2014.07.10 (木)
午前中に赤城山に登って移動してやってきました
今回の旅の最終目的地
この春に念願の世界遺産に登録されたばかりの富岡製糸場
もちろんツアーで予約済みですからスイスイと入場できます
駐車場に着いた時は観光バスが3台出て行くところでした
どうやら団体はワタシ達だけのようです
そりゃ~ごもっとも、台風で大雨予報そして平日 (^^;
市営駐車場から歩いて5分
正面入り口から券売所で整列
行啓記念碑横でボランティアガイドさんが待っています
世界遺産登録されて以来ガイドさんが不足して入場制限のある日もあるようです
以前と違い予約してないと入れないほどの観光客だそうです
ガイドさんの案内で東繭倉庫前から見学ツアーがスタート
こんな敷地を巡ります
富岡製糸場の詳しい歴史やお問い合わせは以下でどうぞ~~(^^;
http://www.tomioka-silk.jp
東繭倉庫から乾燥場へと移動
小さい体で元気いっぱい、そしてとても詳しくガイドなさったシノハラ女子
目の前の乾燥場は今年2月の大雪で倒壊したそうです
明治5年にフランスから迎えた技師さんたちの宿舎やフランス人女工さん達の宿舎跡など
広大な繰糸場には立派な診療所や病室もあったのですね~
それでは繰糸場の中に入りましょう
繰糸場入口外観はこんなです
一歩中に入ると
天井は高く明るいです
明治の頃の女工さんの姿
これは家内工業の手繰装置
こうして日本は世界一の生糸の産地として輸出で外貨を稼いだのですね
実家の母が戦前に大阪の紡績工場で働いていた話を思い出しました
外に出てこの繰糸場の立地条件の良さを知らしめる場所で妙義山を眺めますが
ガスで見えません
こちらは女工さん達の寄宿舎
フランス人技師ブリュナ氏の住まい
全ての建物がフランス人設計の元に日本人大工さんが仕上げた物だとか
まだまだ広大な繰糸場ですが現在公開されているのはこれくらい
日本の近代化を担ってきた場所を巡りいろんな思いに浸ったひと時でした
午前中に赤城山に登って移動してやってきました
今回の旅の最終目的地
この春に念願の世界遺産に登録されたばかりの富岡製糸場
もちろんツアーで予約済みですからスイスイと入場できます
駐車場に着いた時は観光バスが3台出て行くところでした
どうやら団体はワタシ達だけのようです
そりゃ~ごもっとも、台風で大雨予報そして平日 (^^;
市営駐車場から歩いて5分
正面入り口から券売所で整列
行啓記念碑横でボランティアガイドさんが待っています
世界遺産登録されて以来ガイドさんが不足して入場制限のある日もあるようです
以前と違い予約してないと入れないほどの観光客だそうです
ガイドさんの案内で東繭倉庫前から見学ツアーがスタート
こんな敷地を巡ります
富岡製糸場の詳しい歴史やお問い合わせは以下でどうぞ~~(^^;
http://www.tomioka-silk.jp
東繭倉庫から乾燥場へと移動
小さい体で元気いっぱい、そしてとても詳しくガイドなさったシノハラ女子
目の前の乾燥場は今年2月の大雪で倒壊したそうです
明治5年にフランスから迎えた技師さんたちの宿舎やフランス人女工さん達の宿舎跡など
広大な繰糸場には立派な診療所や病室もあったのですね~
それでは繰糸場の中に入りましょう
繰糸場入口外観はこんなです
一歩中に入ると
天井は高く明るいです
明治の頃の女工さんの姿
これは家内工業の手繰装置
こうして日本は世界一の生糸の産地として輸出で外貨を稼いだのですね
実家の母が戦前に大阪の紡績工場で働いていた話を思い出しました
外に出てこの繰糸場の立地条件の良さを知らしめる場所で妙義山を眺めますが
ガスで見えません
こちらは女工さん達の寄宿舎
フランス人技師ブリュナ氏の住まい
全ての建物がフランス人設計の元に日本人大工さんが仕上げた物だとか
まだまだ広大な繰糸場ですが現在公開されているのはこれくらい
日本の近代化を担ってきた場所を巡りいろんな思いに浸ったひと時でした
母たちの青春は戦争の為に費やされて今のワタシ達があるのですよね~
日本の戦後を支えてきたのも事実ですね~
ワタシの実家では蚕は飼ってませんでしたが山の畑の畦には桑の木があってあの紫に熟れた実は食べたことがあります
日本の近代産業の先駆けとして、あの時代を支えて来た製紙工場、あの時代の凄さを感じますね。
昔のこの時代にこれだけの設備を設計して維持する技術が有ったのですね。
あの時代は大なり小なり誰しも製糸業の恩恵に有った時代でもありますよね。
昔戦前戦後の地方の人達の大半は働き先は、奉公に出るかこうした紡績工場に働きに行くかでしたね。
私の母なども昔は京都大山崎にあった今は無き某紡績工場で働いていたらしく、良く昔の紡績工場で働く様子や昔の京都大山崎の写真を見せてくれました。
こうした製紙工場を支えてきたのも日本農業の養蚕農家があったからでしょうね。
昔の郷里の我が家も養蚕農家であったりや葉たばこ農家で有ったりしました。
早朝の桑畑での桑の葉の収穫と、まゆが葉を一斉にさーっと音を立て桑の葉を食べ出す、あの光景は今では見られませんし、あの苦労は大変なものでした。
早速行かれましたか~、気温36℃@@
そりゃ~ガイドさんも倒れますよ!!
