今年10月に、先斗町の「水明会」を観た帰り、「井雪」さんへ寄ると、おかあさんが、
茂山絹世さんの著書「ないしょの京都 奥の院へ」を下さった。
今、ホテルで改めて読んでみた。
なるほど、文章は短いが、内容は勘所を突いている説明で、さすが!
茂山絹世さんに初めて会ったのは、1999年8月の先斗町の「ゆかた会」(鳴り物のおさらい会)だった。電話で話しただけで、会った事もない私を、内輪の会へ誘ってくれたのだ。
待ち合わせたのは、先斗町歌舞練場の入口。
「おはようさんどす」という舞妓さんの凛とした声に、ススキの簪が光り、暑いさなか、涼風が吹いたかのようだった。
この日が、“個人的に”京都花街と親しくなった最初の日だった。
絹世さんの紹介で、おさらい会の後、先斗町のお茶屋さん、芸妓さんと一緒に、喫茶店へ。
その後、皆で先斗町の路地を並んで歩き、そのままお勝手口からお茶屋さんへ入った。
気が付くと、私はおかあさんや芸妓さん、舞妓さんたちと、お台所の横の部屋でお茶を飲んでいた・・・。
それは、私にとって、予想もしなかった成り行きだった。
とても快い時間だった。
茂山絹世さんの著書「ないしょの京都 奥の院へ」を下さった。
今、ホテルで改めて読んでみた。
なるほど、文章は短いが、内容は勘所を突いている説明で、さすが!
茂山絹世さんに初めて会ったのは、1999年8月の先斗町の「ゆかた会」(鳴り物のおさらい会)だった。電話で話しただけで、会った事もない私を、内輪の会へ誘ってくれたのだ。
待ち合わせたのは、先斗町歌舞練場の入口。
「おはようさんどす」という舞妓さんの凛とした声に、ススキの簪が光り、暑いさなか、涼風が吹いたかのようだった。
この日が、“個人的に”京都花街と親しくなった最初の日だった。
絹世さんの紹介で、おさらい会の後、先斗町のお茶屋さん、芸妓さんと一緒に、喫茶店へ。
その後、皆で先斗町の路地を並んで歩き、そのままお勝手口からお茶屋さんへ入った。
気が付くと、私はおかあさんや芸妓さん、舞妓さんたちと、お台所の横の部屋でお茶を飲んでいた・・・。
それは、私にとって、予想もしなかった成り行きだった。
とても快い時間だった。