『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

晴れた二日間は・・・その2.

2019-03-11 06:22:22 | 喜怒哀楽をポジティブに
その(昨日の)帰り道、開閉橋を渡る時前方遠くの空に細くて長い長い三つの雲が
たなびいていた。
それはあたかも龍の親子が少し強まった風の中を急いで帰宅でもするかのように・・・。

以前にも何度か投稿したが雲の形や動きを見るのが好きな私はそれ(龍の親子)を
見ながら龍の数え方はどうなんだろう・・と思った。
伝説や神話に登場する実在しない動物でも人間よりはるかに大きいのだから
『一頭、二頭』で表すのかな?それとも『一匹、二匹』かな?・・・と。

一般的には人間と比較して大きければ「頭」小さければ「匹」などで表すようだが・・・。
しかし通常「一匹ニ匹」で呼ぶ犬も警察犬や盲導犬などは「頭」で数えるし、
貴重な昆虫(甲虫だったかな?)や蝶なども「頭」で表すこともあるし・・・
大きくても「一匹」という場合もなどと思いながら結局自分では「頭」と呼ぶことにした。

そう思っているうちにその三頭の龍は、更に大きく伸びて先頭を走る母親の龍の
頭は更に伸びて角がなくなり、尻尾の先端が切れて子供の龍の頭にくっついてしまった。
子供の龍を後ろから守るように泳いでいた父親の龍は空を吹き渡る強い風に煽られて
体がやせ細っていくようで、あっという間にその体形が変わってしまい橋を渡りきる
ころにはやはり尻尾が千切れて後方に吹き飛ばされていた。

晴れた日の真上の空は青く高く、雲がないことが多く、雲はだいたい今日のように
遠くの空に浮かんでいることが多いような気がする。
写真にとっておきたいような雲もたくさんあるが、面白い、或いはリアルな形の雲を
見るのはだいたい運転中の遥か前方なのでそれはなかなか叶わない。

もう少し温かくなったら荒川の土手に広がる黄色い菜の花の中でくつろぎながら
空に浮かぶ動物たちをゆっくりと眺めてみたい。
その時にも多いのはやはり今までたくさん見た亀や小太りの羊の形をした雲かもしれないが。






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晴れた二日間は・・・その1.

2019-03-10 15:08:30 | 喜怒哀楽をポジティブに
晴れた日の初日(3月8日)

昨日、一昨日は空気が冷たかったがいい天気に恵まれ、川越方面で
久々に思いっきりいい空気を吸ってきた。

さいたま市の隣の伊奈町や川越から川島町にかけての田畑では妻の好きな鳥
「アオサギ」を見かけることが多い。

昨年5月までは毎日川越発、群馬行きの220キロコースを走っていた私は
ほぼ毎日そのどこかでアオサギを見かけていたので休日に妻をアオサギが
たくさんいる場所へ連れて行ったことがある。

アオサギを好きだったがその姿を写真でしか見たことがない妻は大喜びで
ますます好きになり、その後何度も何度も見に行き外見(色)はあまり綺麗では
ないアオサギの第ファンになったのである。

「アオサギ」は「青鷺」や「蒼鷺」と表されるようだがその名のとおり
青味がかった灰色で背中や尾羽の濃い灰色と黒い頭(頭頂は白?)からは
「青」という色は想像できないがちょっとくすんだ色というイメージも含む
「蒼」なら当てはまるかもしれない。

首や胸元の白い部分、そして羽を広げると隠れていた白い部分も目立ち、
特に上空を飛ぶ姿を下から見上げると大きく広げたその羽は大きいもので
2メートル程にもなりその綺麗なことに驚くくらいである。

私はツルの飛んでいる姿はテレビ等の映像でしか見たことはないが、鶴は
長い首と足を延ばして格好で飛んでいると思う。
一方アオサギはツルと同じように足を真っすぐ伸ばすが首は必ず曲げた状態で
飛んでいることに気づいた。

小鳥の動きは体形からも落ち着きなく見えるが、アオサギのゆっくり羽ばたき、
ゆっくりと降りてくる姿は雄大にも見えるし自分もあの風格のようなものが
欲しいとも思わせるのだ。

餌となる生物の動きを見つめているのか考え事をしているのか、じっとしている時の
姿とその頭に頂く冠羽が風に揺れてもピクリともしないその表情から「誇り」
「気高さ」のようなものが感じ取られ、正に『孤高の人』を思わせる鳥である。


