かつては「ろうがい」と言うと「労咳」と書いて、結核のことを言ったが、今回は結核のことではない。
ところで「老」という漢字。
日本ではあまり良い意味に使われないが、中国では尊敬の意味もある。
「老師」と言うと、師匠、先生という意味になる。
最近はあまり使われなくなったらしいが、奥さんのことを「老婆(ラオポ)」とも言う。
それで本題の「老害」だが、これは日本の話なので、良い意味は全くない。
で「老害」だが、「高齢者による害」という意味なので、私もその高齢者の一人に含まれる。
さて、これから大きな問題となるであろう「団塊の世代」が、私のあとを追うように高齢化している。
これらの高齢者。
私は戦争中の生まれなので直接戦争のことは知らないが、幼い頃に様々な話を聞かされている。
私より高齢であれば、ある程度ん事実を知っているはずである。
しかし・・・・。
私は日本軍による残虐非道の限りを尽くした犯罪行為を聞いていて、それを否定するつもりは毛頭ないが、多くの高齢者はそれを否定したり隠蔽しようと目論む。
中国や韓国が日本に対して「歴史認識」という言葉を使うのも、これらのことが根底に有るために起きるのである。
前にも書いてあるが、日本は東京大空襲や広島、長崎の原爆被害者である前に、中国大陸はもとより、東南アジア諸国に対して「戦争の加害者」であるのだ。
なので、日本が東京大空襲や広島、長崎の原爆による被害を世界に訴えるのであれば、日本が加害者となった被害も、同じように世界に広く訴える権利があるだろう。
日本には日本なりの意見があるように、ほかの国にもその国なりの意見があるのだから。
「意見には個人差がある」と言うように、日本の発言がそのまま世界に通じるとは思わないことだ。
「日本の常識は世界の非常識」とまで言われているしね。
近々「安倍談話」なるものが作られるらしいが、また新たな火種にならなければ良いが。
安倍談話を作るのは、偏見に満ち溢れた「愛国主義の高齢者ども」なのだろうから。
学校教育でも何も教えない。
ごく当たり前のことではあるが「自分たちに都合が悪い」のだから。
日本に都合の悪い話。
それは相手国にとって「追求するのに都合の良い話」となる。
お互いに歩み寄る姿勢が必要だが・・・・。
日本は子供の国である。
子供には何を言っても無理?。
困ったものである。
ところで「老」という漢字。
日本ではあまり良い意味に使われないが、中国では尊敬の意味もある。
「老師」と言うと、師匠、先生という意味になる。
最近はあまり使われなくなったらしいが、奥さんのことを「老婆(ラオポ)」とも言う。
それで本題の「老害」だが、これは日本の話なので、良い意味は全くない。
で「老害」だが、「高齢者による害」という意味なので、私もその高齢者の一人に含まれる。
さて、これから大きな問題となるであろう「団塊の世代」が、私のあとを追うように高齢化している。
これらの高齢者。
私は戦争中の生まれなので直接戦争のことは知らないが、幼い頃に様々な話を聞かされている。
私より高齢であれば、ある程度ん事実を知っているはずである。
しかし・・・・。
私は日本軍による残虐非道の限りを尽くした犯罪行為を聞いていて、それを否定するつもりは毛頭ないが、多くの高齢者はそれを否定したり隠蔽しようと目論む。
中国や韓国が日本に対して「歴史認識」という言葉を使うのも、これらのことが根底に有るために起きるのである。
前にも書いてあるが、日本は東京大空襲や広島、長崎の原爆被害者である前に、中国大陸はもとより、東南アジア諸国に対して「戦争の加害者」であるのだ。
なので、日本が東京大空襲や広島、長崎の原爆による被害を世界に訴えるのであれば、日本が加害者となった被害も、同じように世界に広く訴える権利があるだろう。
日本には日本なりの意見があるように、ほかの国にもその国なりの意見があるのだから。
「意見には個人差がある」と言うように、日本の発言がそのまま世界に通じるとは思わないことだ。
「日本の常識は世界の非常識」とまで言われているしね。
近々「安倍談話」なるものが作られるらしいが、また新たな火種にならなければ良いが。
安倍談話を作るのは、偏見に満ち溢れた「愛国主義の高齢者ども」なのだろうから。
学校教育でも何も教えない。
ごく当たり前のことではあるが「自分たちに都合が悪い」のだから。
日本に都合の悪い話。
それは相手国にとって「追求するのに都合の良い話」となる。
お互いに歩み寄る姿勢が必要だが・・・・。
日本は子供の国である。
子供には何を言っても無理?。
困ったものである。