日本の政治は大きな再編の途上にある。未来は1つの結集軸になってほしい。キーワードは、シェア、分かち合うということ。この国に生きることの恵みを分かち合う。それを支えるための貢献も分かち合って負担する。河村的反税主義には釘を刺しておくべき。どうせなら、社民も共産も解体してほしい。
陸上等の身体能力がかなり影響するスポーツは、正直なところ生まれた時に99%決まっている。クラスで一番速かったような子が陸上部に入りその中で競争し、市、県、国、そして最後は世界という順に上がっていく。そこまで行くのは誰でもというわけにはいかなくて、選ばれた人しかいけない。
多かれ少なかれスポーツをやっていると、天才に会う。頑張ればなんとかなると信じていた僕も、どうにもならないような巨大な才能を前にして愕然とした事がある。ああ、これはそもそも全然ものが違う。じゃあ僕には一体何ができるのか。僕はそれがハードルだった。
スポーツのいい所は実は、努力して結果を出す事ではなく、本物に会って自分の限界を知る事。どうにもならない差をはっきりと認めた上で、自分には何ができるのかと考えるきっかけをもらえる。社会に出て驚いたのは思ったより自分の範囲を知らない人が多い事。範囲の外まで努力をして鬱になる人も多い。
才能じゃない努力なんだ。一見優しくて勇気づけられる言葉だけど、ある段階からは残酷になる。努力で何とでもしようがあるという意味をこの言葉は含んでいて、諦める事を許さない所がある。それで挫折し損ねてる人もたくさんいる。
トップ選手は努力の割合を高く言うけれど、実はトップが見ている風景はもう相当に淘汰が終わったような世界。ほとんどがふるい落とされて才能がある人だけで戦っている段階では確かに意思と努力の勝負になる。でも、その前に土俵にすら上がれなくて諦めた無数の人がいる。
【終わり】才能ではなく努力。その言葉に責められている人もいる。僕はそういう人に話をしたくて、”努力でどうにもならない事はあって、でもどうにもならないと気付くとこまでできた事自体がすごく財産になる”と言いたい。人生は不条理、それを知った後の世界は随分違う。
はい、頂点さえ狙わなければ努力は才能に勝てるというのはある程度真実だと思います RT @milstina:頂点付近になれば才能の差が如実にでるのは事実だと思いますが、才能の差が決定的になるようなレベルまでいっていない段階で才能をいいわけにして努力をあきらめてしまうひとがいるのもま
世の中「選挙」ですが、日本ではネットによる選挙運動に厳しい制限があり、選挙期間中、候補者がブログやツイッターで呼びかけるのもNG。おかしくない?ということで→「One Voice Campaign」 ow.ly/fFdIG
政治に限らずこの世の全ての物事を進める推進力って大体が合わせ技によって成り立っているわけで、今の大学生とか若い人は全く違うジャンルで複数の専門性・知識を得たうえでそれをマッシュアップできるようになると、なんていうか無敵になっていけると思う。そこしかド天才に勝てる道ないだろうしね。
会議でピンとずれたこという人って常習犯。鋭い人はいつも鋭く、前向きな人は常に前向き。
投票の読み取り機を警戒しよう。米国ではプログラム改ざんによる情報操作の疑いから廃止が相次いだ光学式の投票読み取り機が、日本では大々的に導入されている。出口調査との間で3%を超える誤差が出たら集計の改ざんを疑わねばならない。期日前投票箱の管理も含め投票した票の行方を監視しよう。
エア チキン!いい肉の日なので、肉の話題をひとつ。日本航空は12月1日から、国際線欧米路線の機内食として「AIR ケンタッキーフライドチキン」の提供を開始。(もりもり) nkbp.jp/UtswYH