「パンビオロジック空我」で買い物を済ませて12時10分に出発、県道12号線を東進して浅原橋を渡り、道なりに進んで笛吹川に架かる豊積橋を渡って国道140号線笛吹ラインに進みました。笛南中北1の信号交差点で、国道358線精進ブルーラインへ右折、山梨県立考古博物館の北を通りました。
そして、少し南へ曲がったところで左の県道308号線に進み、しばらく道なりに進んで、境川支所前交差点をそのまま広域農道へと直進しました。やがて見えてきた「八代ふるさと公園」の標識にしたがって一宮・御坂方面へ右折し、あとは道なりに真っ直ぐ進んで、12時41分に目的地の「笛吹市八代ふるさと公園」の南側に着きました。
「笛吹市八代ふるさと公園」の南側駐車場にレンタカーを停めました。この公園に、各務原姉妹が桜花見ドライブの帰りの夜に立ち寄っています。上図のアングルは原作コミック第14巻24ページ3コマ目のそれです。左側の車列の三番目の黒っぽいボックスカーの辺りが、桜さんがラシーンを停めた場所でしょうか。
「笛吹市八代ふるさと公園」の上図の場所には、20代後半の頃、甲府市の歴史観光団体に参加していた時期に一度来た事があります。その頃はまだ東八代郡八代町でしたが、当地は山梨県を代表する古墳群のエリアとして知られ、数多くの古墳が分布しています。その頃はまだ整備前で、農地の広がる中に2基の古墳があり、その古墳を見学に行ったのでした。
公園内には前方後円墳1基と円墳1基があります。上図の案内板の「盃塚古墳」は円墳のほうです。直径23メートル、高さ4.5メートルを測り、周囲に幅1.8メートルの濠がめぐります。発掘調査時には墳丘が既にかなり変形していたために、内部構造の詳細は明らかになっていませんが、竪穴系の埋葬施設が存在したと推定されています。出土遺物や遺構から5世紀前半の築造とみられています。
この案内板は、八代町時代の平成6年に設置されたものがそのまま現在に至っています。初めて訪れたのは平成7年の春なので、甲府市の歴史観光団体の面々と共に私もこの案内板を読んでいる筈です。懐かしい気持ちになりました。
平成7年の春に、甲府市の歴史観光団体の見学会でここを訪れたのは、古墳群の見物と、この「甲州蚕影桜」と呼ばれる二本のソメイヨシノの花見、のためだったと記憶しています。そのころは公園整備されていませんでしたから、自然の園地のような区画があっただけで、昔からの花見スポットとして有名である、としか知りませんでした。
ここが現在のように公園として整備されたのが、平成16年の市町村合併で八代町が笛吹市に吸収された頃だったかな、と思います。さらに平成26年にリニューアルオープンして、現在のような綺麗な芝生の公園になっています。
公園の外周を巡るこの車道は、28年前に来た時もあった筈・・・。「甲州蚕影桜」の前の広場もあったと記憶していますが、現在のような車道との併用だったかは思い出せません。でもここで花見をして、見事なソメイヨシノの満開の風情を愛でつつ、皆で弁当を食べて盛り上がり、会の副会長さんが酔っぱらって落語の物まねを披露していたのだけは、いまでもはっきりと覚えています。
28年を経ての再会ですが、「甲州蚕影桜」はあんまり姿が変わっていない気がします。もともと老木でしたから、成長に伴う変化は既に止まって久しいようです。風格ある樹勢といいますか、絵になる木の典型的な姿です。
この桜を、各務原姉妹も見にやってきています。上図が原作コミック第14巻24ページ5コマ目のアングルです。この古墳群と桜がゆるキャンに登場して聖地になるとは思いませんでしたね・・・。
「甲州蚕影桜」の南側に隣接する「盃塚古墳」は、昔は雑草に覆われた土饅頭のような外観でしたが、いまは御覧の通り築造当時の姿に復元されて、盃を伏せたそのまんまの姿を示しています。階段が付けられて上にも登ることが出来ます。
「盃塚古墳」の北側付近より甲州盆地を一望しました。この辺りは富士の外輪山の裾野にあたって高台であるので、北から西への眺めが良いです。近くに展望所も設けられていると聞きましたが、そこからの景色もここと大して変わらないだろう、と思ったので、立ち寄りませんでした。
各務原姉妹は、夜にここにやってきて、近くの大文字焼の写真を撮るために、「盃塚古墳」から上図の大きな前方後円墳へと移動し、その墳頂に登っています。そのルートにしたがって、私も大きな前方後円墳へと向かって歩き出しました。 (続く)