あっちこっち歩いて楽しむおタケさん

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

山に登ったかと思えばメタボな食事、お花、キノコ、いろいろ~

出掛けずば出会えず!!

2012-02-28 22:39:48 | 日記
2012.02.22(水)
昨年の初夏にササユリを見に一人で京阪電車交野線に乗って出掛けた交野で出会った方に
交野から山越えで奈良県生駒市高山へと案内してもらった
 
もちろん目的は
高山と言えば茶道には欠かせない‘茶筅’の産地だ
その茶筅が完成する前の竹の寒ざらしを見に行きたかったから
 
 
 
イメージ 1
 
 
そして今日
2012.02.28(火)
 
思い立って一人阪急宝塚線の山本駅から山越えで中山寺へ
途中の岩場で「あ~しんど~!!」と喘ぎながら登っていて上から下ってこられた方と
何故かお気軽にお話してメールアドレス交換した
この方、なんとなんとNGOの方で「ネパールに学校を!」
自らは第一校を寄付しておられる
今や30校がネパールに寄付されている
が、まだまだ足りないそうだ
 
他にもいろいろと社会奉仕されている
 
いつか、いつか、、、、、行きたいと憧れ続けた国が蟻の距離ほど近づいた気がした
 
皆さんはとっくにご存知の方かも知れない
ワタシは世間知らず、自己の生活しか守れない
 
*写真はご本人に了解得ております
 
イメージ 2
 
 
また、後日歩いた様子は記事に致します
 
 

キリギリスの顛末~~(T_T)

2012-02-25 12:34:03 | 日記
 
 
しっかりと蟻の如く働いたつもりでしたが、、、、、、(--)
 
イメージ 1
 
 
でもありがたく一日二日は食事にありつけそうです (^^)
 
 
 
 
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
 
 
                  とても素敵な画像が届きました
 
                                気持ちが落ちる雨の日はせめて一服
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 
イメージ 3

 
 
       皆様もごゆるりと~~~~(ww)

摂津大峯 ダベリング (剣尾山~横尾山)下山編

2012-02-24 23:58:13 | お山(全国各地)
登山編より続いております^^
 
 
剣尾山で
え~~!!あれが比叡山~!! じゃぁ~愛宕山はあれっ?
と大騒ぎして20分もコーヒータイムを過ごしたろうか
 
昼食には早いので縦走して周回?下山することになった
 
剣尾山山頂は飛鳥時代、山岳信仰の中心となり月峰寺が開かれていた
ある時護摩を焚いていると不動明王の降魔の剣が降ってきたというのが剣尾山の由来らしい
 
六地蔵に迎えられたあたりから広大なお寺であったことが窺い知れる
未踏の雪の上に
猫は喜び勇んで足跡をこれでもかとつけて遊ぶ
誰かのメッセージにもいたずらをしておいた(もしも、恋文だったらゴメンナサイ)
マーキングだけは辛うじてストップしたのでご安心を~~^^
 
心行くまで遊んだら山頂を後にして下って行きます
かなり山道の中央が踏み馴らされてツルツルニなってきたので
みけさんとワタシは4本爪の軽アイゼンを着けます
笑顔さんはそのままで平気で下って行きます
 
 
イメージ 1
 
 
先ほど山頂で山の位置をきちんと教えてくれたオジサンが熊鈴を鳴らしながら
後ろから追いついてきました
丁度絶好の岩場に差し掛かったので写真をとりたくて
どうぞ先に行ってくださいとせっかく道を譲るのに
いやいや、岩場だから先に行ってとガンとして追い越して行かれない
しゃ~ない、写真は諦めて進むことにします
 
ちょっとした岩場を登って降りてしながらやがて横尾山への分岐を過ぎ、平らな道になったところで
オジサンに先に行ってもらいました
 
雪融けのドロドロ急登をアイゼンつけて登ります
 
イメージ 2
 
登りつくと大阪府と京都府の県境
國堺の石票もある反射板のところを左へと下ります
 
イメージ 10
イメージ 11
 
 
右手には京都府亀岡の山並みが見えます
 
イメージ 12
 
 
また雪をサクサクと踏みしめてルンルンと歩いて行きます
 
右手の景色が変わりました
 
多気アルプスでしょうか?
 
