっていくのか。

夏の太陽にきいてみる。
強い日差しも、薄暮のグラデーションも、
どちらもあなたなのですね。



メモ ~依存について~

2014-06-26 | 暮らし向き




テレビを観たのでメモ代わりに。

国立精神・神経医療研究センター 精神科医 松本俊彦さんより

≪依存に共通すること≫
つらい時問題から一瞬目を背けることができる。
依存症的行動に自分が振り回されてコントロールされて意志ではどうにもできない。

≪コントロールを失う人の特徴≫
依存するもの(対象)が少ない。
友達がいて家族がいて彼氏もいて日々の憂さをはらすために少しお酒を飲んだり、
あんまり依存になりにくいんです。
でも、信頼できる人、心を開ける人、安心して頼れる人がいなくて、いつも自分一人で踏ん張らなきゃいけない、唯一心を許せるのがお酒を飲んだり、あるいは夜中にこっそりリストカットしたりドカ食いしたりする。
依存先が少ない人ほど深刻な依存症になってコントロールを失いやすい気がします。

≪20代の躁うつ女性からの投稿≫
摂食障害、ギャンブル依存などがありましたが、今は買い物依存に苦しんでいます。
何かしらに依存することで心の孤独感を埋めようとしてきました。今は大切にい思ってくれるパートナーがいて少しずつですがやめられています。
どんな薬や情報より、誰かに認められることで私は変わってきているんだと思います。
あたたかい気持ちが特効薬です。

≪松本先生より≫
 やめられない、止まらないいろんな癖を人間みんな持っています。
できれば冷静に考えてみてもらって、身の回りの人間関係の中で、

「居心地の悪い人間関係はないか」

・誰かからいつもダメ出しされる、否定されるような人間関係
・いつも誰かに支配されて命令される人間関係
・伝えたいことが言えない本当のことが言えない人間関係

可能な範囲で、少しそういう人間関係から距離を持つことができたらすごくいいなと思っています。
ただ案外こういう人に限って生きていく上でとても必要な人だったりするから、簡単に距離が置けない場合もあるかもしれません。
そうしたら、そうした関係性を持っている相手の悪口や不満、愚痴を安心して言える人を作ったほうがいいと思うんですね。

頭にきたこと、むかついたこと、むかつくのは全然悪いことじゃないですよ。
それで相手に殴ったり怒鳴ったりするとちょっと問題があったりするけれども、今自分はすごくむかつきましたとか、腹が立っているんです、侮辱された感じがしています、こういう風に言えることが回復の第一歩ですね。
是非、自分の中でさっき言ったような人間関係がないかどうか点検してほしいなと思います。




この世界だけど別の世界

2014-06-23 | 暮らし向き



Twitterをしています。


最初は本音をつぶやくことに躊躇していたのですが、
近頃は、PCを立ち上げることもなく、スマホでネット検索から辞書、
あらゆることを済ませてしまっています。

しかし、こうして、ブログの記事を書くには、
PCを使ったキーボードが俄然楽で早いので、数日ぶりに立ち上げてみました。

前回の記事で、自分の病気について書いた訳ですが、
まだまだ自己受容が不十分なため、
誰も読んでいないにしても、
どこまで書いていいのか不安でもあります。

先日、Twitterで繋がったある方から、
双極性障害以外の他の精神疾患があるのではと指摘を受けました。
それは統合失調症です。
昔で言うところの、精神分裂病です。

その方には、同病ということもあり、
自分の状態について、文字として素直に話せていました。
被害妄想があることを、気が付いてくれました。
そして、主治医にありのままを話したほうがいいよとアドバイスをもらいました。

次回受診の時に話してみようと思っています。

こうして、次々と気になることが出てきた訳ですが、
今、そんな自分と向き合っています。
とてもしんどい作業ですが、
ありのままを受け入れるところからでしか改善されない。
それは、人生のどんな場面でも当てはまることだとは思います。
なのですが、なかなか受け入れられない、葛藤の時間を過ごしています。

これらの精神疾患は、体の病気と異なり、
患者は病名を明かすことを、
周囲は病名を聞いてどう対応したらいいかわからないものとして、
やっかいなもののようです。

人の支援をする側として、生きづらさを抱えている人に添えるような、
そんなことができたらと思って、ここ数年いたわけですが、
支援される側になろうとは。

でも。
強がりですが、自分が支援される側になるということは、
人ができない経験をすることでもあり、
活かすことができれば、
上辺ではない寄り添いができるかもしれない、
そんなことを思ったりもします。

