あっちこっち歩いて楽しむおタケさん

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山に登ったかと思えばメタボな食事、お花、キノコ、いろいろ~

先見の目無し、、、

2011-09-30 07:36:43 | 故郷(鹿児島)にて
2011.09.24(金) 夜
 
楽しかった還暦同窓会を終えて弟の迎えで帰った実家
仏壇に挨拶を済ませ、手狭な実家を後に
近くの今晩と明晩お世話になるいとこ(叔母)の家に向かう
荷物を置いて叔父、叔母に挨拶もそこそこに
 
同窓会の途中、同級生のお父様の訃報を聞いていたので
千葉から帰省している同級生に逢いたい一心とお父様のご霊前にお焼香をと
弟と一緒に出かける
 
田舎ゆえ以前は自宅で葬儀は済ませていたが
今は町のJAの会館で執り行われるようになった
 
会館の入り口で昼間一緒だった旧友たちが出てくるところに出くわした
「○○きてくれたんか」と我が事のように礼をされてじ~んと心が痺れた
 
旧友は気丈に振舞って接してくれた
岩手に嫁いでいると聞いていたので先の震災で被災していないか心配だった
聞けば、今は千葉県に住み揺れはあったが被害はなかったとのこと
 
ご家族でのお通夜、長居をしてもと、元気な顔を見れたしお父様の霊前に手を合わせ座を辞す
 
戻った叔母宅ではワタシの夕食を用意して待っていてくれた
東京からいとこ達姉妹も帰省、
同級生のいとこは還暦同窓会解散後、高校の同級生達と飲み会に行き戻っていた
明日の告別式に参列するという
 
6つ違いの従妹は今回、味噌作りを叔母に伝授してもらう為に姉と一緒に帰ってきたのだそうだ
 
遅い夕食を終えて土間の上がりがまちに目をやると
既に麦ともち米を蒸して麹を寝かせた袋がある
今夜は気温が低いので戸を閉め切ってエアコンが暖房になっている
やけに暑いなぁと思っていたら、なるほどそうだったんだ
 
叔母が袋を触って「ほらも~、ぬくなっちょ」(あらもう、暖かくなってる)と言い
夜中に拘らず、倉庫から
叔父に大きなバラ(竹で出来た大きな浅いザルみたいなもの)を持ってきてもらい
 
袋の中身を広げて麹の発酵の具合を確かめている
感触で解るのか、「うん、もうよか」と塩をまぶしていく
 
そういえば母もこの季節になると奥の一間を締め切って立入禁止にして大豆を麹で寝かせて
味噌や醤油を作っていたなぁ、、、もっと寒くなると甘酒も、、、
今はもう何も出来なくなり施設でただ寝たり起きたりの生活
 
今だから思える、なんともったいない!!
その仕事を教えてもらわなかったことを後悔する
他にも土間で蒸篭で作る羊羹や黒糖菓子、etc季節の味作り
何にも学ぼうとせず、ただこの田舎から脱出することばかり考えていた
そして晴れて大阪に出てきても怠け癖は治らずとんでもない人生を送ることになった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いろんな思いを胸に
従妹と二人で叔母を手伝うことにした
いや、従妹はしっかりと最初から手順を学んでいる
ワタシはただ懐かしさに触れたいだけ、、、
 
 
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しっかりと塩を混ぜ込むともうこれ以上醗酵はしないそうだ
 
今夜はこのまま静めておいて朝になったら大豆を合わせて味噌は出来上がるようだ
昔は大豆は臼でついて伸ばしていたが最近はミキサーで挽いてしまうので楽だとか
 
 
 
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今夜はこのお味噌が美味しく出来上がりますように
一緒に休むことにします
 
もう夜中の2時です
 
朝、目覚めるのでしょうか、、、、

還暦同窓会 観光ツアー in 南薩 ②

2011-09-28 23:41:59 | 日記
2011.09.24(土) 午後の
 
知覧を出発してバスはこの正月に歩いた菜の花マーチのコースを
池田湖畔を通過して開聞岳を望みながら進みます
 
昼食の場所に選んでくれたのは地元では有名な唐船峡
 
何が有名かはバスを降りて駐車場から階段を降りて行くと判りました
 
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鯉や虹鱒が泳ぐ沢の上に川床のように設えられたテーブル席
円形のミニ水槽のような透明の容器が乗ってます
そしてザルには茹でたソーメンが、、、、
ここ指宿の方が特許を持っておられるらしい
有名な<そうめん流し>
水槽の水がやがてくるくると廻り始めて、そこにソーメンを流し込んで
掬い上げて銘々で食すのです
 
 
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これは家族同様の仲間だからこそひとつの器でわいわいと食べられるのですね
 
