2014.03.18 (火)
雲ってますね~
昨日、な、ん、と、10時間も働いちゃいました((><;
夕べはぐったりで 22:00 には寝てしまいましたーー;
今朝は早起きしてみましたが足がとっても重たいのです
それに空を見ても元気が出ません!!
9:00 前のスーパーが開店したのでお墓参りのお花(榊)を買って
やっと重い足を踏み出したのは 10:00 前
地下鉄乗って近鉄電車に乗り換え着きました
ご先祖様のいらっしゃるお墓
お迎え地蔵様
今日も無事にお参りに来れました大阪市○○のおタケです
御線香を手向け、ありがとうございますの両手を合わせます
ご先祖様のお墓をちゃっちゃと掃除して御線香を立て祖先讃詞を超簡単に詠み
六地蔵様にもご挨拶
また次はもうお盆かもね~、オユルシヲ~(^^)
おやおや大粒の雨が降り出しました
今日はお山(金剛山)が隠れてしまいました
お天気なら重い足引きずってでもこの時間(12:00前)なら行ったかもしれないな
けど傘さしてまで今日は登る気にはなれません
さっさと家へ帰りましょう
でもさ、この案内板までくると気持ちが揺らぐのよね (^^;
本性を現した気まぐれ(=^・・^=)
ご先祖様が住まいされた界隈を歩いて見ることにします
幸い雨も小降りになりました
ちょっと近鉄電車の踏切越えて
最古の官道と云われる竹ノ内街道を少し歩いて藤井寺へ向かうことにします
竹ノ内街道と直ぐに別れ適当に西に進みます
野中寺へとやってきました
その昔は塔頭も立ち並び隆盛していたようです
野中寺(やちゅうじ)
叡福寺を上ノ太子、ここ野中寺を中ノ太子、八尾の大聖将軍寺を下ノ太子
と呼び、何れも聖徳太子縁の寺であるようです
ヒチンジョウ池西古墳石棺
お墓ですよね
そりゃ~この辺りはあっちこっちに古墳や天皇の御陵があるんですから
おや? 何かのご縁なんでしょうか?
野崎観音様の境内にもこのお二人のお墓があるのですが
お彼岸の入りですが雨模様ですのでお墓参りの方は殆どありません
では藤井寺へ向かうはずが
ここで寄り道
仲哀天皇御陵
何故か二上山が良く見える
うん?
西へ西へ歩いたら何だか方角おかしいよ~?
お手洗いもお借りしなくっちゃ
小型スーパーに飛び込むが見当たらない
あ、ファミ○があった
飛び込め~~(^^;
ありがとうさんでした、コロッケ一個頂戴して歩きながら食べる (誰も歩いとらんからええんよ・笑)
もう一度、野中寺から歩きなおして
辛国神社に到着
明治の廃仏毀釈神仏分離令の折に隣の藤井寺の鎮守社が合祀されたようだ
さっき野中寺でお見受けしたまだ三十路と思しき女性と一緒になった
彼女は○△ガールさんかな(^^)
お隣の葛井寺さんへ一足先に向かう
山門前のお店の角に石票があった
吉野、伊勢へと続く道なのだ
葛井寺南大門
西国三十三所霊場 第五番札所
紫雲山 葛井寺
紫雲石の灯篭と本堂
本堂の秘仏、千手千眼観世音菩薩は毎月18日と8月9日の千日参りに開扉される
今日はその18日に当たった!
500円を志納してゆっくりと有難く拝観させてもらえた
写真はご法度ですからゴザイマセン~
なおこの石灯篭もレプリカ、本物は痛みが激しいので裏庭で管理されているそうです
花山天皇が詠まれた
まいるより
たのみをかくる
ふじいでら
はなのうてなに
むらさきのくも
池の鯉にも何とはなしにお彼岸の入りを感じる
時間はゆっくり流れます
さまざまな時を感じて散策します
先日(3/16)の飯盛山の凛々しい姿とは異なり
この時の正行(小楠公)はまだ父・正成(大楠公)と共に戦っていたのですね
締めくくりに専心龍乗観世音菩薩に水かけしておきましょう
あかん河内の葛井寺
と言う別名も持っているようです
葛井寺の伽藍修復に中った明日香の藤井安基に由来するようです
寺の名前は葛井寺
この辺りは藤井寺市であり近鉄の駅名も藤井寺なのだ
まぁ、その辺の勉強はやる気が湧いたら致しましょう(^^;
雨も止んだことだし
今度こそ
お家へ帰ろう~~~((^^))
雲ってますね~
昨日、な、ん、と、10時間も働いちゃいました((><;
夕べはぐったりで 22:00 には寝てしまいましたーー;
今朝は早起きしてみましたが足がとっても重たいのです
それに空を見ても元気が出ません!!
