学生の頃のお茶のお稽古。
12月のことだった。
当時習ったお点前はずいぶん忘れたけれど、
お茶勺の御銘は?・・・というのが印象に残っている。
年末は「忙中閑あり」というのがあった。
師走、12月の慌しい中でも、一息つく心の余裕を・・・という粋な言葉だなと、子供ながらに思った。
忙中閑あり、という心のあり方は、
年末の多忙、年内に仕事やすることを無事に終えて、新たに、
「輝かしい新年を!」
というメリハリが背景にあってこそ、ではないだろうか。
お正月も日常の続きのままに過ぎて行き、行事と日常の間にあったであろうはずの“意識の結界”が薄れてゆく。
年中多忙で、単に忙殺されたまま、歳を重ねるのかしらん。
12月のことだった。
当時習ったお点前はずいぶん忘れたけれど、
お茶勺の御銘は?・・・というのが印象に残っている。
年末は「忙中閑あり」というのがあった。
師走、12月の慌しい中でも、一息つく心の余裕を・・・という粋な言葉だなと、子供ながらに思った。
忙中閑あり、という心のあり方は、
年末の多忙、年内に仕事やすることを無事に終えて、新たに、
「輝かしい新年を!」
というメリハリが背景にあってこそ、ではないだろうか。
お正月も日常の続きのままに過ぎて行き、行事と日常の間にあったであろうはずの“意識の結界”が薄れてゆく。
年中多忙で、単に忙殺されたまま、歳を重ねるのかしらん。