2019/6/19(水) 。「2日で3000人以上が戦死したマリアナ沖海戦の悲劇」。
75年前の今日、1944年6月19日に、この島々の沖合で日米の機動部隊が激突した。(注1)。マリアナ諸島沖で日米機動部隊が激突したのは、6月19日のことである。すでに6月15日、米軍の大部隊がサイパン島に上陸している。日本の機動部隊は、グアム島西方300浬(約556キロ)の位置にあって、6月19日未明から44機の索敵機を出し、その「敵機動部隊発見」の報告をもとに次々と攻撃隊を発艦させた。 参加兵力は、日本側の空母9隻、艦上機439機に対して、米機動部隊は空母15隻、艦上機902機と、約2倍の開きがある。「要するにあのときには敵のレーダーや無線が非常に発達していて、こちらの攻撃隊の動きが、逐一グラマンに伝えられていた。敵機動部隊の50浬(約93キロ)ぐらい手前に網を張られていて、そこでやられてる。VT信管のことは当時はわからなかったけど、未帰還機のあまりの多さに愕然としましたよ。情けないとも悔しいとも、なんとも言えない気持ちでした」(進藤さん)戦後、日本は奇跡的な復興を遂げ、そんな戦後の復興すら、いまや歴史上の出来事になりつつある。だが、街や経済は復興しても、傷つき、あるいは家族を喪った一人一人の心の傷が癒えることはなく、いまだ戦争の記憶を胸に生きている人は、高齢となっても少なからずいる。蛇足を承知であえて付け加えるなら、政治家が酔った勢いで是非を論じられるほど、「戦争」は軽いものではないのだ。(注2)
(注1)1941/10->東条英機内閣、挙国一致内閣(大政翼賛会)->1944/7
(注2)2019.5.14日本維新の会の丸山穂高衆院議員は13日夜、北方領土返還をめぐり、元島民に「戦争でこの島を取り返すのは賛成か、反対か」と質問した自身の発言について「多くの方に不快な思いをさせ、おわびする。不適切な発言を撤回したい」と東京都内で記者団に語った。(注3)https://www.sankei.com/politics/news/190514/plt1905140002-n1.html
(注3)2017/08/11, 九人の乙女 青山和子,ミュージカルドラマ、九人の交換手主題歌、https://www.youtube.com/watch?v=_dMu0l_kJLU