9:00 前のスーパーが開店したのでお墓参りのお花(榊)を買って
やっと重い足を踏み出したのは 10:00 前
地下鉄乗って近鉄電車に乗り換え着きました
ご先祖様のいらっしゃるお墓
お迎え地蔵様
今日も無事にお参りに来れました大阪市○○のおタケです
御線香を手向け、ありがとうございますの両手を合わせます
ご先祖様のお墓をちゃっちゃと掃除して御線香を立て祖先讃詞を超簡単に詠み
六地蔵様にもご挨拶
また次はもうお盆かもね~、オユルシヲ~(^^)
おやおや大粒の雨が降り出しました
今日はお山(金剛山)が隠れてしまいました
お天気なら重い足引きずってでもこの時間(12:00前)なら行ったかもしれないな
けど傘さしてまで今日は登る気にはなれません
さっさと家へ帰りましょう
でもさ、この案内板までくると気持ちが揺らぐのよね (^^;
本性を現した気まぐれ(=^・・^=)
ご先祖様が住まいされた界隈を歩いて見ることにします
幸い雨も小降りになりました
ちょっと近鉄電車の踏切越えて
最古の官道と云われる竹ノ内街道を少し歩いて藤井寺へ向かうことにします
竹ノ内街道と直ぐに別れ適当に西に進みます
野中寺へとやってきました
その昔は塔頭も立ち並び隆盛していたようです
野中寺(やちゅうじ)
叡福寺を上ノ太子、ここ野中寺を中ノ太子、八尾の大聖将軍寺を下ノ太子
と呼び、何れも聖徳太子縁の寺であるようです
ヒチンジョウ池西古墳石棺
お墓ですよね
そりゃ~この辺りはあっちこっちに古墳や天皇の御陵があるんですから
おや? 何かのご縁なんでしょうか?
野崎観音様の境内にもこのお二人のお墓があるのですが
お彼岸の入りですが雨模様ですのでお墓参りの方は殆どありません
では藤井寺へ向かうはずが
ここで寄り道
仲哀天皇御陵
何故か二上山が良く見える
うん?
西へ西へ歩いたら何だか方角おかしいよ~?
お手洗いもお借りしなくっちゃ
小型スーパーに飛び込むが見当たらない
あ、ファミ○があった
飛び込め~~(^^;
ありがとうさんでした、コロッケ一個頂戴して歩きながら食べる (誰も歩いとらんからええんよ・笑)
もう一度、野中寺から歩きなおして
辛国神社に到着
明治の廃仏毀釈神仏分離令の折に隣の藤井寺の鎮守社が合祀されたようだ
さっき野中寺でお見受けしたまだ三十路と思しき女性と一緒になった
彼女は○△ガールさんかな(^^)
お隣の葛井寺さんへ一足先に向かう
山門前のお店の角に石票があった
吉野、伊勢へと続く道なのだ
葛井寺南大門
西国三十三所霊場 第五番札所
紫雲山 葛井寺
紫雲石の灯篭と本堂
本堂の秘仏、千手千眼観世音菩薩は毎月18日と8月9日の千日参りに開扉される
今日はその18日に当たった!
500円を志納してゆっくりと有難く拝観させてもらえた
写真はご法度ですからゴザイマセン~
なおこの石灯篭もレプリカ、本物は痛みが激しいので裏庭で管理されているそうです
花山天皇が詠まれた
まいるより
たのみをかくる
ふじいでら
はなのうてなに
むらさきのくも
池の鯉にも何とはなしにお彼岸の入りを感じる
時間はゆっくり流れます
さまざまな時を感じて散策します
先日(3/16)の飯盛山の凛々しい姿とは異なり
この時の正行(小楠公)はまだ父・正成(大楠公)と共に戦っていたのですね
締めくくりに専心龍乗観世音菩薩に水かけしておきましょう
あかん河内の葛井寺
と言う別名も持っているようです
葛井寺の伽藍修復に中った明日香の藤井安基に由来するようです
寺の名前は葛井寺
この辺りは藤井寺市であり近鉄の駅名も藤井寺なのだ
まぁ、その辺の勉強はやる気が湧いたら致しましょう(^^;
雨も止んだことだし
今度こそ
お家へ帰ろう~~~((^^))