3月23日の投稿文(孫のメキシコ行き)の日がついにやってきて孫は遠い彼方へ
大きく羽ばたいていった。
昨日、私たちの唯一の孫が予定どおり、メキシコでの就職のため成田を
飛び立ち日本時間の今朝早朝にメキシコに到着し、一報が入ったが
じじ、ばばとしてはやはり複雑な心境である。
這っていたころ、歩き出したころからの彼女との思い出は限りなく多く、
私の自慢の孫であり彼女も常に「じじ」「じじ」と私のことを慕ってくれ、
頼りにもしてくれていた。
そんな孫が遠く離れた地へ行き、なかなか会えない状況になるとは・・・
実に寂しい話だが彼女の新しい人生のスタートを祝福し、喜んで送らなければ
と思いながらも近くにいて常に見守り続け、遊び続けてきた孫との別れはやはり寂しい。
先日の記事とダブルが孫の父親は私の息子、そして母親はメキシコ人、息子が
1987年から1995年までメキシコで仕事をしておりその間に知り合い、1991年に結婚し、
1995年に帰国後1998年に孫が生まれたのだが・・・
小さい頃から明るく元気で可愛い孫だったが成長するとともに本当に可愛くなり
私がいうのも可笑しいが綺麗な女の子というより母親にも似てきて美人さんになったが
見かけはあまりハーフっぽくはない。
幼稚園や小学校時代は男の子にも負けないような元気そのものの生活ぶりだったが
中学校ではハーフということに起因する多少の「いじめ」などに会い、暗くはないが
少し「消極的」「自信喪失症」気味な点も見受けられ、私たちも心配したものである。
高校ではいい先生や仲間たちとの出会いで再び静かな自信を取り戻し、元気に
短大生活を送ることができて本来の明るく優しい子が復活したのである。
就職活動にあたり国内の企業数社の面接を受けたがいずれも不合格・・・
そこで彼女は日頃家庭内では主としてスペイン語を使っていることを武器に(?)
メキシコでの勤務を希望して・・ということでWEB面接なども利用したりで首尾よく
メキシコ行きとなったのだが・・・。
昨日、私たちじじ、ばば夫婦は大宮の成田行きのバス発着所まで、息子夫婦は成田まで
見送り、夜にはたまたま上京していた義弟も交え、我が家で門出を祝う『飲み会』が
夜遅くまで続いた。
こうしてここ数日間に及ぶ『イベントラッシュ』は終わった途端なんともいえぬ
強い脱力感を覚えた。
これがよく言われる『心にポッカリと穴が・・・』というようなことなのだろうか?
息子がメキシコへ行った1987年頃とは通信手段も大きく変わり、スカイプ、スマホでの
映像を使った会話も即時できるので距離はゼロとも言えるが、今までのようにすぐ近くから
跳んできて『じじ』『あーちゃん』と生の声をかけてくれるのとは大違いである。
(これは仕方のないことであるが)
成人した一人の人間が社会人として責任を持った仕事に取り組むのだから、私たちも
それをわきまえて少し離れて静かに応援しようと思っているが、本音はやはり寂しい。
大きく羽ばたいていった。
昨日、私たちの唯一の孫が予定どおり、メキシコでの就職のため成田を
飛び立ち日本時間の今朝早朝にメキシコに到着し、一報が入ったが
じじ、ばばとしてはやはり複雑な心境である。
這っていたころ、歩き出したころからの彼女との思い出は限りなく多く、
私の自慢の孫であり彼女も常に「じじ」「じじ」と私のことを慕ってくれ、
頼りにもしてくれていた。
そんな孫が遠く離れた地へ行き、なかなか会えない状況になるとは・・・
実に寂しい話だが彼女の新しい人生のスタートを祝福し、喜んで送らなければ
と思いながらも近くにいて常に見守り続け、遊び続けてきた孫との別れはやはり寂しい。
先日の記事とダブルが孫の父親は私の息子、そして母親はメキシコ人、息子が
1987年から1995年までメキシコで仕事をしておりその間に知り合い、1991年に結婚し、
1995年に帰国後1998年に孫が生まれたのだが・・・
小さい頃から明るく元気で可愛い孫だったが成長するとともに本当に可愛くなり
私がいうのも可笑しいが綺麗な女の子というより母親にも似てきて美人さんになったが
見かけはあまりハーフっぽくはない。
幼稚園や小学校時代は男の子にも負けないような元気そのものの生活ぶりだったが
中学校ではハーフということに起因する多少の「いじめ」などに会い、暗くはないが
少し「消極的」「自信喪失症」気味な点も見受けられ、私たちも心配したものである。
高校ではいい先生や仲間たちとの出会いで再び静かな自信を取り戻し、元気に
短大生活を送ることができて本来の明るく優しい子が復活したのである。
就職活動にあたり国内の企業数社の面接を受けたがいずれも不合格・・・
そこで彼女は日頃家庭内では主としてスペイン語を使っていることを武器に(?)
メキシコでの勤務を希望して・・ということでWEB面接なども利用したりで首尾よく
メキシコ行きとなったのだが・・・。
昨日、私たちじじ、ばば夫婦は大宮の成田行きのバス発着所まで、息子夫婦は成田まで
見送り、夜にはたまたま上京していた義弟も交え、我が家で門出を祝う『飲み会』が
夜遅くまで続いた。
こうしてここ数日間に及ぶ『イベントラッシュ』は終わった途端なんともいえぬ
強い脱力感を覚えた。
これがよく言われる『心にポッカリと穴が・・・』というようなことなのだろうか?
息子がメキシコへ行った1987年頃とは通信手段も大きく変わり、スカイプ、スマホでの
映像を使った会話も即時できるので距離はゼロとも言えるが、今までのようにすぐ近くから
跳んできて『じじ』『あーちゃん』と生の声をかけてくれるのとは大違いである。
(これは仕方のないことであるが)
成人した一人の人間が社会人として責任を持った仕事に取り組むのだから、私たちも
それをわきまえて少し離れて静かに応援しようと思っているが、本音はやはり寂しい。