イメージ 13
 
馬酔木の古木がこの辺りも目立ちます
おっとっと!!
横尾山の山名板をうっかり見逃すところでした
こちらがほんの少しだけ背が高いようですが、どんぐりの背比べ~
 
イメージ 14
 
黒いネットで道は塞がれてネットに沿って急に下って行きます
 
道が悪く先行の笑顔さんが滑るかもと言いながらずんずん下って行きます
みけさんは猫の感でなんとか尻すべりしないですむ方へと下ります
 
 
イメージ 15
 
 
なんとか体制を崩さずに二人に付いて行きロケーションの良い鉄塔の傍までやってきました
岩場に腰を降ろしてランチタイム 12:30頃
 
ワタシはほぼ道にせり出して座ります
誰かに「ここ道や、どけ!」と言われないか気にしながらおにぎりをぱくつき
遅刻して更に待たせて買ったカップ麺もツルツル~^^
 
 
イメージ 16
 
 
のんびり食事を済ませてアイゼンを外して下ります
左にロープで<<危険!!急坂が続きます>>という、さわがにコースの案内
今日は強いて危険を侵さなくてもよいのだ
直進しますが結構な岩場をトントンと降りて行きます
 
イメージ 3
イメージ 4
 
 
ひと休み峠まで下ってきて、ひとやすみ
 
イメージ 5
 
左に曲がってジグザグと下って堰堤に出ました
流れ込む土砂で湿地になっています
先日の冷え込んだ日には池の水は凍ってストックでつついても割れなかったよ
と、笑顔さんが話してくれました
御神渡りしなかったん?
と、アホなことを言ったがために
ワタシは水の流れる沢の飛び石を渡る破目になり
グラグラする石を飛び危うく沈没~でした
 
イメージ 6

イメージ 7
 
堰堤を越えて林道に出会い下って行きます
笑顔さんが先日来た時には
この林道の坂道で車が凍りついた路面にスリップして横向いていたそうです
 
ペチャクチャとダベリながら不動明王岩も見送り
朝の出発地点へと戻ってきました 13:40頃
 
イメージ 8

笑顔さんの車がちゃんと待っていてくれました
トイレを済ませて
後はお楽しみの温泉へGO!!
 
ほんとに、ありがたいことです
笑顔さんのお蔭様で下山の時間を気にする事無く
たっぷり雪の残る山を楽しめました
 
着いた温泉は「能勢温泉」
700円でアメニティは完備
露天風呂から雪の残る山並みを見ながらほっこり~~
 
能勢電鉄、山下駅までの送迎バス
このバスは特別仕様車のようで滅多に走ってないようですが
他にちゃんと毎日走ってる赤いバスも停まっていました
 
イメージ 9
 
 
朝のお集まりに遅刻が多くなってきました
人を待つのは大嫌いなくせに平気で待たせるワタシ
これじゃ~友達作れませんね~ 反省~(-0-)
 
 
みけさん、笑顔さん
今日はワタシの我がままにとことんお付き合いくださってありがとうございました
 
今後は、なるべく遅刻しないように心がけますので見捨てないでくださいね~~
 
 
そして
我がブログにお越しくださいました皆様にも
 
ありがとうございました
 
                                               おわり
                                                               ます(^^;

摂津大峯 ダベリング (行者山~剣尾山)登り編

2012-02-22 02:02:36 | お山(全国各地)
2012.02.21(火)

今日、明日(2/21,2/22)連休になった

みけさんに暇やからどっか連れてけ~~と懇願メール
みけさんの都合で、初めは明日(2/22)の予定にしていたが
どうも、天気が持ちそうにないので昨夜急に今日(2/21)に変更になった

みけさんものっぴきならぬ事情が出来、ワタシもビンボー山登りしか出来なくなった
そこで、阪急電車で行動できる圏内を検討

みけさんが先月歩いた剣尾山(けんぴさん)に連れて行ってもらうことにした
朝9:00に能勢電鉄の山下駅で落ち合う約束だ

朝6:44にメール着信
すわ! キャンセルかい!!と思って見たら
何とうれしやありがたや~~vv
地元の笑顔さんが一緒に行って下さると言う、おまけに車で山下駅まで出迎えて下さると言うサプライズ

これでワタシの気持ちが緩み朝の出足を遅らせてしまい
落ち合う駅を川西能勢口と勘違い
電車に乗って再確認のメールチェックして
しまったわい!!と、慌ててみけさんに‘すんません’メール
8:20 まだ十三ですm(-0-)m とりあえず急行に乗ります