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何故今頃「月下美人」の花が?・・・

2019-03-08 15:36:37 | 喜怒哀楽をポジティブに
妻が突然大きな声で私を呼んだ。
『お父さん、これ見てっ見てっ・・・』とやや興奮気味に部屋の角においてある
大きな鉢の月下美人の葉の中を指さしていた。

そこにはなんと、少し膨らみかけたつぼみがその尖った先をやや上向きにして
コンブ状の葉の間から顔を出していた。

まだ小さく、薄緑の柔らかそうな蕾は顔を出して間もないのか首にあたる茎の部分も
短く、触ろうものならポロリと落ちてしまうのではないかと思うほど危うかった。

この月下美人は何年か前に友達からもらったもので、あっという間に大きくなり
一夜限りではあるが3~4個の白い花を咲かせて我々を楽しませてくれている。
我が家に以前からある月下美人には赤い大輪の花が咲き、木そのものはそれほど
大きくはないが花が開き始めるころはいずれも私が主役だとばかりに咲き競っている。

それにしても何故今頃?・・・
月下美人は初夏から秋にかけて咲くものだとばかり思っていたが・・・
『お宝』を探したような嬉しさと興奮のあまり友達に尋ねたところ、決して珍しい
現象ではないらしいとのこと。
春先とは言えこんな寒い時に何故?・・・と疑問は続く。

昆布が立ち並ぶような葉の先から生まれてくることなど思いもよらぬ月下美人の花は
色も形も艶やかで神秘的であり、夕方から濃厚な香りを放ち始め、夜に咲いて翌朝には
しぼんでしまう現象は「はかない美しさ」「はかない恋」を思わせるようでありまさに
その名のとおり『美人薄命』の例えとなっているようだ。

今後注目しながらまた一つ何かを覚えられるいいきっかけにしようと思う。




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ちょっと頑なと思われるかもしれないが・・・

2019-03-07 10:06:51 | 喜怒哀楽をポジティブに
火曜日は久々にいい天気だったがその後は予報どおりの雨で今も静かに
降り続いている。
天気はまもなく回復し、明日明後日は晴れるようだがその後はまた
雨、晴れが繰り返されるとのこと。

気温が少しずつ上がってきているのか風もないためかそれほど冷たい雨と
いう感じはしないが霧雨状態でも体にしみ込んでくるような気がする。

雨が降ったり晴れたりを繰り返すこの天候を妻が『三寒四温』と言ったが・・・
私は例によって(?)待ったをかけた。
(私は他の人たちには強烈に言わないが妻や家族にはけっこう厳しく指摘するので)

私が教わった『三寒四温』は寒い日が三日ほど続き、その後四日ほど温かい日が
続いてまた、三日間ほど寒くなり、そしてまた温かい日が四日ぐらい続くという
1週間位のサイクルで繰り返す気候だったと思っていたので・・・。

そしてシベリア気候の影響で主に中国や朝鮮半島に冬に現れるものだったと思う。
太平洋高気圧が張り出す日本の冬ではあまり現れることがなく、春先によく似た
今回のような天気が繰り返されることがあるので妻も間違ったのかな?と思って・・・。

いま、あらためて我が家で使っている4種類の辞典で『三寒四温』を調べてみた。
【広辞苑】
三日ほど寒い日が続いた後に四日ほど暖かい日が続き、これを交互に繰り返す現象。
中国北部、朝鮮などで冬季に見られる。
【三省堂の国語辞典】
三日間ぐらい寒くて、次の四日間ぐらいが温かいことが繰り返されること。
【三省堂の新明解国語辞典】
三日間ぐらい寒くて、次の四日間ぐらいが温かい天候(が繰り返されること)。
【旺文社の国語辞典】
三日間ほど寒くて、次の四日間ほどは暖かいといった気候の型。
高気圧と低気圧がたがいに起こり、寒冷前線と温暖前線とが交互に通過するために
起こる現象・・・冬。

・・・ということで冬に起こる現象とはっきり示しているのは「広辞苑」と
「旺文社の国語辞典」だったが・・・

ネットで検索してみると日本ではよく似た現象が春先に起きるので一般的には
『春先の気象の状態を指す言葉』として使われることが多い・・・という説明もあったが
正しくはやはり冬に使う言葉であるらしい。

言葉としては『冬の言葉』であっても日本ではそういうことがあまり見られないので
「寒い中に時々暖かい日がある頃」を指す言葉として徐々に定着してきたらしい。
こうしてみると元々の意味と普段使われている言葉の意味が違っても最近よく言われる
「言葉は時間とともに変わっていくもの」とでも理解した方がいいのだろうか?

