以前にも書いているのだが、最近この言葉が目に付くようになり、再び書いてみる。
都市部と過疎地では選挙における「1票の価値」に違いがあるのは仕方ない事だと私は思っている。
私が住んでいる地域は、都市部ではないが過疎地でもない。
いわば「中間地域」で、両者の言い分の違いがよくわかる。
「両者」と一応は書いたのだが、これは少々語弊があるかもしれない。
それは、都市部の批判的意見は聞いても、地方の意見はほとんど耳にしないからである。
大都市部の人に言わせれば「1票の価値に差があるのは違憲だ」と言うが、それ以外の部分で格差があることには触れようともしない。
それ以外の部分とは、地方と大都市との「生活水準とインフラ」の格差である。
このことは地方の人が言いたいのだが、現実には数の差でかき消されてしまうのだ。
日本の民主主義制度では「数がものを言う」と言う困った制度があり、この場合は私が良く書いている「数の暴力」と同じ状態になっている。
数の暴力。
これは私が最も嫌う言葉だが、現実の社会ではごくあたり前に行われているのだ。
数の力の前には地方都市は全くの無力で、最悪のケースでは、「地方の切捨て」と言うことにもなりかねない。
切捨てにはならないまでも、「都市部に都合の悪いもの(原発など)を押し付ける」と言うことはごく当たり前におこなわれている。
この格差を一体どう説明すればよいのだろうか。
福島原発の事故では東京電力の責任ばかりが追及されているが、それでよいのだろうか。
東京電力は関東地方をエリアにしているのに、何故福島に原発を建設したのだろう。
福島だけではない。
関東地方の電力需要をまかなうために数多くの発電所が関東地方以外に建設されている。
これは財政基盤の弱い地方都市の弱みに付け込んだもので、ここにも都市部の人間の「数の力」が働いている。
このように考えれば、福島原発事故の責任は東電だけになすりつけるのはおかしいだろう。
しかし、都市部の人間たちは数に物を言わせた発言に終始し、自分たちに都合の悪いものは地方に押し付ける事ばかり考えている。
これで「1票の格差」を口にするのだから驚きである。
こんな人間たちが議員を選ぶのだ。
日本社会がダメなのは、政治がダメなのではなく「国民自身がダメ」なのだ。
政治でいくら社会を変えようとしたところで、国民がそっぽを向けばそれでおしまいである。
国民自身が変わらなければ日本社会は変わらない。
特に高齢者が変わることが重要だろう。
既得権益にしがみついているのは我々高齢者なのだから。
少子高齢化社会になり我々の数は大幅に増加し、いまやその数は侮れないものになってはいるが、残念ながらそれは「数の暴力」に成り果てている。
次に、このことは余り書きたくはないのだが、成り行き上書かないわけにもゆかないだろう。
それは、非常に残念な話ではあるが、昨年の手術以来私自身も「健康保険の財政悪化」に手を貸す身に成り果てている。
昔から思っていたことだが、長生きは良い事ばかりではないのである。
しかし、自分で命を絶つ勇気も持ちあわせていない。
この先どうなるのであろう。
都市部と過疎地では選挙における「1票の価値」に違いがあるのは仕方ない事だと私は思っている。
私が住んでいる地域は、都市部ではないが過疎地でもない。
いわば「中間地域」で、両者の言い分の違いがよくわかる。
「両者」と一応は書いたのだが、これは少々語弊があるかもしれない。
それは、都市部の批判的意見は聞いても、地方の意見はほとんど耳にしないからである。
大都市部の人に言わせれば「1票の価値に差があるのは違憲だ」と言うが、それ以外の部分で格差があることには触れようともしない。
それ以外の部分とは、地方と大都市との「生活水準とインフラ」の格差である。
このことは地方の人が言いたいのだが、現実には数の差でかき消されてしまうのだ。
日本の民主主義制度では「数がものを言う」と言う困った制度があり、この場合は私が良く書いている「数の暴力」と同じ状態になっている。
数の暴力。
これは私が最も嫌う言葉だが、現実の社会ではごくあたり前に行われているのだ。
数の力の前には地方都市は全くの無力で、最悪のケースでは、「地方の切捨て」と言うことにもなりかねない。
切捨てにはならないまでも、「都市部に都合の悪いもの(原発など)を押し付ける」と言うことはごく当たり前におこなわれている。
この格差を一体どう説明すればよいのだろうか。
福島原発の事故では東京電力の責任ばかりが追及されているが、それでよいのだろうか。
東京電力は関東地方をエリアにしているのに、何故福島に原発を建設したのだろう。
福島だけではない。
関東地方の電力需要をまかなうために数多くの発電所が関東地方以外に建設されている。
これは財政基盤の弱い地方都市の弱みに付け込んだもので、ここにも都市部の人間の「数の力」が働いている。
このように考えれば、福島原発事故の責任は東電だけになすりつけるのはおかしいだろう。
しかし、都市部の人間たちは数に物を言わせた発言に終始し、自分たちに都合の悪いものは地方に押し付ける事ばかり考えている。
これで「1票の格差」を口にするのだから驚きである。
こんな人間たちが議員を選ぶのだ。
日本社会がダメなのは、政治がダメなのではなく「国民自身がダメ」なのだ。
政治でいくら社会を変えようとしたところで、国民がそっぽを向けばそれでおしまいである。
国民自身が変わらなければ日本社会は変わらない。
特に高齢者が変わることが重要だろう。
既得権益にしがみついているのは我々高齢者なのだから。
少子高齢化社会になり我々の数は大幅に増加し、いまやその数は侮れないものになってはいるが、残念ながらそれは「数の暴力」に成り果てている。
次に、このことは余り書きたくはないのだが、成り行き上書かないわけにもゆかないだろう。
それは、非常に残念な話ではあるが、昨年の手術以来私自身も「健康保険の財政悪化」に手を貸す身に成り果てている。
昔から思っていたことだが、長生きは良い事ばかりではないのである。
しかし、自分で命を絶つ勇気も持ちあわせていない。
この先どうなるのであろう。