8:45 川西能勢口乗換え 各駅停車乗りました~

9:02 山下駅到着

やれやれと改札出ると小型バスが停車している
はは~ん、これが初めは登山口まで二人で乗って行くはずだった9:18発のバスか
とキョロキョロしていたらみけさんがこっちだよ~と笑顔さんの車を降りて手招きしてくれた

直ぐ前にミニスーパーがあったので待たせついでにお昼のおにぎりを買った

川西能勢口からは初めての土地
笑顔さんの車でどんどん大阪の奥座敷、能勢の山奥へと向かう
トンネルを幾つか抜けてやってきたのは行者山の登山口

要らない荷物は車に積んで~♪ ホンマ助かります♪

トイレもあります♪
手を洗おうと蛇口をひねりますが凍ってわずかにポトポトと水滴が落ちるだけ

うん、やっぱり山です、冷んやりします

10年物のユニクロのフリースを着込んでヤッケをはおり靴紐を締め直し
リックを背負っていざ出発

9:35頃 登山口
イメージ 1




登って行く行者山の沿革を学んで行きましょう
イメージ 2





雪が少し残っていますよ

登山道は凍って滑りそうです
 
イメージ 13
 
 
直ぐに木段の急登になってジグザグと歩を進めて行くと登山道から10m程外れたところに
毛抜き岩と岩の上には塔がありました
 
この岩で髪を剃り禊を済ませて修験を行ったようです
 
イメージ 24
 
 
また本道に戻って高度を上げて行くと正面に大きな岩が聳え立ちます
岩には磨崖仏が刻まれています
大日如来座像ですね
 
イメージ 25
イメージ 26
 
 
岩を左に登山道を登ると岩には大きな氷柱が垂れてます
 
イメージ 27
 
 
この辺りから左右には巨岩が目立ち始めました
そしてさらに登って行くとまた眼前に大岩が現れます
 
イメージ 28
 
 
うんしょ~~と持ち上げてみようとしますが
何やら説明板に目が行き直ぐに止めてしまいます
 
 
イメージ 29
 
今登っている行者山について学んでいるようです
なになに~、ふむふむ~、
この山は奈良の大峰と同じく修験の山だったんですね~
摂津大峯と呼ばれていたようです
 
イメージ 30
 
行者堂を左へ回りこんで進み少し登ります
 
イメージ 7

 
岩窟の祠に爪刻み仏が祀られています
 
しかし大きな岩やね~、と笑顔さんと見上げています
みけさんは仏像のお姿を確認しています
 
イメージ 3
イメージ 4
 
 
修験道の山であったことが窺い知れる岩場が立ち塞がります
垂直の岩壁を登って行かねばなりません
しかし鎖に手が届くところまでも猫の爪では登ることが出来ません
下は断崖ですから尻尾を巻いて退散
 
 
イメージ 5
 
 
来た道は凍ってツルリンしそうですので大岩を左に巻いて雪の無い藪を登りましょう
すると大岩の上に展望台が出現
みけさんが、あそこの山へ縦走して下の温泉に下って行くんだよと説明してくれました
 
イメージ 6
 
東の覘きという案内板もありましたのできっとここも覘き修験の岩場だったのでしょうね
 
岩の上から左前方に見える山の合間の白いところは雪の積もった長谷の棚田だそうです
大阪府では千早赤阪村とここの2箇所だけが日本の棚田百選に選ばれているようです
 
イメージ 8
 
 
本道にまた戻って徐々に高度を上げていつの間にか行者山(469m)山頂をやり過ごして
風の峠にやってきました
 
木札がしっかと針金で結わえてあるので、まさかね、と確認すると
ちゃんとビニールのホースを半分に開いて保護してありホッとしました
 
イメージ 9
イメージ 10
 
 
峠を過ぎてまだ登りが続きます
 
左手に炭焼窯跡があります
 
この能勢には三黒と呼ばれる特産品があったようです
栗、牛、炭
能勢の炭は池田炭として茶湯に使われていると説明板がありました
原料のクヌギが豊富だったことを語るように山道も山中もフカフカの落葉で一杯でした
 
 
イメージ 11
 
 
峠を登りきって平坦になり雪が多くなってきました
 
いいね~~とはしゃぎながら進んで行きます
 
イメージ 12
 
雪が解けてどろどろになった急な木段を上って行くと
まぁ~、赤い涎掛けの六地蔵さんが迎えてくれました
 
 
イメージ 14
 
 
こちらの小さなお地蔵様たちを見守るのは異国の菩薩様でしょうか
 
 
イメージ 15
 
山頂が開けてはい到着
 
しかし直ぐに目に入った山名板
これは直ぐに撤去もしくは修正に来てください!!
 