私は「言葉は時間とともに変わっていくもの」という意見には否定的で、言葉はやはり
正しく(?)使いたいと思う。
だから私は『全然』についても「全然大丈夫」「全然いい」「全然美味しい」などという
使い方には反対で『全然』はあくまで否定的な場合に使うべきだと頑なに思っているので
『ちょっと頑固なじじい』と思われるかもしれない。







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姉の傘寿のお祝いに干支の折り紙で・・・

2019-03-05 11:53:54 | 喜怒哀楽をポジティブに
神戸に住む私の姉はまもなく80歳の誕生日を迎えようとしている。

男四人、女一人の五人きょうだいで姉はその真ん中で私は3男・・・。
長男は19年前に67歳で、次男は15か月前84歳の直前で、弟は3年前に
70歳で亡くなり今残っているのは姉と私の二人となってしまった。

三つ違いの姉と私と弟は齢も近いせいか子供の頃に遊んだりふざけたりした
思い出も多く、姉は今でも私をふんちゃんと呼ぶ。
芯が強いがいつも誰にでも優しく、几帳面、綺麗好き、間違ったことが嫌いな
性格は現在も全く変わっていない。

神奈川から神戸へ移り住んで40年以上になるが、関西へ行ってからはもともと
持っていた『吉本系』の語り口や面白さが花開いたのかいつもタイミングよく
私たちを笑わせてくれたり、和ませてくれたりしながら明るくおおらかに話す
ことにより姉自身も自分の体調の悪さなどを吹き飛ばしているよな気がする。

長年、私の妻とはお互いに自分の家族や兄弟以上に腹を割って・・でそして
何事も信頼し合って素直に正直に話し合いそれが二人の楽しみにもなっているようだ。
齢を重ねるにつけ、いつの頃からか姉達二人はお互いにほぼ毎日電話をするようになり
いろいろと励ましあったりしている。

姉夫婦には、教師をしていた娘と静かで芸術家肌の息子がいたが残念ながら二人とも
病気により若くしてこの世を去ってしまい、いつまでも悲しみが消えず残ったまま
80歳になろうとしている今、私たちとの電話による会話が大きな楽しみのようである。

今、時間をたっぷり持っている私は最近いろんなことに挑戦しているが、折り紙にも
興味が出てきていろいろと試してみたりしているこの機会に姉にも作品(?)を送って
みようと思い姉の干支である「ウサギ」を折ってみようと思ったのである。

画像にはないが姉の家族である干支の「イノシシ」「馬」「牛」なども折って一緒に
送るつもりで・・・・。
https://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/#
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雨の中の花たちの語りかけるような表情と旅立つ孫娘の言葉が胸を打つ

2019-03-03 12:15:23 | 喜怒哀楽をポジティブに
空気は冷たかったが青空も広がり、いい天気に恵まれた昨日とは打って変り
今日は予報どおりの雨で春先にありがちなこの天候はいよいよ春が近づいている
様子を表しているのだろうか。

多少冷たく感じるこの雨の中でクリスマスローズは首を少しうなだれるような
格好で上目遣いにお互いを見つめているように咲いている。
すぐ傍にある沈丁花は最近咲き始めたばかりだが雨に向かってあたかも競うように
微かな風を受けながら小刻みに揺れて存在感を表しているようだ。

仲間が一つ二つと地面へ落ちていく椿の花は、雨に濡れた芝生の中でもその赤い色を
いっそう赤く鮮やかに見せるように花びらを広げ、その一つ一つがそれぞれの命の
輝きを放ちながら消えていこうとしている。

その鮮やかな赤い花びらに向かい、水仙の花たちもいくつかの塊になって列を整え、
何かを話しかけているように見える冷たい雨の日曜日の昼下がり・・・

この春に短大を卒業し、就職のため月末に単身メキシコへ旅立つ孫娘が訪ねてきた。
私が言うのもおかしな話であるが小さなころから本当に可愛く、性格もいい子
だったので私たち夫婦の「自慢の孫」なのである。

息子家族とは家も近く、しょっちゅう会ってはいるのだが、見るたびにその成長ぶりを
感じ、いよいよ旅立つ時が来たのかと思うと様々な思いが頭や胸をよぎり、祝福の
言葉をかけながらもやはり寂しさが充満してくるのだ。

孫の父親(私の息子)がメキシコで8~9年ほど仕事をしていた時に知り合った
メキシコ人と結婚し、帰国してからすでに24年ほど経っているがその間に生まれた孫が
今年成人式を迎え、さらにメキシコでの就職・・・・・・。

