鉄道コレクションの動力化にともなう不要車台を活用して井川線スロフ客車に改造する作業により、上図の通り、5両の客車と1両の平台車が仕上がった。
平台車のほうは、極小サイズのミニカメラををセットしてカメラカーとする計画であった。しかし、川本氏の指摘によれば、現時点で出ている最少のミニカメラでも幅が2センチぐらいあるそうで、平台車から4ミリほどはみ出すことになり、ジオラマを作って走らせる場合は架線柱やトンネルに接触する可能性が高い、とのことでカメラカーの案は再検討を迫られることとなった。
とりあえず、6両を繋いでみたが、上図のようになかなかの長さである。私の計画しているジオラマでは、駅のホームに入れるのは最大で5両までであるので、機関車を足せば客車は4両までが限度となる。それで3両ずつの2編成にするか、と考えた。
プラ板で自作した下手な1/150サイズの客車だが、井川線のスロフ客車の雰囲気はそれなりに出ていた。アルナインの井川風客車の寸法をそのままプラ板にトレースして切り貼りしているから当然であったが、台車が元の車輌の大型サイズのままなので、そこだけはちょっと違和感があって車高も高くなっていた。いずれアルナインのアーチバー台車も購入して交換しなければならない。
続いて動力車となる客車を製作した。上図のように鉄道コレクションの凸型電気機関車の動力ユニットをもってきてこれにプラ板で作った車体をかぶせてスロフ客車に仕上げた。
この客車を動力車とすることで、動力が入っていない機関車のDD100形を繋いでの1編成が出来上がる。以前に自作したDD100形機関車に動力ユニットを組み込むことが、機関車の形状の関係で出来なかったため、客車のほうを動力化して連結することで、線路上を走らせることが出来るようにしたわけである。
ただ、動力車は御覧の通りモーター等の諸装置を車内に入れるので、上図下の客車のように座席パーツを組み入れることは不可能であった。そこは仕方がないものと割り切った。
塗装に入った。今回製作した計6両の客車は、御覧のように井川線の旧塗装カラーで塗った。これを牽引するDD100形機関車の現役時代のカラーデザインと同じ赤とクリームのツートンであるので、昔の井川線の列車が再現出来るわけである。
塗料は全てミスターホビーの水性アクリジョンカラーを使用し、全て筆塗りで進めた。初めに車体の帯の部分を34番のクリームイエローで塗り、乾いてからマスキングテープで保護した。その上に3番のレッドで残る車体全部を塗った。
その後、マスキングテープを静かにはがして、上図の通りになった。屋根板は57番のエアクラフトグレーで塗り、これは別に保管した。車内の窓ガラス部分にする透明プラ板を組み入れてから、屋根板を貼り付ける予定であった。
最後の仕上げ作業は、12月3日に開催された第20回京都にぬき模型製作会の席上にて行った。この日の参加者は30名余りであったと聞くが、主催運営側のメンバーも含めると35人ぐらいは居たようである。
上図右下に、私が持参して展示していた西住家Ⅱ号戦車F型も写っているが、この日の参加者は私以外全員がガンプラを製作していて、戦車には見向きもしなかったのであった。
にぬき模型製作会の席上での作業は、車内に透明プラ板を組み入れて窓ガラスにする、屋根板を貼り付ける、の二つであった。
かくして2時間足らずで5両の客車が完成した。なのでにぬき模型製作会への参加は午前の部のみで切り上げ、午後は嫁さんに合流して四条河原町での買物に付き添った。
帰宅後に、嫁さんが模型製作テーブルの上に線路を敷いて、その上に機関車と客車6両を並べて繋いだのが上図である。実際の井川線でもこのような7両編成の列車は普通に走っているそうで、春秋のシーズンには10両を超えることも珍しくないそうである。
ただ、私の計画している井川線のレイアウトにおいては、7両編成でも長過ぎると思う。駅のホームも縮小して作る予定なので、だいたい1編成が3両から5両までの間になるだろう、と考えている。
かくして、大井川鐡道井川線の客車を増備する試みは12月3日で完了した。これで、6月から始めた大井川鐡道本線と井川線の車輌を出来るだけ購入または製作して最小限の数を揃える、という試みは、千頭駅の製作も含めて、半年近くの月日と総計約11万円の費用を費やしてようやく一段落したのであった。
来年からは、ジオラマレイアウトの製作をのんびりと、少しずつ進めて行こうと考えている。 (続く)