晴れた二日間は・・・その3.
二日目の土曜日も川越方面へ・・・
例の仲良し爺さんカルテット(クヮルテット?・クァルテット?)の集まりで
朝、6時半に出発・・・。
予報どおり朝から晴れ渡る好天気に恵まれたが空気は冷たく、久しぶりに
車のフロントガラスに霜が張り付いていた。
この時季の霜なのでガリガリに凍ったものではなくプラスチックの霜取り
グッズの手ごたえも軽い物だった。
今は四人組だが1年半ぐらい前まではクインテット(五人組)だったこの仲間
達との家族ぐるみの交流は最も古くからの付き合いが50年、短い人でも
20年以上になる。
因みに5人中、私も含め4人は社内結婚で、妻たちはお互いを知らなかったが
5人がそれぞれの家庭で持ち回りの集まりをすることによって家族での交流が
始まり、以後女性たちも顔を合わせる機会もありこうして付き合いが長く
続いているのである。
一番長生きするであろうと思われた最年長のメンバーが残念ながら1年半前に
すい臓がんで亡くなったためそれ以後は4人になってしまった。
五人全員、私が最初に勤めた会社のメンバーで、それぞれ支店や部署は違っても
頻繁に行われる人事異動によりどこかの支店で知り合った気の合う仲間であり、
私は金属20年で退職したが彼ら四人は全員真面目にその会社で定年を迎えた。
なくなった仲間が生きていれば79歳、次が私と同じ76歳、そして次が74歳、
最年少者が69歳という爺さんたちだが元気者揃いでみんなが月に2~3回
の顔合わせを楽しみにしているのだ。
メンバーの3人は川越を中心に5km圏内に居住しており、私はさいたま市なので
少し離れているがそれぞれの家庭への訪問時は車で出かけ、途中で合流して
行くことにしている。
川越へ向かう国道16号の上江橋(かみごうばし)を渡る途中に道路の真正面に
大きな富士山が現れる(見える)地点があり、特に冬場の晴れた日はくっきりと
したその稜線と青空と雪のコントラストや光を反射するように聳え立つ
全体の姿は雄大で心の中に大きな力が伝わってくるようである。
このはっきりと鮮やかに見える富士山も春が進むにつれてその姿が次第にぼんやりと
してくる感じではあるが、いつ、どんな時でもそして何度見てもその都度何かを
感じさせてくれる。
そのほとんどが過去の思い出や古き良き時代への郷愁などではなく、雄大なその姿から
激しく移り行く時代に向かって、小さな自分であっても一歩でも二歩でも自分らしい
歩み方で進んでいきたいと思わせてくれるのである。
二日目の土曜日も川越方面へ・・・
例の仲良し爺さんカルテット(クヮルテット?・クァルテット?)の集まりで
朝、6時半に出発・・・。
予報どおり朝から晴れ渡る好天気に恵まれたが空気は冷たく、久しぶりに
車のフロントガラスに霜が張り付いていた。
この時季の霜なのでガリガリに凍ったものではなくプラスチックの霜取り
グッズの手ごたえも軽い物だった。
今は四人組だが1年半ぐらい前まではクインテット(五人組)だったこの仲間
達との家族ぐるみの交流は最も古くからの付き合いが50年、短い人でも
20年以上になる。
因みに5人中、私も含め4人は社内結婚で、妻たちはお互いを知らなかったが
5人がそれぞれの家庭で持ち回りの集まりをすることによって家族での交流が
始まり、以後女性たちも顔を合わせる機会もありこうして付き合いが長く
続いているのである。
一番長生きするであろうと思われた最年長のメンバーが残念ながら1年半前に
すい臓がんで亡くなったためそれ以後は4人になってしまった。
五人全員、私が最初に勤めた会社のメンバーで、それぞれ支店や部署は違っても
頻繁に行われる人事異動によりどこかの支店で知り合った気の合う仲間であり、
私は金属20年で退職したが彼ら四人は全員真面目にその会社で定年を迎えた。
なくなった仲間が生きていれば79歳、次が私と同じ76歳、そして次が74歳、
最年少者が69歳という爺さんたちだが元気者揃いでみんなが月に2~3回
の顔合わせを楽しみにしているのだ。
メンバーの3人は川越を中心に5km圏内に居住しており、私はさいたま市なので
少し離れているがそれぞれの家庭への訪問時は車で出かけ、途中で合流して
行くことにしている。
川越へ向かう国道16号の上江橋(かみごうばし)を渡る途中に道路の真正面に
大きな富士山が現れる(見える)地点があり、特に冬場の晴れた日はくっきりと
したその稜線と青空と雪のコントラストや光を反射するように聳え立つ
全体の姿は雄大で心の中に大きな力が伝わってくるようである。
このはっきりと鮮やかに見える富士山も春が進むにつれてその姿が次第にぼんやりと
してくる感じではあるが、いつ、どんな時でもそして何度見てもその都度何かを
感じさせてくれる。
そのほとんどが過去の思い出や古き良き時代への郷愁などではなく、雄大なその姿から
激しく移り行く時代に向かって、小さな自分であっても一歩でも二歩でも自分らしい
歩み方で進んでいきたいと思わせてくれるのである。