やれ、菜ばしが、なんて言ってたらこんなところで食事は一緒に出来ません
 
食中毒やインフルエンザの季節には厳しいのかも知れませんが、、、、
 
鯉の洗いと虹鱒の塩焼きとおにぎりも2個も付いてきて
 
食べられないよ~といいつつも平らげてしまいました
 
ここでもまだ足りないと生中を注文している連中がいました (もちろん自腹です)
 
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もう満腹になってこのままではバスに乗っての長丁場は辛いです
 
近くのフラワーパークへと移動です
 
園内を腹減らしに皆で散歩します
 
ブーゲンビリアがとても綺麗に咲いている遊歩道をソフトクリームのある庭園レストランへと
歩き始めますがアルコールの詰まったお腹では足が覚束ない上に陽射しがきつく
敢え無くあきらめバスに戻ります
 
珍しいショクダイオオコンニャクの開花を知らせるポスターもありますがスルー
 
辛うじてワタシも駐車場のハイビスカス一輪と開聞岳を写したのみ
 
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ウコンの花が切花になって売られていました
 
 
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もう、さすがにくたびれてバスに乗って一路自分たちの町へと帰ることにしました
 
鰹漁で有名な山川港を抜けて砂蒸し温泉の指宿を通過しながら帰りは海岸線を北上します
 
と、ここで幹事のS君が突然ワタシに
せっかくだから皆で修学旅行気分に浸ろうと何か前に出てやれとのご指名
 
ホントは今はバス車中はきちんとシートベルトしないと違反なんですけどね
 
仕方ないから雰囲気壊すわけにもいかず
近況と昨夜と今朝のお風呂で感じた
「あ~~ぁ、わたしだけじゃなく皆んな同じだった~」という笑い話や
皆で、昔、むか~しに戻って、古いふる~い歌を歌ったのでした
 
中学の同窓会だけど最後に<<高校三年生~♪♪>>で〆
お土産やさんに立ち寄り
一応、鹿児島市内にも通勤渋滞があり、巻き込まれながら中央駅で2、3名を降ろして
ようやく市内を抜けて国道10号線の錦江湾沿いを夕陽に照らされる桜島を右に見ながら
我らの町へと帰ります
 
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17:30頃の到着の予定がかなり遅れてしまい
母の施設の夕食には間に合わないので、弟に連絡して
到着の町のホールまで迎えに来てもらうことにしました
 
すっかり暗くなってから町のホールに到着して
楽しかった二日間のお礼を幹事さん達や友人達に述べて
 
またの再会を誓い三々五々に迎えの車で解散です
 
 
                      ・・・・これにて還暦同窓会は無事終了・・・・
 
 
                また気のむくまま滞在記を更新します

還暦同窓会 観光ツアー in 南薩 ①

2011-09-28 16:34:26 | 故郷(鹿児島)にて
2011.09.24(土)
 
宴会から一夜明けて
目の前の朝焼けの桜島にみとれる
 
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7時からの朝食にはまだ時間があるので朝風呂を浴びに
昨夜と同じ露天風呂へ
飲み過ぎてお風呂に入らなかった人も皆気持ち良さそうに入浴して
桜島を眺めている
 
さっぱりしたところで
朝食バイキング
あまりにも種類が多すぎて欲張ることも出来ない
 
田舎煮の野菜がとても美味しい
 
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食事が済むと
昨夜自宅へ帰った3人と早くも東京や大阪へ帰る3人を除いて
観光ツアーへとバスをチャーターして出発
 
ワタシは実は母の所へ行く手はずで参加は申し込んでいなかったのだが
皆が是非にと誘ってくれるので
母の様子を弟に電話で問い合わせ
異常は見られないので思い切って同行することにした
 
鹿児島市内から指宿スカイラインを進んで来ているホテルなので
このままスカイライン経由で
知覧へと向かうことになった
 
1時間も走ると
薩摩の小京都、知覧武家屋敷庭園に到着
 
 
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コースをゆっくり廻りたいが団体でバスの後部のサロンでは
のん兵衛たちが朝から威勢良く缶ビールを開けていたので
足早に庭園を2、3見て記念撮影をして次の目的地へと向かう
 
相変わらず飲んかたは続いているが
直ぐに今日のハイライト
特攻平和祈念公園へと到着
流石に皆、口を閉じ黙々と平和祈念会館へと向かう
 
入り口にその重いテーマの記念公園には似つかわしくない
モニュメント
確かにここは全国でも有数の茶どころには違いないのだけれど
違和感を覚えるのはワタシだけでしょうかね~~
 
 
 