 
 
イメージ 16
 
こちらがやはり相応しいでしょうか
 
悩みなよ~(783.74m)
 
イメージ 17
 
 
山頂の大岩に登り360度の展望を堪能します
 
ごめんなさいね~、ズームすると虫が現れるんです~~ーー;
    どうやらレンズがダメになってるようです
 
雲海の上に浮かぶは六甲山ですね
 
イメージ 18
 
 
京都方向の眼下には堰堤湖
 
イメージ 19
 
 
その先に愛宕山
てっきり真ん中奥に形の良い裾広がりの山がうっすら見えるのがそうだと3人とも確信して騒いでいました
 
すると近くで休憩していたオジサンが
あれは 「「比叡山」」
愛宕山は左の真ん中の山
と教えてくれました
 
ひょえ~~、比叡山!! すっごい~!!
なら肉眼で見える左奥の白い山は比良山~??
そう!! だって~~~~!! 
 
大騒ぎです
 
イメージ 20
 
 
丹波笹山方面かな?
 
 
イメージ 21
 
雪の山を引き寄せて見ます
 
イメージ 22
 
 
こんな沢山の方向案内
却って判らなくなってしまいそう
 
 
 
イメージ 23
 
 
 
11:00頃 山頂に到着
ランチには早いので、暫しコーヒーブレイク
 
風も無く登りばかりで少し汗ばんだので上着の調整もして小休止
 
           YYYY 剣尾山~横尾山~21世紀の森 YYYY 下山編へ

どこか遠くへ~~ 女城主の里・岩村城址

2012-02-20 22:23:21 | 今日はいずこへ?
----城下町散策編----続き。。。。
 
さて、いよいよ女城主が居た<岩村城址>城郭へと参りましょう
 
これから参ります岩村城は
日本三大山城の一つとされている美濃の山城であります
あとの二つは、大和の高取城、備中の松山城をいいます
いずれも天険を利用した山城で戦国武将の知恵の深さを思わせます
 
岩村城のあらまし
岩村町 歴史シリーズ(その一)より抜粋
 
岩村町は木曽山脈のふところに抱かれた高原盆地にある
朝霧、夕霧に忽然として姿をひそめる岩村城は、町の東方にあり、神秘的な風格を備えて
別名を霧ケ城と呼ばれる
 
天然の峻険な地形を100%利用した要害堅固な山城で、海抜七二一メートルに位置し
全国の山城の中でももっとも高地にあるのが岩村城である
岩村町(城下町)を一望にし、現在も栄華と悲劇を秘めた石垣が残り、広大な岩村城の規模、形状を
偲ぶことができ、乱世戦国武将の知恵の深さをのぞくことができる
 
岩村城の創築は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の重臣、加藤景廉が文治元年(一一八五)に遠山庄
地頭に補せられたのにはじまる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
岩村城は加藤景廉創築後、森、松平氏等によって修築拡張され、城山の山頂を削平して
本丸、二の丸、出丸、帯曲輪、東曲輪、八幡曲輪等が設けられ、丸と曲輪は石塁や自然の断崖を
もって区画され、要所に櫓、塀、城門が構えられた
 
実に文治元年(一一八五)から慶応四年(一八六八)まで六八三年間にわたって連綿として続いた
中世から近世に及ぶ武門政治の行われた全期にわたって、城が厳存したことは、日本の城史にも
例を見ず、岩村城は名城であると同時に、その長い歴史にも名城たる理由がある
 
 
たくさんの勉強をさせていただきましたが、ここはやはり
何故、女城主が居たかに興味がありますね
 
岩村城史のうち、もっとも華々しかったのは戦国時代で
天正元年(一五七三)武田信玄の臣秋山信友が遠山氏を滅ぼして岩村城を奪ってから
慶長五年豊臣方の田丸直昌が隠遁して、松平氏に移るまでの歴史からいうと
僅か二十八年間であったが、激しい攻防戦、悲劇、惨劇が展開したり
事実上の女城主も登場してロマンはつきない
 