息子の家族は家庭内ではスペイン語で生活しているということもあり、孫にとっては
メキシコでの生活への言葉の不安のようなものがなかったのが思い切って日本を
飛び出してみようという決め手になったようで、私から見てもかなり勇気ある行動だと
感心もしている。

孫も今日は久しぶりに私たちとゆっくり話したい様子で、我々夫婦を安心させようと
思っているのかいつもに増した笑顔と明るい表情で友人、学校のこと、卒業式のこと、
メキシコ行きの準備のことなど楽しそうに次々と話してくれるが何故かいつもより
早口である。

孫の父親である私の息子は自分の実体験からいろいろとアドバイスもしているようで
孫が自ら希望、志願していくのだから弱音を吐くな・・・などと厳しいことも
言っているようだが、一人娘の旅立ちの日が近づくにつれてやはり本音は寂しいのか
イライラしたり少し怒りっぽくなったりしているようで仕事帰りに我が家へ寄っても
孫の話題を持ち出すことも多くなり、酒量も増えてきていることもちょっと心配なのである。






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夢、夢、そして夢・・・

2019-03-01 08:00:49 | 喜怒哀楽をポジティブに
夢、夢、そして夢・・・
今日も明け方に夢をみた。
私は朝の目覚め前に限らず寝入りばなや夜中にもよく夢を見る。

テレビの医学番組や情報番組などでも睡眠や夢の話題は取り上げられることが
多く、脳の一部が起きている時と同じように活動していると言われる『レム睡眠』や
脳が休息状態の『ノンレム睡眠』などで説明され、夢を見るメカニズムも科学的に
証明されているようだ。

このレム睡眠とノンレム睡眠はある一定時間で繰り返されているとのことで
夢を見るのはほとんどレム睡眠であるらしい。(ノンレム睡眠中でも見るようだが・・)
私は一晩で何度も夢を見るが、いつも朝スッキリと目覚めるし、起きた時に
眠気がすることもなく、日中眠気を感じることも全くないので睡眠のサイクルが
合っているのだろうか。

私が見る夢は現実からかけ離れたものもあるが実際の生活で起こり得るような
何の不思議も感じないものが多い。
夢を見ている間の脳は過去に見聞きした情報を整理している・・・ということも
言われているが確かにそうかもしれない。

自分の体に起こる小さな変化などが夢となって現れることも多く感じる。
例えば、夢の中で急に足を踏み外し、ガクッとなったような夢を見た時は現実に
ベッドの中で足が大きく動いていたり、夢の中でトイレへ行きたくてもなかなか
トイレが見つからなかったり、満員だったり・・というケースで目が覚めると強い
尿意を催していたり・・・夢の中の音が実は現実にすぐそばで発生していたり・・・

これらも含め、今後も夢は日常の楽しいものとして見ていきたいと思う。

長~い夢から覚めた時に、この夢は最初から最後まで覚えておき、あとで誰かに
詳しく伝えたい・・と思うような楽しいものも、また嫌な夢も時間が経過すると
何故だか忘れてしまうことが多い。

もちろん、いつまでもはっきりと覚えていて、いつかこの続きを・・・と考える夢も
決して少なくはないということを家族に話すと彼ら、彼女らは夢を覚えている
ことが少ないのか、夢は夢としてそれだけ・・・実際に取り上げるほどのことでもないと
考えているのか話に乗ってこないのである。
私だけが『夢物語』を楽しんでいるのかもしれない。

かなり前に友人間で「夢に色の付いたものはあるのかどうか?・・・」が問題に
なった時、私はすかさず「ある」と答えたが、友人たちは信じられない・・・という
表情でそのほとんどが「見たことがない」「見たことがあるかどうかわからない」
「夢はいちいち覚えていない・・・」と答えていた。

私が最初に見たカラーの夢は何十年も前で何故か大きな寺の柱の色だった。
その後も現在もカラーの夢は時々見るが、そのほとんどは大好きなトマトの赤や
トウガラシやモミジの緑など部分的な色でフルカラーの夢は見たことがない。

若い世代はカラーの夢を見るが高年齢者はあまり見ないという説もありその原因は
カラーテレビや映画の普及により、脳がその刺激、影響を受けているのだという
もっともらしい話もあるようだが真相は如何に・・・

今夜も、この先もずっと見続ける夢についてそのメカニズムやいい夢をみる術
なども気軽に楽しく知りたいと思うが残された人生に対する現実的な夢も考えて
見たいと思う。
それは決して大それたものではなく、身の回りの小さな生活や生き方、地域社会
との関りや自分ができる行動の範囲内で・・・。

正に『人生に賞味期限なし・・・』の気持ちをもって・・・。

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