へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

平和すぎる今の日本

2009年08月09日 04時25分54秒 | Weblog
毎年の事ではあるが、8月になるとNHKでは盛んに太平洋戦争に関する放送をしているのだが、そんな中で気になる新聞の投書を目にした。
その内容は「NHKの放送が映らないテレビを作れないか」と言うのだが、単刀直入に言うなら「受信料を払いたくない」と言う事なのだが、こんな考えを持つ人は結構いるようで、「今の平和な日本がいかにして構築されたか」など考えた事も無いだろうし、民放が「巧妙な手口で受信料を搾取?している」と言う事など考えも及ばないだろう。
こんな人にとっては、60年以上も昔の戦争の話など「あっしにはかかわりのない事でござんす」と言ったところだろう。
こんな考え方をする人が増えているのだが、これは今の日本が平和だからできる事だろうが、平和すぎるために「平和ボケ」しているのではないだろうか。
広島、長崎に投下された原爆に関しても「投下したアメリカの責任」を追及する声に対するアメリカの「戦争を早期に終結させるため」と言う発言に批判が集中しているのだが、私に言わせれば、原爆投下の是非を問うなら、「早期に戦争を終結させなかった日本軍の責任」も問うべきだと思うのだが・・・・。
相手の非を責めれば、当然の事だが相手はそれを正当化しようとするのは仕方ない事で、更に掘り下げるなら「無謀な戦争を始めた日本の責任」の方が重大だと思うのだが・・・・。
「原爆投下」と言う結果ばかりが表に出て、「その原因となる戦争を始めて人の責任」はウヤムヤになる。
「戦争反対」を叫ぶのであれば、「日本がなぜ戦争を起こしたのか?」と言う部分まで掘り下げて考える必要があると思うのだが・・・・。
ここで戦争と言う物について考えてみたいのだが、多くの人は「自分とは遠く離れた存在」と考えるかもしれないのだが、実は「身の回りに無数に存在する」と言う事に気が付いていない。
「身の回りに無数に存在する?」と思うだろうが、実は「兄弟げんかも広い意味の戦争」だと言う事に気付いて欲しい物である。
「兄弟げんか=戦争」などと言うと違和感があるだろうが、単に規模が違うだけで、所詮は「五十歩百歩」なのである。

コメント (2)
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