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少し歩けば
もうこんな世界なんですよ
 
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                     特攻銅像「とこしえに」
 
                 み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつつ
                 りりしい姿を永久に伝えたい心をこめて
                 あゝ
                 開聞の南に消えた勇士よ
 
右手は永遠の平和を、左手は固い決意が秘められ
開聞岳を仰ぐ眼は、生もなく、死もなく、すでに我もない隊員の仏心をあらわしている
                                               入館券の案内より
 
 
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神社の手水で禊の手洗いを済ませ
大和法隆寺の秘仏、夢ちがい観音を模造したものが祀られているお堂にお参りして
 
 
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特攻会館へと入館します
館内は撮影禁止です
 
一歩、一歩足取りは重く
千人針、遺書、遺品、武器、零戦の残骸
涙なくして臨めません
 
今、還暦同窓会を迎えた私たちが学んだ中学、高校の時の年齢の若人が
幾千の命を賭してこの日本の為に戦ったのでしょう
 
 
 
 
戦場に赴いた父はあまり多くを語りませんでした
そして爆撃から逃げ惑った母も、、、、
 
                    還暦を迎える私たちも昭和26年、27年の生まれ
                       もう 戦争を知らない世代です
                どうぞこれからも日本が平和でいえ世界が平和であり続けますように
 
 
                             そう願って会館を後にしました
 
 
 
バスに戻って暫くは誰も口を開きませんでしたが
ドライバーさんが淡々と飛ばして昼食の場所に到着する頃には皆明るい笑顔を取り戻していました
 
平和を勝ち得た私たちは、この日本の発展を担い平和を守る義務を語り継いで行かねばなりませんね
 
 
 
                               ・・・・・・昼食タイムから午後の部へと
                                              つ・づ・く・・・・・・・・・・・
 

還暦同窓会の宴 in 鹿児島

2011-09-27 18:03:43 | 故郷(鹿児島)にて
2011.09.23(金) 夜
 
 
さて、、、、
宴会場で幹事が物故者、男性3名女性1名の名前を読み上げて
東北の震災の犠牲者の御霊とともに黙祷を捧げます
 
いよいよ乾杯の音頭のもと、還暦同窓会の宴の始まりです
 
当時の先生(81歳)の挨拶もソコソコに
もう先生と生徒の区別も付かないほどになった人もあります
 
 
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それぞれにお酒を、ビールを、焼酎を酌み交わし男も女もなく15歳にタイムスリップして
近況や思い出話に花が開いて行きます
 
 
事前に幹事さんたちは係りを分担していたようで
余興係が一層場を盛り上げてくれます
 
皆が、かごっま弁で愛称やら名前の呼び捨てで会話しています
 
 
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ビール2杯で楽しそうにしている人もいます
 
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         彼はこの場には絶対に欠かせません<<お~い歯を忘れてるよ~~~>>
 
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ご馳走が次から次へ運ばれて来ますが箸は置かれたまま
お~~もったいないと食べるのはワタシだけ、しっかり会費の元を取らねば~~(^^;
 
 
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記念の還暦祝いの赤に身を包み
 
 
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宴もたけなわですがホテルのご都合もあります
1本締めで一旦お開きにして
特別室を開放して2次会です
 
ワタシは後から参加することを伝え
ともかくもお風呂に入ることにしました
 
高台からの夜景がとても綺麗です
露天風呂から鹿児島の夜景(写真にするとしょぼいなぁ)
夜景で空が明るいけれど沢山の星が輝いている
鹿児島といえども高台に面しておりこの夜は露天風呂に長く入っていると冷えてきた
 
 
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お風呂から上がりすっぴんで2次会に駆けつける
(どうせ山行きで地黒の皺、シミだらけ、いっそのことすっぴんが見苦しくなくていいでしょ)
 
幹事さんは一年も前から住所の確認や出欠の有無、日程や場所の決定
果ては東京、大阪、岡山などの遠方組みの出迎えetc
本当にご苦労様でした
加えておつまみから飲み物まできっちり用意周到
それに引き換え
何もせずに乗り込むだけのワタシは会費が高い~と文句を言ってる始末
宴席で深々とそのことをお詫びしました(笑)
 
夜も更けて日付が代わる頃、一足お先に部屋に戻りスヤスヤのワタシでした
 
 
                                 ・・・・・・翌日へと続く・・・・・

さくらに乗って還暦同窓会へ

2011-09-27 15:23:28 | 故郷(鹿児島)にて
2011.09.23(金)
 
