へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

塀の外の懲りないやつら

2009年08月25日 03時10分20秒 | Weblog
「塀の中」の書き間違いではなく、正真正銘「塀の外」だと言う事に注意してください。
「塀の中の懲りないやつら」と言う本の存在は知っているのだが、残念ながら読んだ事はない。
題名から大よその内容は理解できるので、ここではその題名をパクッタ「パロディー(皮肉)判」と言った感じで書いてみる。
さて、塀の外と中を分けるものは「塀」だと言うと「バカにするな!」と言うお叱りを頂きそうだが、「塀=法律}だと言う事は以外に意識していない人が多い。
このことを考えれば、塀の中にいる人は「法律を犯した人」である事は間違いないのだが、それでは、塀の外にいる人は「法律を犯していない人」と言い切れるのであろうか。
ここで私が言おうとしているのは「法を犯しながら捕まらず逃げ回っている人」の話でもない。
「贈収賄」と言う事が良く問題になるのだが、これは送る側も受け取る側も「違法行為」として処罰されるのだが、選挙においては「自分のお金を使うと買収になるが、税金を使うと買収にはならない」と言う矛盾したことが起きてくる。
「法律で認められているのだから良いのだ」と言う人もいるだろうが、果たしてそれでよいのであろうか。
「あの人(党)ならこんな事をしてくれるだろう=成果の期待=ワイロの要求」と私は考えており、当選するためには「こんな公約をすれば投票してくれるだろう=ワイロの予告」と言う事にもなると思うのだが。
「そんな事など考えた事もない!」と言う人も多いだろうが、これは法律上で言うところの「未必の故意」と言う事に当たるはずである。
「未必の故意」、「本人が意識していなくても、ある事をすれば必然的に起きるであろうことを見逃す」と言う事を言い、選挙の公約は「誰もその違法性を司法の場に持ち込まない」と言う事で「違法行為とはならない」と考えられているだけで、この事が改まらない限り「金権腐敗政治」はなくならないであろう。
このことを考えれば「金権腐敗の元凶は国民?」と言うことになるのだが、それでは需要と供給、一体どちらが先に起きるのであろうか。
「需要と供給」「需給バランス」などと言うように、殆どの場合需要が先に来る。
極一部には「供給が新たな需要を開拓」と言うことも無いではないが、これとて、根底には「潜在的な需要があった」と言うことにほかならず、「需要の無いところに供給は生まれ無い」と言う事で、「卵が先か鶏が先か?」と同じレベルで論ずる事は出来ないだろう。
このように考えれば、「政治が悪いから・・・・」は誤りで、「国民が悪いから政治が悪くなる」と言い改めるべきだと思うのだが・・・・。
コメント (2)
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