2019.6.10.巧みな大阪弁を駆使し、ユーモアと人間観察に富んだ作品で知られた、芥川賞作家で文化勲章受章者の田辺聖子(たなべ・せいこ)さんが6日午後1時28分、総胆管結石による胆管炎のため、神戸市内の病院で死去した。91歳だった。大阪市出身。兵庫県伊丹市在住。葬儀・告別式は親族で行った。喪主は弟の聰(あきら)氏。後日、東京と大阪でお別れの会を開く予定。 樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)国文科在学中に、小説の習作を始めた。卒業後、会社勤めをしながら大阪文学学校で小説を学び、本格的に作家を志した。昭和33年、懸賞小説に入選した長編「花狩」が刊行され、文壇デビュー。ラジオドラマのシナリオ作家としても活躍し、39年には、「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)」で関西在住の女性作家として初めて芥川賞を受けた。https://www.sankei.com/life/news/190610/lif1906100010-n1.html
2018/09/21, Bob Dylan / Keith Richards / Ron Wood - Blowin' In The Wind (Live Aid 1985),
ob Dylan, Keith Richards and Ron Wood performing at Live Aid in front of 100,000 people in the John F. Kennedy Stadium, Philadelphia USA on the 13th July, 1985. The event was organised by Sir Bob Geldof and Midge Ure to raise funds for the Ethiopian famine disaster. Broadcast across the world via one of the largest satellite link-ups of all time, the concerts were seen by around 40% of the global population. Remember to subscribe to stay up to date with all new releases in the channel.
https://www.youtube.com/watch?v=u0Lx3supRTQ
2015/09/30, Blowin' In The Wind - Bob Dylan - Lyrics - (HD scenic), https://www.youtube.com/watch?v=315Ubn3VFvI
2016/06/11, Bob Dylan, "Blowin' in the Wind" - Berkeley, June 10, 2016, Bob Dylan plays "Blowin' in the Wind" June 10, 2016, at the Greek Theatre in Berkeley, California. https://www.youtube.com/watch?v=sObIImr6zjk
ボブ・ディラン(英語: Bob Dylan、1941年5月24日 - )は、アメリカ・ミネソタ州出身のミュージシャン。出生名は、ロバート・アレン・ジマーマン(Robert Allen Zimmerman)だが[1][2][3]、後に自ら法律上の本名もボブ・ディランに改名している[4][5]。“ボブ”はロバートの愛称、“ディラン”は詩人ディラン・トマスにちなむ。70年代末には保守派のビル・グレアムの影響を強く受け、福音派(新興宗教的キリスト教)に改宗(ボーン・アゲイン)し、コンサートでブーイングを浴びたが、ソニー・ミュージックなどによれば、83年以降はユダヤ教に回帰している[6]。2016年歌手として初めてノーベル文学賞(75歳)を受賞。「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」他多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。現在でも、「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍している。1997年、2月に再び訪日。5月に心臓発作(56歳)で倒れ、一時は危ぶまれたものの快癒し、復帰。この時ディランは「もうすぐエルヴィスに会うのかと本気で思った。」[110][111]と発言している。その直後、三度ラノワと組み、7年ぶりにオリジナル・アルバムを発表することが明らかになり、新曲はもう聴けないと思っていたファンを狂喜させた。これに関し、自分のライブに若いファンが訪れているのを知ったディランが、彼らの為にアルバムを作ろうと思った、と述べている。このアルバム『タイム・アウト・オブ・マインド』は18年振りに全米トップ10に入り、グラミー賞年間最優秀アルバム賞を受賞した。同年には、息子であり、アメリカのロック・バンド、ザ・ウォールフラワーズ(The Wallflowers) のフロントマンでもあるジェイコブ・ディランもグラミー賞を受賞しており、親子揃っての受賞となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%B3
2019-6-10、252字
2017/01/04吉田拓郎(鹿児島県伊佐市 広島県広島市、1946->73歳)(/ 「吉田拓郎 LIVE 2016」オフィシャル・トレーラー, 2年ぶりとなった、関東圏ライブ “ブルボン presents 吉田拓郎 LIVE 2016” 最終公演「パシフィコ横浜」の模様、全23曲収録したライブパッケージ。 また、本編には貴重なリハーサル映像も収録されており、 特典映像には、本作品に収録される為に撮り下ろされた、新曲「ぼくのあたらしい歌」MUSIC VIDEOを収録。https://www.youtube.com/watch?v=W5DPaE8Ze_o
2019/3/25,吉田拓郎(鹿児島県伊佐市,1946->73歳)が3月24日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「吉田拓郎 ラジオでナイト」(日曜午後11時30分)で、14年(68歳)に、のどにがんが見つかり、闘病生活を送っていたことを明かした。正式名は明かしていないが、声帯にできた異物からがんが発見されたことなどから、喉頭がんとみられる。吉田は03年に肺がん(57歳)の手術を行い、肺の3分の1を切除したことを公表していたが、のどのがんを公表したのは初めて。番組では「16年にはよみがえることができました」と、今は治っていることを示唆したが、ファンには衝撃の告白となった。吉田は番組の後半、「僕がメディア、マスコミとかにずっと話さなかったことをですね、ラジオでお話ししておきます」と切り出すと、03年の肺がんの話題に触れた後、07年から原因不明の体調不良に襲われたことを紹介。その後、「2014年に、実はこれはまた初めてお話をしますが、僕の声帯、のどの声帯に白板症という異物が発見されたんです。これができると声の質が変わってしまう」と明かした。吉田は専門医に異物である白板症の切除を勧められ、全身麻酔で手術をしたと紹介。その後、「その異物を取って調べたところ、がんがまた発見されたというダブルパンチを受けてしまいまして。このがんを取った方がいいという診断で、それから、のどにですね、放射線をあてるという、放射線治療が2カ月間始まりまして」と明かした。毎日病院に通い、毎日約10分間放射線をのどにあてる治療を行ったという。そして治療が終わってから苦痛の日々が始まったという。「数カ月間、この放射線を当てた後遺症というのが残りまして。大変な苦痛を味わうことになって、この間の苦闘というのは言葉で表現するのは非常に難しいんですが、苦しい、非常に苦しい日常だったんです。たとえば食べ物はのどを通らないし、声は出ない、のどが非常に痛い、放射線の治療が終わってもそこから約半年間、苦痛の日々が続きました」。吉田を支えてくれたのは妻の女優森下愛子。「多分、ぼくはその時、もう歌えない、というふうに何度も思いました。うちのやつが、かみさんがですね、もくもくと日常生活を送りながら静かにぼくを支えてくれて、『必ず完治するから。1日、1日だから』と、ぼくを励ましてくれました」と涙声で語った。さらに「痛みで食べ物がのどを通らないので、毎日おかゆを作ってくれて、苦闘の日々が続きました」と再び、涙で声を詰まらせた。その後、これまで病と闘ってきたことをあらためて振り返り、リスナーに健康の大切さを語りかけた。「苦しい体験をしましたが、その都度思ったことは人間は心と体が健康なじゃないと、なんにも幸せな気分とか、力が沸いてこない。健康とか、というようなことはむしろ若い頃はどうでもよかったんだけど、それはとてもとんでもないことで、体が健康でないといけない、そして、愛のある日常でなければ、人生が非常に味気ない、これはとても大事なことだということを痛感しました」。最後は「心でずっと思っていることは、皆さんの健康とか、そういうものを心から願っています。そして、愛情があふれた日常生活を皆さんに永遠に送っていただきたい。そうふうに祈っております」と語った。https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201903240001024.html