先月の高校の還暦同窓会に続きまたまた故郷、鹿児島での同窓会
 
今回は中学の還暦同窓会です
 
二ヶ月も続けて痛い出費です(ちょっとした海外旅行が楽しめます)が
時は45年も経て逢える顔が幾つもあるのです
多分、この機会を逃せばもう次はあの世かもしれません
 
これは何をさておいても逢いに行かねば~~~
 
という訳で、新大阪で三重県名張の旧友と待ち合わせて
全線開通した直通の九州新幹線に乗って帰ることにしました
 
一月前に予約したら満席で二人分の席は 11:59発の「さくら」しか空いていませんでした
何がなんでもということではなかったのですが話の種にと二人の意見が一致したのです
 
だって飛行機は早くに予約すれば(超割)新幹線の片道の旅費で往復できるのですから
 
そんな話の種を乗せて新大阪から滑り出します
 
6号車の後扉から指定席へと乗車すると絨毯の敷かれたグリーン車ではありませんか
「え~!? グリーン車はもっと料金が高いはずやで?」と席のナンバーを確認しながら
前へ進むと車両の1/3ほどのところから仕様が変わりました
座席の色も重厚なダークグリーンからブラウンに代わり床も木調になりました
 
あ、なるほどこう言う訳か、、、と納得しながらゆったりとしたシートに深々と着きます
 
ところで、「みずほ」と「さくら」は違う車両だとばっかり思っていましたら
鹿児島中央駅から到着した「みずほ」が車両点検を済ませて清掃を終え折り返して
「さくら」として出発したのですよ~
知らなかったなぁ、、、大阪のお下りさんでした~~(笑)
 
 
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電光掲示板は写真にするタイミングがつかめません
 
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満席のはずの隣の席は2席とも空いてます
 
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棚の上にはちゃんとAEDが備えてあります
 
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とても広々として足元もゆったり、リクライニングでリラックス
早いな早いな~窓の外~♪ トンネルだ~トンネルだ~楽しいな~♪
なんて歌ってる間もなく岡山、広島、小倉~~です
自慢げに、鹿児島の友人に<グリーン車に乗って帰ります>なんていい加減なメールを打ったり
何しろお下りさんですから前方の自由席を見学に行ったり、トイレ探検したり、まるで子供です
いろんな話に夢中になりちっとも退屈しません
それどころか鹿児島で待ち受けている友人からのTelにも気付かずにおしゃべりに夢中です
やっと気が付いて小倉を過ぎて到着予定を知らせます
九州に入って1時間半もしたらとうとう終着駅の鹿児島中央駅に着いてしまいました 16:13着
 
中央駅で待ってるよと言ってたけどワタシは幹事のS君とは40年ぶり、M君とは20年ぶり
旧友は45年ぶりに二人に逢うのだ
判るかなぁ?
中央改札を出て人ごみをうろうろしていたら何やら団扇に○○中学校と書いた手が上がっていた
 
あらぁ~~~~、ありがと~
いやだ~~ S君~~、え~~M君?? 歯が抜けちゃったの~??
と大笑いして出迎えられた
 
今日は、ここからホテルまで送迎バスで向かって泊りでの同窓会だ
バスは故郷の町で地元の人を乗せ出発して空港経由で東京方面の同級生を乗せて
最後に私たち二人を待っていてくれたようだ
 
30分も走ると高台のゴルフ場の一角にあるホテルに着いた
ロビーで受付を済ませ個別に車で到着の3人を待つが、何せ東京から前日に帰省した3人組
道を大きく間違えたようで時間の遅れが気になる
電話でやりとりしながらなんとか無事に彼らも到着する
皆、女性は長年の月日を埋めるべく旧姓で名乗りお互いに元気で逢えたことを涙して喜び
ロビーは賑やかだ
話の続きは宴会で~~となり
 
先ずはホテル内の神殿でお祓いを受ける
 
高校と違って小さな中学校は一学年で2クラス計65名だった
だから全員の当時の顔を覚えているし、もちろん名前もしかり
出席者は当時の先生を入れて40名
男女の幹事代表が記念の赤い帽子にちゃんちゃんこで記念撮影に収まる
 
 
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部屋の割り振りが渡され其々が部屋に入り宴会の開催を待つ
部屋は全室、桜島が望めるようになっており
夕暮れの鹿児島市内と桜島がまた特別な思いにさせた
 
 
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暫く同室になった旧友たちと話し込んでお風呂は宴会の後にすることにした
 
なかには平穏に主婦してる人もいるが其々の波乱の人生を送ってきた40数年
話はそんな泣き言や自慢も一掃して15歳に戻る
 
待ちに待った45年ぶりの還暦同窓会の夜の幕開けだ
 
 
 
 
・・・・・・・続く・・・・・・・
 
※日記は長くなります、更新続けますのでお暇な方はお付き合い下さいね~