昨日は我が家と息子の家族にとって記念すべき日の一つとなった。
今年成人式を行い、既にメキシコでの就職が決まり、出発をあと五日後に控えた
孫娘の短大卒業式があり、代表者となって証書や記念品等を受け取る役目を担った
孫娘の晴れやかな卒業式に出席した両親にとっては大きな記念日となったのだ。
以前から卒業式には孫の両親も休暇をとると決めており、夕刻には私たちも合流し、
予定どおり一緒に門出を祝う食事会をした。
成人した孫と飲むビールが最高に旨く感じたことは言うまでもない。
1987年にメキシコへ渡った息子が1991年に現地でメキシコ人と結婚し、1995年に
帰国した3年後(1998年)に生まれた孫の成長は私たち夫婦にとって楽しみ、感動、
刺激も与えてくれて私たち二人の元気の源でもあった。
近くに住んでいるということもあり、一緒に過ごす時間も多く、孫娘も私たちを
今も『じじ』『あーちゃん』と呼び慕ってくれている。
私が言うのもおかしいが顔も可愛く(今は美人)性格もいいことから私たちも
大袈裟には言わないまでも『自慢の孫』なのである。
幼稚園の頃の元気あふれる姿は『どすこい姫』とか、瑛舞(エマ)という名前の下に
「男」をつけて『えまお』と呼ばれるほど活発な子供であった。
何年も経った今も妻の友達などは『かわいいどすこい姫はどうしてる?』と聞いたりも
するらしい
私は男にしては(?)よく喋るほうで妻からもしょっちゅう『お父さん、5分でいいから
黙っててください・・・』と言われたりする。
幼稚園の頃だったろうか、毎日のように遊びに来る孫に私が『エマちゃん、じじに
何かしてもらいたいことはないか?』と聞くと孫がすかさず発した言葉が驚きの
『じじ、今、じじにしてもらいたいことは黙っていてもらうことだよ・・・』と
いうものだった。
長年絵手紙をやっている妻がその言葉を巻紙に書き留めて保管してあり、時々
いろんな場所で話題になったりもしている。
孫の母親はメキシコ人でもメキシコ系というよりヨーロッパ系のはっきりした顔立ちの
美人であるが孫娘の顔は見るからにハーフ・・・というものではなく、どちらかというと
日本人の可愛い子という印象なのだが小、中学校ではやはりハーフということで
本人も多少の悩みのようなものを抱えていたようである。
それは明らかな「いじめ」とかそういうものではなく、本人も多少意識していたこともあり、
仲間たちとは少し距離感があったというようなことで大きな問題ではなかったようだが
そのためか、家庭内ではスペイン語を・・・ということに少し戸惑っていた孫も
やがて両親と共にスペイン語での会話やメールをするようになり、その結果メキシコでの
就職にも繋がったのは喜ばしいことだと思う。
高校では自信を取り戻したように活動し、短大でも持ち前の明るく真面目で優しい性格を
発揮し、楽しく充実した学生生活を過ごしてきたことを私たちも喜んでいるのだ。
私達の娘夫婦には子供がいないのでたったった一人の孫であり、治安があまり良くないと
言われているメキシコでの就職には私たちも多少の不安はあるが本人の意思も強く、
会社が用意してくれた住居はセキュリティ状態も良く、会社からも近いようだし、
母親の実家も近くだというので拍手で送りだそうと思っているのである。
息子には常に何事にも厳しい『スパルタ』の私だったので32年前自分の意志でメキシコへ
旅立った息子には祝福しながらも『弱音を吐いて帰ってくるな!』と厳しく言い続けたが
五日後に出発の孫娘には『羽ばたけEMA・・』そして状況判断で『いつでも帰ってこい・・!』
『じじもあーちゃんも待っているぞ!』と言って見送りたい。
息子の
今年成人式を行い、既にメキシコでの就職が決まり、出発をあと五日後に控えた
孫娘の短大卒業式があり、代表者となって証書や記念品等を受け取る役目を担った
孫娘の晴れやかな卒業式に出席した両親にとっては大きな記念日となったのだ。
以前から卒業式には孫の両親も休暇をとると決めており、夕刻には私たちも合流し、
予定どおり一緒に門出を祝う食事会をした。
成人した孫と飲むビールが最高に旨く感じたことは言うまでもない。
1987年にメキシコへ渡った息子が1991年に現地でメキシコ人と結婚し、1995年に
帰国した3年後(1998年)に生まれた孫の成長は私たち夫婦にとって楽しみ、感動、
刺激も与えてくれて私たち二人の元気の源でもあった。
近くに住んでいるということもあり、一緒に過ごす時間も多く、孫娘も私たちを
今も『じじ』『あーちゃん』と呼び慕ってくれている。
私が言うのもおかしいが顔も可愛く(今は美人)性格もいいことから私たちも
大袈裟には言わないまでも『自慢の孫』なのである。
幼稚園の頃の元気あふれる姿は『どすこい姫』とか、瑛舞(エマ)という名前の下に
「男」をつけて『えまお』と呼ばれるほど活発な子供であった。
何年も経った今も妻の友達などは『かわいいどすこい姫はどうしてる?』と聞いたりも
するらしい
私は男にしては(?)よく喋るほうで妻からもしょっちゅう『お父さん、5分でいいから
黙っててください・・・』と言われたりする。
幼稚園の頃だったろうか、毎日のように遊びに来る孫に私が『エマちゃん、じじに
何かしてもらいたいことはないか?』と聞くと孫がすかさず発した言葉が驚きの
『じじ、今、じじにしてもらいたいことは黙っていてもらうことだよ・・・』と
いうものだった。
長年絵手紙をやっている妻がその言葉を巻紙に書き留めて保管してあり、時々
いろんな場所で話題になったりもしている。
孫の母親はメキシコ人でもメキシコ系というよりヨーロッパ系のはっきりした顔立ちの
美人であるが孫娘の顔は見るからにハーフ・・・というものではなく、どちらかというと
日本人の可愛い子という印象なのだが小、中学校ではやはりハーフということで
本人も多少の悩みのようなものを抱えていたようである。
それは明らかな「いじめ」とかそういうものではなく、本人も多少意識していたこともあり、
仲間たちとは少し距離感があったというようなことで大きな問題ではなかったようだが
そのためか、家庭内ではスペイン語を・・・ということに少し戸惑っていた孫も
やがて両親と共にスペイン語での会話やメールをするようになり、その結果メキシコでの
就職にも繋がったのは喜ばしいことだと思う。
高校では自信を取り戻したように活動し、短大でも持ち前の明るく真面目で優しい性格を
発揮し、楽しく充実した学生生活を過ごしてきたことを私たちも喜んでいるのだ。
私達の娘夫婦には子供がいないのでたったった一人の孫であり、治安があまり良くないと
言われているメキシコでの就職には私たちも多少の不安はあるが本人の意思も強く、
会社が用意してくれた住居はセキュリティ状態も良く、会社からも近いようだし、
母親の実家も近くだというので拍手で送りだそうと思っているのである。
息子には常に何事にも厳しい『スパルタ』の私だったので32年前自分の意志でメキシコへ
旅立った息子には祝福しながらも『弱音を吐いて帰ってくるな!』と厳しく言い続けたが
五日後に出発の孫娘には『羽ばたけEMA・・』そして状況判断で『いつでも帰ってこい・・!』
『じじもあーちゃんも待っているぞ!』と言って見送りたい。
息子の