へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

一票の格差

2012年02月24日 19時29分02秒 | Weblog
以前にも書いているのだが、最近この言葉が目に付くようになり、再び書いてみる。

都市部と過疎地では選挙における「1票の価値」に違いがあるのは仕方ない事だと私は思っている。

私が住んでいる地域は、都市部ではないが過疎地でもない。

いわば「中間地域」で、両者の言い分の違いがよくわかる。

「両者」と一応は書いたのだが、これは少々語弊があるかもしれない。

それは、都市部の批判的意見は聞いても、地方の意見はほとんど耳にしないからである。

大都市部の人に言わせれば「1票の価値に差があるのは違憲だ」と言うが、それ以外の部分で格差があることには触れようともしない。

それ以外の部分とは、地方と大都市との「生活水準とインフラ」の格差である。

このことは地方の人が言いたいのだが、現実には数の差でかき消されてしまうのだ。

日本の民主主義制度では「数がものを言う」と言う困った制度があり、この場合は私が良く書いている「数の暴力」と同じ状態になっている。

数の暴力。

これは私が最も嫌う言葉だが、現実の社会ではごくあたり前に行われているのだ。

数の力の前には地方都市は全くの無力で、最悪のケースでは、「地方の切捨て」と言うことにもなりかねない。

切捨てにはならないまでも、「都市部に都合の悪いもの(原発など)を押し付ける」と言うことはごく当たり前におこなわれている。

この格差を一体どう説明すればよいのだろうか。

福島原発の事故では東京電力の責任ばかりが追及されているが、それでよいのだろうか。

東京電力は関東地方をエリアにしているのに、何故福島に原発を建設したのだろう。

福島だけではない。

関東地方の電力需要をまかなうために数多くの発電所が関東地方以外に建設されている。

これは財政基盤の弱い地方都市の弱みに付け込んだもので、ここにも都市部の人間の「数の力」が働いている。

このように考えれば、福島原発事故の責任は東電だけになすりつけるのはおかしいだろう。

しかし、都市部の人間たちは数に物を言わせた発言に終始し、自分たちに都合の悪いものは地方に押し付ける事ばかり考えている。

これで「1票の格差」を口にするのだから驚きである。

こんな人間たちが議員を選ぶのだ。

日本社会がダメなのは、政治がダメなのではなく「国民自身がダメ」なのだ。

政治でいくら社会を変えようとしたところで、国民がそっぽを向けばそれでおしまいである。

国民自身が変わらなければ日本社会は変わらない。

特に高齢者が変わることが重要だろう。

既得権益にしがみついているのは我々高齢者なのだから。

少子高齢化社会になり我々の数は大幅に増加し、いまやその数は侮れないものになってはいるが、残念ながらそれは「数の暴力」に成り果てている。

次に、このことは余り書きたくはないのだが、成り行き上書かないわけにもゆかないだろう。

それは、非常に残念な話ではあるが、昨年の手術以来私自身も「健康保険の財政悪化」に手を貸す身に成り果てている。

昔から思っていたことだが、長生きは良い事ばかりではないのである。

しかし、自分で命を絶つ勇気も持ちあわせていない。

この先どうなるのであろう。
コメント (2)
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少々もったいない話だが・・・・

2012年02月24日 00時29分21秒 | Weblog
私が何度も食べる事に苦労していることは書いているのだが、その課程でかなりの食材が無駄になっている。

これなら食べられそうだと思って買って来ても、実際に食べてみると上手く食べられないものも多いのだ。

無理をすれば食べられない事もないのだが、非常に時間がかかってしまい、途中で食べる気にならなくなってしまうのである。

一つの例を挙げると、以前であれば数分で食べられたカップラーメンが「30分以上」もかかるのだ。

これは、一部の菓子パン(薄皮クリームパンなど)やケーキ類にもいえることで、せっかく買って来ても捨てる分のほうが多くなっている。

以前であれば少しくらい賞味期限が過ぎても平気で食べていたが、最近は食べる気にもならないのである。

そこで思い切って割り切ることにした。

無理して食べることは今の私にとって苦痛でしかなく、精神的によくないのである。

食べる事に費やされる時間は1日に6時間に及ぶ事も珍しくなく、食べる楽しみなど何処にもないのだ。

そこで考え出したのが「食べやすい部分だけ食べる」と言うことである。

そう考えると、今まで敬遠していたものも食べられるのだ。

その代表が「シュークリーム」である。

シュークリームの皮は食べるのが困難なのだが、中身のカスタードクリームや生クリームは食べることが出来る。

ロールケーキも同様で、出来るだけクリームが多いものを選ぶようにしている。

ロールケーキの場合はカステラの部分も食べられない事はないのだが、クリームが多ければその分食べやすくなるのだ。


次に、以前書いていた魚だが、マグロとアンコウで試してみた。

マグロは煮ると硬くなり、少々食べにくかったのだが、アンコウを煮るときにハンペンも一緒に煮て、その一部をマグロに混ぜてみた。

こうすれば結構いけるようで、他の魚でも試すつもりでいる。

次にアンコウだが、これも何とか食べられる。

本当は軟骨も一緒にミキサーにかけるつもりだったが、軟骨が上手くとれず、それは断念した。

その次に試す魚は、鮭、アブラカレイ、銀ダラ(メロウ)、カジキ、ブリ、といったところだが、多少とろみをつけるためにハンペンは欠かせないだろう。

魚が好きな私にとっては強い見方になってくれそうだ。


後、今まで書いてこなかったのだが、パン粉、米粉、も結構使える。

だが、最も気に入ているのは「揚げ玉(天かす)」である。

以前はおかゆを中心にしていたのだが、最近はパン粉を使うことが多い。

ただ、パン粉だけだと味が物足りないのだが、揚げ玉を入れるとぐっと味が良くなるから不思議である。

人によって好みが違うのだが、揚げ玉はタヌキうどんや蕎麦に使われているように、結構美味しいものである。
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