今は、主治医とともに、
状態を立て直すために服薬しながら、
試行錯誤をしているところです。

3か月の休職も、残すところあと1か月を切りました。
今も、一日のうちで感情の浮き沈みが大きく、
大泣きして涙が止まらないことがあります。
復職への焦りが出ています。
休息するための休みなのに、
焦っていては休息にならないのですが、仕方のないことだと思います。

今の現実の世界の私はこんな感じです。

別の世界。SNSの世界。
いろんな人の考え方に触れることができるツール。
同病の方、関係団体など、ひとつ繋がれば芋づる式に情報が付いてきます。
病気による症状がある方の、少し重たい本音に触れると、
自分の状態も不安定になることもあります。
人様の状態の上下を俯瞰してみることができる点で、
別の世界は、今となっては無くてはならないものとなっています。

しかし、Twitterでのわたし、というキャラクターに縛られているところがあり、
ここまであからさまには病気のことを話せていません。
話したくないのだから、する必要はないのかもしれません。
だけど、心の中にたまった澱を、
自由に洗い流すことができるところが必要でした。
だから、ここに書いています。

この先、自分がどんな状態になるのか、
どんな生活をするようになるのか、
失うものへの恐怖。
いろんなことが頭をよぎります。







 


近況

2014-06-19 | 暮らし向き



梅雨に入っていますが、松山では晴れの日が多めで何日も降り続くような雨の日があまりありません。
好きではありませんが、この雨があるから育つ命もあると思われ、
昔と変わらず雨が降るときには雨が、照る日にはお日様がある気候であり続けるように祈るこの頃。

さて。

近況でも書いてみようと思います。
最近、スマホでTwitterばかり利用して、思っていることを小出しにしているので、
それはそれで精神衛生上とてもありがたいことです。
しかし、こうして全体をみながら、文字数の制限を気にせず文章を書くこともたまには必要かなと思いました。

4月下旬より、病気休暇をいただいております。
3か月の予定です。
病名では『双極性障害2型』と診断を受けました。
正月早々、父が脳梗塞を発症し入院をしたこと、
仕事で補助金をいただいているプロジェクトに関わっていたのですが、
同じチーム(と呼びたかった)からは疎外され、
居場所をなくしていました。

地域包括支援センターで嘱託の社会福祉士として勤務していました。
市役所の中に併設していることもあり、正規職員の中で、
責任を取れない立場の嘱託として、仕事をすることに重圧をはがゆさを感じていました。

物事を推進めようとする時、
誰にどのタイミングでどんな手順で展開していくかを、シュミレーションしておく必要があったのですが、
今回のプロジェクトではそんな段取りを全くできていませんでした。
学びになったことは事実です。
ただ、悔しい。
職員の考え方を反映するやり方が採用され、思い描いていた方向と全く違った方向に展開されていきました。
ものを言える立場の人間の強い発言に誰も異議を唱える者もなく進んでいく。

途中で勝手にどうぞ、と思ってしまったんですね。

大人げないとは思いますがそう思ったんです。
チームとしてひとつのものを作り上げていく、そんな士気が全く感じられないプロジェクトになりました。
突貫工事でうすっぺらい仕上がり。

私生活では、年下の同業者の男の子と友達以上恋人未満の付き合いをしていたのですが、
ちょっとしたすれ違い(と私は思っているのですが)から、
相手に「もういいかな」と思ったと手紙に書いたものを渡され、
当たり前にいた人との関わりが切れたこと。
たいしたことないと思っていたのですが、精神的に大打撃を受けていたようで、
仕事帰りの車の中で号泣する日が続きました。

通っていた心療内科の主治医より、

「心も体もブレーキがかかっている状態なので休職しましょう」

と言われ、現在に至っています。

休職が終了するまであと1か月あまり。
そろそろ進退を考え始めなければいけませんが、
迷いと焦りの中にいます。

これからの人生。
何を軸に生きていくか。

これまでの人生の中にも何度も選択する機会はありましたが、
今回の選択は病気がありながらという初めてのこと。
正常な思考で選択をする自信がありません。

 

 





 


久しぶりに

2014-05-02 | 暮らし向き



どうやらお正月ぶりのようです。
ウォーミングアップを兼ねて文字を打ってみました。

2006年から始めたこのブログですが、
今でものぞいてくれている方がいらっしゃるかな?
もしいてくれたら、長年俯瞰してくれている方なら、
人生の浮き沈みをわかってくれるのかなぁなどと思ったりしています。

