2012.03.07(水)
富田林観光協会主催の楠公遺蹟めぐりツアー
ランチも済んでバスで移動、着いたのは
金剛バスバス停、甘南備
いかにも歴史の香りがしそうな地名だ
車道を横切って山門に続く坂道を登って行く
出迎えたのは
楠正成(大楠公)夫人久子の方が長子、正行(まさつら)が自刃せんとすところを
強く諭す姿
急な階段を登り山門へと上がる
左手には樹齢を経た大けやき
右手に正成の像
後醍醐天皇を隠岐より兵庫に迎えた時のお姿
山門をくぐり観音寺本堂へ
住職が快く出迎えてくださり
寺の由来を話して下さる
書院へと案内されるが寺は大正時代に再興されただけあって
ソファーが置かれ応接間といった感
時の軍人達の直筆の額が掲げられている
これは「坂の上の雲」でも馴染みになった暗号文か?
こちらは???
そしてこちらは台湾総督???
恩光閣も拝見させていただく
昭和御大典の御用材の御下賜により昭和7年に落成したのだそうだ
皇室の方もお見えになっていたようで
襖には房が着き天井板は屋久杉
1平米あたり?百万円はするという
今では手に入らないので、台風の雨漏りによるシミを表裏洗って磨いてもらったそうだ
床の間の天上も竹組み
脇飾りは人間国宝さんによる竹細工
何故?
この観音寺が軍人に縁があるのだろうか?
どうやらこの楠一族の香華寺に草庵を結んだ
正成夫人久子の方の遺蹟の再興にあるようだ
*お寺のパンフレットより
由緒深き大楠公夫人の遺蹟も楠氏一族の没落と共に廃滅に近いまで荒廃していたが
大正四年以来、岐阜の金山の人、加藤鎮之助氏の献身的努力と全私財を投じての発願により
見事に再興され現在にいたる
この加藤氏と軍人との繋がりからかも?
そしてもう一人繋がりがあったのが
久子夫人の草庵や観音堂を設計された帝室技術員伊藤忠太工学博士
久子夫人はこの地に草庵楠妣庵を結び敗鏡尼と称して
亡き正成公をはじめ一族郎党の菩提を弔いつつ生まれ故郷の甘南備に隠棲し余生をここに過ごされた
とある
本堂より階段を登り草庵と観音堂に御参り
いずれも伊藤博士の設計によるものだそうだ
観音堂には夫人の念持仏たる十一面観世音様を奉祀
境内には皇族の方々のお手植えの楠が大きくなっていた
ひっそりと佇む五輪塔と墓所
六人の男子の母親として強く生きられたのであろう夫人の生き様を思う
富田林観光協会主催の楠公遺蹟めぐりツアー
ランチも済んでバスで移動、着いたのは
金剛バスバス停、甘南備
いかにも歴史の香りがしそうな地名だ
車道を横切って山門に続く坂道を登って行く
出迎えたのは
楠正成(大楠公)夫人久子の方が長子、正行(まさつら)が自刃せんとすところを
強く諭す姿
急な階段を登り山門へと上がる
左手には樹齢を経た大けやき
右手に正成の像
後醍醐天皇を隠岐より兵庫に迎えた時のお姿
山門をくぐり観音寺本堂へ
住職が快く出迎えてくださり
寺の由来を話して下さる
書院へと案内されるが寺は大正時代に再興されただけあって
ソファーが置かれ応接間といった感
時の軍人達の直筆の額が掲げられている
これは「坂の上の雲」でも馴染みになった暗号文か?
こちらは???
そしてこちらは台湾総督???
恩光閣も拝見させていただく
昭和御大典の御用材の御下賜により昭和7年に落成したのだそうだ
皇室の方もお見えになっていたようで
襖には房が着き天井板は屋久杉
1平米あたり?百万円はするという
今では手に入らないので、台風の雨漏りによるシミを表裏洗って磨いてもらったそうだ
床の間の天上も竹組み
脇飾りは人間国宝さんによる竹細工
何故?
この観音寺が軍人に縁があるのだろうか?
どうやらこの楠一族の香華寺に草庵を結んだ
正成夫人久子の方の遺蹟の再興にあるようだ
*お寺のパンフレットより
由緒深き大楠公夫人の遺蹟も楠氏一族の没落と共に廃滅に近いまで荒廃していたが
大正四年以来、岐阜の金山の人、加藤鎮之助氏の献身的努力と全私財を投じての発願により
見事に再興され現在にいたる
この加藤氏と軍人との繋がりからかも?
そしてもう一人繋がりがあったのが
久子夫人の草庵や観音堂を設計された帝室技術員伊藤忠太工学博士
久子夫人はこの地に草庵楠妣庵を結び敗鏡尼と称して
亡き正成公をはじめ一族郎党の菩提を弔いつつ生まれ故郷の甘南備に隠棲し余生をここに過ごされた
とある
本堂より階段を登り草庵と観音堂に御参り
いずれも伊藤博士の設計によるものだそうだ
観音堂には夫人の念持仏たる十一面観世音様を奉祀
境内には皇族の方々のお手植えの楠が大きくなっていた
ひっそりと佇む五輪塔と墓所
六人の男子の母親として強く生きられたのであろう夫人の生き様を思う
行ってみたいです。傑作
JR島本駅前です。
西国街道とともにどうですか~!
また、その菩提を夫人が守る。
日本的な象徴ですよ。
甘南美寺と云うお寺があって、美濃西国観音霊場
にもなっていますが、楠正成(大楠公)夫人久子
の遺跡がありました。甘南備神社もあります。
どんな繋がりあるか、調べてみたいと思っています。
やはり忠義の士楠正成なので、皇族方のくすの木の御手植なんですね。
これから年月を経ると立派な巨木になっていくんでしょう。
それと、天気晴朗なれど波高しって秋山真之の日本海海戦の有名な檄文ですね。この言葉で日本が勝つと当時の人はわかったのですからすごいです。一度行ってみてみたいです。ポチ☆
是非どうぞ~~
そういえば、飯盛山も四条畷も行ったのに桜井の駅跡には未だ訪ねてませんわ(--;
今度行って見ますね~^^
南朝の後醍醐天皇、御村上天皇を擁立護衛したご縁からでしょうね
久子夫人の方の強き生き方に感銘しました
そちら岐阜に楠正成夫人の史跡があり甘南備神社まであるとは@@
岐阜の篤志家、加藤鎮ノ助氏は私財を投げ打ってまで何故この草庵を再興されたのか、昭和の初めの事ゆえ、国家の安泰と繁栄を見越してのことでしょうか
かなり史実がお詳しいですね~
ワタシなんぞ説明受けたその場ですっかりその名語も海軍総司令の名も脳裏から消えました~(^^;
とても閑静なところです、一度ゆっくりお訪ねになってくださいね