私が住んでいる近くには公園が幾つもあるが新芽の綺麗な春、木々の葉が生い茂る夏、
葉っぱが色づく秋やその葉が落ちて空が広く見える冬・・・どの季節もそこで木々を見上げたり、
ベンチに腰かけて本を読んだりゆっくり日向ぼっこをしてみたり・・・などということはまだ
一度もない。
少し前までは人影を見ることがなかったこれらの公園内に最近は陽射しの温もりを感じる
日にはベンチにかけている人やお母さんと子供の姿なども見られるようになった。
温かい空気に誘われるように住宅街に隣接する小さな公園に私もそっと足を踏み入れてみた。
黒っぽい落ち着いた色の土がなぜか新鮮に見えた。
そして下から見上げる木々のはるか先の空はいっそう青く見えた。
子供の頃にこれと同じ光景を何度も見たぞ・・・それは公園ではなかったが・・・と思った時、
すぐに思い浮かんだのが同じ色の土の上で、どんどん直線でできる図を拡大していった
『釘刺し』の遊びだった。
一人ではできず、二人では物足りず、3~4人ぐらいでやることが多かったと思うが
交互に地面に釘を刺した位置に直線を引いていきながら相手を取り囲む・・・という遊びで
相手の進路をふさぐようにしたり、線の間を狭くしたりその間を抜けだしたりという攻防が
楽しく、お互いに勝つまでやりたいと思い時間の経つのも忘れ夢中で遊んだものである。
遊びの道具は五寸釘だけ・・・それを肩や頭の上まで振り上げ、力強く一気に地面に
打ち込んで刺しながら進み、相手を取り囲むという単純な遊びだが今やろうとすると
相手を傷つけたり自分の足を刺してしまう恐れがあって危険だから・・・と許されないのかも
しれない。
私たちは子供なりに危険のないよう、先輩から釘の持ち方、腕の上げ方や振り下ろして
地面に刺し込む技術や目標の取り方などと共に危険のない確実な刺し方なども伝授されて
いたので誰も心配しない楽しい遊びの一つだったのだ。
今、親指と人差し指の間に釘の頭の部分を挟んで持つ格好をボールペンで再現してみると
ひろがボールペンが釘に見えるような気がしてあの頃の友達の笑顔が目の前に浮かんで
くるようだ。
今回ふと足を運んだ公園の黒っぽい土の色が一瞬にして『釘刺し』に結び付いたのは
遠い昔に友達と遊んだ広場の土の色が頭や目の奥にしっかりと残っていたからだと思う。
周りにある他の公園へ行っても幼いころの何かを思い出すかもしれない。
葉っぱが色づく秋やその葉が落ちて空が広く見える冬・・・どの季節もそこで木々を見上げたり、
ベンチに腰かけて本を読んだりゆっくり日向ぼっこをしてみたり・・・などということはまだ
一度もない。
少し前までは人影を見ることがなかったこれらの公園内に最近は陽射しの温もりを感じる
日にはベンチにかけている人やお母さんと子供の姿なども見られるようになった。
温かい空気に誘われるように住宅街に隣接する小さな公園に私もそっと足を踏み入れてみた。
黒っぽい落ち着いた色の土がなぜか新鮮に見えた。
そして下から見上げる木々のはるか先の空はいっそう青く見えた。
子供の頃にこれと同じ光景を何度も見たぞ・・・それは公園ではなかったが・・・と思った時、
すぐに思い浮かんだのが同じ色の土の上で、どんどん直線でできる図を拡大していった
『釘刺し』の遊びだった。
一人ではできず、二人では物足りず、3~4人ぐらいでやることが多かったと思うが
交互に地面に釘を刺した位置に直線を引いていきながら相手を取り囲む・・・という遊びで
相手の進路をふさぐようにしたり、線の間を狭くしたりその間を抜けだしたりという攻防が
楽しく、お互いに勝つまでやりたいと思い時間の経つのも忘れ夢中で遊んだものである。
遊びの道具は五寸釘だけ・・・それを肩や頭の上まで振り上げ、力強く一気に地面に
打ち込んで刺しながら進み、相手を取り囲むという単純な遊びだが今やろうとすると
相手を傷つけたり自分の足を刺してしまう恐れがあって危険だから・・・と許されないのかも
しれない。
私たちは子供なりに危険のないよう、先輩から釘の持ち方、腕の上げ方や振り下ろして
地面に刺し込む技術や目標の取り方などと共に危険のない確実な刺し方なども伝授されて
いたので誰も心配しない楽しい遊びの一つだったのだ。
今、親指と人差し指の間に釘の頭の部分を挟んで持つ格好をボールペンで再現してみると
ひろがボールペンが釘に見えるような気がしてあの頃の友達の笑顔が目の前に浮かんで
くるようだ。
今回ふと足を運んだ公園の黒っぽい土の色が一瞬にして『釘刺し』に結び付いたのは
遠い昔に友達と遊んだ広場の土の色が頭や目の奥にしっかりと残っていたからだと思う。
周りにある他の公園へ行っても幼いころの何かを思い出すかもしれない。