ここでやっと女城主の言葉が出てきましたね
 
二十八年間に城主が激しく交代し、七歴代の城主のうち五人が戦死、刑死、暗殺死という非業の最期をとげ
一人は流刑され、僅かに一人(森忠政)のみが六十六才の天命を完うしている
 
岩村城をめぐって、なぜかくも激しい歴史の流れがあったかを考えると
岩村城は東濃山岳地域の山城であったが、地理上から見ると
東は甲信の武田信玄、西を濃尾の織田信長、南は三遠の徳川家康と
いずれも天下を征服しようと野望に燃える英雄がおり、岩村城はその中間にある前線地
力と力の接触点であったからで、信長は叔母を城主に嫁がせ、さらに五男を養子として送って
味方にしようと懸命であった事実を見てもわかる
 
 
ここです、ここ、信長の叔母を城主に!!
 
遠山景任(かげとう)の妻として岩村城に嫁し夫亡き後女城主として采配を振るったのです
しかし三年の間に武田信玄の臣秋山信友に攻められその力に屈したのです
かなりの美貌の方だったのでしょうか、戦国の世の成り行き(戦略)か秋山に見初められ
夫婦として岩村城に留まります
そして養子であった信長の五男は甲府へ人質として送られています
そのことを知った信長は激怒し信忠に城を攻めさせて落城し、逆磔として長良川の河原で処刑されます
 
悲哀ですね~~!!
 
ちょっとしんみりしながら城門跡を見て石畳の道を本丸跡へと訪ねて行きましょう
 
バスが停まっている駐車場は歴史資料館や民族資料館などとともに昔の下の屋敷跡
城主や上級官僚たちが徳川の世になって山頂の本丸での生活よりこちらが住みやすかった為に
皆、ここに下ってきて不便な山頂には下級武士たちが住まいしたそうです
 
明治になって版籍を返上したため現存する建物はなく
20年ほど前まで小学校正門として残っていた建物が駐車場脇に移築されて残されていました
 
イメージ 1

 
 
それでは女城主に会えるか霧ケ城へと参りましょう
 
イメージ 2
 
 
お城への案内は町役場の観光課の方のようです
ピンチヒッターの」ようです
 
実践女子学校の創始者・下田歌子氏の生誕の地や勉学所もありました
 
 
どうして城内への道はカクカクと登って行くのか
 
うっそうとした雑木林の石畳を右に左にと折れながら登城坂を高度を上げて行きます
右に狸の道、今は通行止めです
 
表(左)から登って右の所へ降りて来れたら頑強な石垣の山城の裏側が覗けたのに
 
イメージ 13
 
ちょっとした山登り気分
 
イメージ 14
 
すんなりと直線では入城できません
 
イメージ 15
 
 
ようやく山城らしい石垣が見えてきました
 
イメージ 16

 
本丸まであと二百メートル
 
イメージ 17

岩村城の別名、霧ケ城の謂れにもなっているという「霧ケ井」
岩村城内にはあちこちに井戸があり急峻な山城でも水には不自由しなかったようです
水不足になると井戸に蛇骨を投入れ、霧が発生して水は満面にたたえられ枯れることはなかったそうです
蛇骨とは龍の骨だったとか
 
イメージ 18
 
 
石垣の曲線を帯びた美しさにみとれます
 
 
イメージ 19
 
 
本丸の六段の石垣
江戸時代後期に築かれた技法のようです
 
 
イメージ 20
 
礎石には大きな自然石が
 
 
イメージ 3
 
見上げると天空へ突き上げています
 
 
イメージ 4

 
 
                           本丸跡へと行列での参入です
 
 
イメージ 5
 
       長局埋門より城下(城下町とは反対方向)
           晴れていればもう一つ向こうに高く恵那山が見えるはず
 
 
 
 
 
イメージ 6
 
 
 
                     二の丸
 
イメージ 7
 
                  
                  
                        二の丸より駆け下る曲輪
 
 
イメージ 8
 
 
イメージ 9
 
 
イメージ 10
 
 
 
                     出丸跡には 管理棟(蘭丸)
 
                       少し雪が残っていました
 
イメージ 11
 
 
 
                             城下町を一望します
 
 
 
イメージ 12
 
 
 
 
どんよりと曇っていましたが穏やかな空気が流れていました
 
そこはかとない悲劇の物語を知り哀れを感じながらの帰路となりました
 
 
                                                ----完----