先月下旬から、またまた人生の夏休みに入りました。

今夜はこれ以上書こうとすると頭が働きそうにないのでこの辺にしておきます。

外は新緑の眩しい季節。
テレビコマーシャルも夏向けのものが放映されています。
大好きな季節です。





永遠の0

2014-01-01 | 映画




明けましておめでとうございます。

今年は年明け早々、初詣にも行かず、
映画『永遠の0』を観てきました。

感想。
今風の作りだなぁと思いました。

これが戦時中だとしたら、きっと同じ事実でも描かれ方が全く違っていただろうなと思いながら映画を観ていました。

死にたくない。
人間の当たり前の欲求が抑圧されていた、麻痺していた戦時中。
それを真っ向から描いていたと思います。

映画って、突っ込んで深読みしてしまうと素直に楽しめなくなるので、
あえて触れないこともありますが、
上映中には泣いてました。
あちこりで鼻水をすする音がしていました。

10代の多感な頃、特攻になりたくてグライダーの訓練をしていたという父が、
創り物に対して小言の多い父が、珍しく何も言いませんでした。

年始早々、大きなスクリーンを目の前にいい時間を過ごせました。

 

 


大切なもの

2013-12-31 | 暮らし向き




2013年。今年が暮れていきます。
BGMは紅白歌合戦。

今年もいろんなことがありました。

振り返ることってきっと大切なんだろうけれど、
めんどくさくってやってこなかったなぁなんて思いながら書いています。
思い出したくないこともたくさんありますが、
痛みを伴う振り返りをしています。

28日から年末年始の休暇に入り、
これまでの人生でもっともすさまじいことになっていた部屋の掃除をしました。
2DKの部屋に一人住まいなのですが、
スペースがあればあるだけどんどん物が増えています。
特に洋服が半端ないです。
4人家族分くらいの在庫がある気がします。
安物買いのなんとやらで、本当に思い入れのあるお気に入りの洋服ってどんだけあるんだろう。
いざ捨てるとなると、なんだか思いきれなくてとりあえずキープの服が多い気がします。

捨てて捨ててどんどん捨てて、
捨てたことに後悔するものって、果たしてどれくらいあるんだろうと考えています。
本当に必要なものなら、捨ててもまた出逢える気がします。

捨てるという言葉はあまりよい言葉ではありませんね。
手放す。囚われから解放する。

デジカメを使って写真を撮ることもほとんどなくなり、
画像upの方法も忘れてしまった気がします。
さびしいことです。

最近。
鏡を見ると、口角が下がってます。
来年は意識してニコッとします。

心が満たされるよう、
好きなことを楽しみたい。

好きなことってなんだろう。
食べること、車を運転すること、運転しながら音楽を聴くこと。

仲間が欲しいなあと、ずっと思っているのですが、
しし座の私は群れることが苦手で、どうしてもひとり浮いてしまいます。
寂しいんだけどなぁ。

背中向けて体育座りしている私の背中を、
ツンツンってつっついてくれる人が現れるのを密かに待っていたりします。

年内には寝ようと思っています。
目が覚めれば、2014年。

ひとりぼっちのみなさん、
家族と一緒に過ごすみなさん、
そのほかいろんな状況にいるみなさん、
全ての人がしあわせな新年を迎えられますように。







 


波の音を聴きながら

2013-10-13 | 想い

さて。

今日の愛媛新聞朝刊読者の広場こだま欄に、
『自分と向き合う「孤独」大切』の投稿を見つけた。

筆者の時川さんに了解はいただいていないが、
ここに全文掲載させていただくことをお許しいただきたい。

☆☆☆

 以前、本誌に劇作家・演出家の鴻上尚史さんが、成人式を迎える若者のための文章を掲載していた。とても心に残ったのでスクラップしている。我が家にも19歳ともうすぐ17歳になる息子がいるが、彼らにもこの言葉を伝えたいと思った。

 テレビで半沢直樹が話題になったが、長いものに巻かれていなければ生きにくい社会だ。その中でも、向き合わねばならないものがある。それが「本物の孤独」。本当の意味で自分と向き合うことだ。携帯やパソコンでつながっていなければ落ち着かないようでは、本当の意味で自分と向き合えない。「『本物の孤独』はしんどいけれど、暗闇を進んでいく勇気をくれる」。そう、鴻上さんは述べていた。

 我が家にも「本物の孤独」を知っている先輩がいる。孤独と戦いつつ何かに苦しみ、自分で答えを見つけている姿を私は知っている。それを息子たちにもちゃんと見ていてもらいたいと思う。「大人になる」ということを。

                               松山市 時川千恵美さん(47歳・主婦)

☆☆☆

そして、この記事にある鴻上尚史さんの文章を読んでいなかったので、
パソコンで検索をかけてみた。
ブログに打ち込みされていたものを拝借させていただく。

☆☆☆

鴻上尚史「成人するあなたへ」

本物の孤独と出会おう

 成人、おめでとう。でも大人とはなんでしょう。賢いあなたは、年を重ねることと、大人になることは何の関係もないと見抜いているんじゃないですか?