屋内もさほど涼しくなかったのでは、暑い思い出になりましたね^^;
7月26日に行きました。
最高気温36度で暑く外での説明に皆耐え有られなくなり普段なら河原の傍まで案内すると言われましたが、行かず屋内に入りました。
富岡製糸場の見学にツアーで行きました、山の帰りに立ち寄ったんですけどね^^;
昔は山間部の集落では桑畑があちこちにあり桑の実を食べていましたよね~
お母様のご実家、つまりお祖母様のお家で蚕の繭から生糸を紡いでおられたのですね
ちょっと懐かしい思い出がよみがえって何よりでした
私の母の実家では沢山の、蚕のまゆを作って糸をとってたのを
思い出します。
蚕を貰ってきて飼ってた時も有り近所の子と桑の実も食べました。
貴重な写真が見られて良かったです。
ナイス!
初めはフランスの技術と機械を導入してそのまま使っていたようですが日本人が改良してこのような大規模なオートメーションが始まったようです
山の畑の桑の実、おやつでしたね~
昔、田舎では蚕をを飼っていました。
今でも桑の木があり、紫色の実をつけています。
おやつのない時代、沢山食べましたね。
その通り~~、何が幸いするかはその時の運ですね(^^;
ゆっくりと説明を聞きながら写真も撮れて楽しめましたよ~^^
台風と平日が重なって、人ごみも無くラッキー
お蔭でゆっくりと見学出来た事でしょ~^^
グンゼにもこんな記念館あるのかな?
お母様、案外お見せしたらお家で糸繰して元気になられるかも~(^^;
今は予約なしではなかなか入場できないようです
山の帰りに並ぶのは辛いですよね
一度は訪ねる価値は十分にありますのでまたほとぼりが冷めた頃に是非どうぞ(^^;
世界遺産になって喜びと共にいろんな問題が浮上するんですよね
訪ねる人がモラルを持って志納金を納めるのがいいかも
ボランティア頼りの入場料だけではとても維持管理は難しいでしょう
世界遺産も山、古道、古刹、文化遺産、etc、生きている間にすべてを訪れるのは無理ですね~(^^;
出かけたついでに立ち寄るのが一番かも
うちも嫁と娘が石見銀山に早々に行ってました
母はグンゼで糸繰りをしていましたので懐かしいと思います
思ったんですが暑い中並ぶのはイヤと止めました、
こういう時ツアーはいいですね。
さすが世界遺産、見ごたえありそうです、
少しほとぼりが冷めたら
行ってみます^^
ナイス
さすが。世界遺産になるだけの価値がありますね。
建物はニュースなどで見てますが、広大なんですねえ。設備もすごい。
世界遺産になったのは有り難いけど、いろんな面で追いつかないと聞きましたが、
ガイドさんの養成や、建物の整備も大変なんでしょうね。
楽しませて頂きました、ありがとうございます。
世界遺産は、高野山と、熊野古道位で、メインの富岡製糸場と富士山もまだですが、
富岡製糸場と富士山は、足腰が、立たなくなるまでには、行きたいと思っております。
本当に、歴史を感じる工場の機械を見ていますと、使っていた人の思い等、色んな事を感じ取ってしまいます。
詳細な写真で紹介をいただきまして、本当に、ありがとうございました。