 あなたの周りには、二十歳をとうに過ぎているのに、少しも大人じゃない人が何人もいるはずです。

 大人と子供の違いはなんでしょう。二十歳を過ぎると、実にやっかいな問題にぶつかります。解決不可能な、どちらの結論を選んでも、間違っているんじゃなかと思えるような、正しい解決策が見えない課題です。

 でも、人生の問題とはそういうものです。大学入試まで、子供は「問題には必ず正解がある」と思い込まされていますが、もともと、人生の問題には、完全に正しい解答なんてありません。

 そういう時、子供は、自分で考えることをやめて、親や誰かのアドバイスや言いつけに従います。そうすれば楽ですし、責任も生まれません。子供とは、いつも誰かに手を引いてもらっている存在なのです。

 そして、二十歳を過ぎてもそうしている人は、絶対に孤独になりません。

 成人式でお酒を飲んで暴れている若者が、毎年話題になりますが、彼らは、本当の意味で一度も孤独になったことがない人達だと思います。

 孤独には、「本物の孤独」と「偽物の孤独」があります。

 一週間、誰とも話さなかったから孤独なのではありません。

 誰とも話さなくても、メールをやりとりし、インターネットで会話していれば、孤独ではありません。

 孤独とは、「一人で自分と向き合う」ことです。例えば、あなたがすてきなアドバイスを受けたり、役に立つ本を読んだりしても、一人でかみしめる時間がなければ、それはあなたのものにはなりません。今聞いた役に立つ情報を、右から左に伝えるだけでは、あなたのものになっていないのです。

 二十歳を過ぎて出会う解決不可能な問題は、親に判断を任せない限り、自分で解決するしかありません。が、「偽物の孤独」しか経験していない人は、アドバイスしてくれる人を求めて、ウロウロさまようのです。

 ただ、「本物の孤独」の時間が、うんうんとうなりながら問題に取り組むことができるのです。

 もし「本物の孤独」を経験したいと思ったら、あなたは、携帯電話の電源を切り、パソコンやテレビから離れて、あなただけの時間を持つ必要があります。その時間が長ければ長いほど、あなたは「本物の孤独」と出会い、自分自身と会話を始められるのです。

 「本物の孤独」はしんどいですが、あなたに暗闇を進んでいく勇気をくれます。終わりが明確でない暗闇を一歩一歩、歩く時、あなたは初めて大人になるのです。(作家・演出家)

 こうかみ・しょうじ 1958年新居浜生まれ。早稲田大在学中に劇団第三舞台を結成。95寝ん、「スナフキンの手紙」で岸田国士戯曲賞を受賞。現在、

「KOKAMI@network」と、「虚構の劇団」を中心に活動。

             鴻上尚史「成人するあなたへ」、『愛媛新聞』2012年1月9日(月)付

☆☆☆

せめて今日一日だけでも、
外界との接触を断ち、自分と向き合うことができるだろうか。
自信がない。

しかし、本物の孤独のしんどさを知ることで、
暗闇を進む勇気が得られるのなら、
この休みに試してみようかとも思う。

通信手段のなかった昔からしてみれば、
何に迷うことがあろうと思われるだろうが、
当たり前にあるものがなくなることほど、現代人へのダメージが大きいものはない。

無くてあたりまえ。
あることの幸せ。

感じることができるだろうか。

 

 


動いている。

2013-07-19 | 想い



久しぶりにブログをのぞいてみたことで、
ツイッターやブログにしがみついていた時の自分を振り返る。

その当時は、しがみついている意識もなくて、
想いを書き込むことでなんとか自分を保っていたと思う。

今日までの間、
現実世界での繋がりが、良くも悪くも活発となり、
そちらに力の配分が多くなっていたことで、こちらの世界から離れていた。

楽しんでパソコンに向かえる時、
伝えたくてしょうがなくなった時、
またここに戻ってこられたらいいなぁと思う。