私だって戦争は嫌であるが、日本の繁栄は、ある意味で「戦争のおかげ」だと言うことを忘れないで欲しいものである。
「何を言うか!」と思う人も多いだろうが、これは紛れもない事実である。
で、その戦争だが、それは・・・・。
1950年6月25日に勃発した「朝鮮戦争」である。
1950年は「昭和25年」である。
私は小学2年だったので余り記憶がないが、まだ敗戦からの復興もままならない時期で、日本全体が疲弊していた。
そんな時に突然起きた朝鮮戦争。
この戦争に日本は直接参加はしていないが、間接的には大きな役割を与えられていた。
その役割は、いま問題になっている「安保関連法制」の中の「後方支援」のようなもの。
そう、韓国を守ろうと直接戦争をしていたのは米軍だが、アメリカ本土から全ての軍需物資を運ぶのは困難なため、その多くを日本で調達しようとしたのである。
これによって、疲弊していた日本の産業界には、「戦争特需」と言う恩恵にあずかれたのである。
「特需」
「特別(予想外)な需要」のことで、もしこのとき朝鮮戦争が勃発していなければ・・・・。
当然のことではあるが、「戦争特需」もなかったのである。
そう、戦争により疲弊していた当時の日本産業にとっては「神風」と言ってもよいもので、それをきっかけにして「高度成長」が始まったのである。
日本は直接戦争に加わってはいないが、米ソが朝鮮半島で争うことによって「漁夫の利」を得ていたのである。
これは今でも同じである。
今現在も各地で、テロ、民族紛争、地域紛争が活発だが、もしこれらの問題がなくなったとしたら・・・・。
「テロや紛争は戦争とは違う」と言う人がいるのだが、外見が違うだけで、中身は同じ。
で、これらの問題がなくなると・・・・。
「軍需産業」は必要なくなるが、そうなると・・・・。
「軍需産業」と「非軍需産業」との違いはなんであろうか?。
「非」が付くか付かないかの違いで、中身に大差はないのである。
「まさか?」と思う人も多いだろうが、例えば・・・・。
何処の家にでもあるであろう、調理に使う「包丁」を考えてみて欲しい。
台所で調理に使っている分には「便利で重宝な道具」なのだが・・・・。
使う人の心が腐っていると「殺人の道具」に変身してしまう。
これは今話題の「高校野球」で使われている「金属バット」でも同じことが言えるのだ。
だいぶ前の話ではあるが、子供が父親を金属バットで殴り殺す事件が多発したこともある。
そもそも、「ミサイル」と言う言葉だってそうである。
本来は「投げ上げたり打ち上げたりするのに適した形のもの」と言う意味で、ゴルフのボールも、野球のボールも、立派?なミサイルなのである。
何時ものように話が少し横道にそれたが、軍需産業が衰退すれば・・・・。
産業界全体に大きな影響(不況)を及ぼすのである。
その結果として・・・・。
我々の生活の質も低下せざるを得ない。
果たして、反戦だ!、戦争は嫌だ、と言っている連中が、こんなことまで考えて言っているのであろうか?。
はっきり言って、私以外には殆どどいないのでは?。
私が自ら「へそ曲がり」と称しているのは、このことも含んでいるのです。
書きたいことはまだ山ほどあるのだが・・・・。
元々作文が苦手な私である。
頭の中には沢山のことが渦巻いていても、それを上手くまとめられないのです。
久しぶりに長い文章を書いたので、かなり疲れました。
作家の大変さが良くわかります。
「何を言うか!」と思う人も多いだろうが、これは紛れもない事実である。
で、その戦争だが、それは・・・・。
1950年6月25日に勃発した「朝鮮戦争」である。
1950年は「昭和25年」である。
私は小学2年だったので余り記憶がないが、まだ敗戦からの復興もままならない時期で、日本全体が疲弊していた。
そんな時に突然起きた朝鮮戦争。
この戦争に日本は直接参加はしていないが、間接的には大きな役割を与えられていた。
その役割は、いま問題になっている「安保関連法制」の中の「後方支援」のようなもの。
そう、韓国を守ろうと直接戦争をしていたのは米軍だが、アメリカ本土から全ての軍需物資を運ぶのは困難なため、その多くを日本で調達しようとしたのである。
これによって、疲弊していた日本の産業界には、「戦争特需」と言う恩恵にあずかれたのである。
「特需」
「特別(予想外)な需要」のことで、もしこのとき朝鮮戦争が勃発していなければ・・・・。
当然のことではあるが、「戦争特需」もなかったのである。
そう、戦争により疲弊していた当時の日本産業にとっては「神風」と言ってもよいもので、それをきっかけにして「高度成長」が始まったのである。
日本は直接戦争に加わってはいないが、米ソが朝鮮半島で争うことによって「漁夫の利」を得ていたのである。
これは今でも同じである。
今現在も各地で、テロ、民族紛争、地域紛争が活発だが、もしこれらの問題がなくなったとしたら・・・・。
「テロや紛争は戦争とは違う」と言う人がいるのだが、外見が違うだけで、中身は同じ。
で、これらの問題がなくなると・・・・。
「軍需産業」は必要なくなるが、そうなると・・・・。
「軍需産業」と「非軍需産業」との違いはなんであろうか?。
「非」が付くか付かないかの違いで、中身に大差はないのである。
「まさか?」と思う人も多いだろうが、例えば・・・・。
何処の家にでもあるであろう、調理に使う「包丁」を考えてみて欲しい。
台所で調理に使っている分には「便利で重宝な道具」なのだが・・・・。
使う人の心が腐っていると「殺人の道具」に変身してしまう。
これは今話題の「高校野球」で使われている「金属バット」でも同じことが言えるのだ。
だいぶ前の話ではあるが、子供が父親を金属バットで殴り殺す事件が多発したこともある。
そもそも、「ミサイル」と言う言葉だってそうである。
本来は「投げ上げたり打ち上げたりするのに適した形のもの」と言う意味で、ゴルフのボールも、野球のボールも、立派?なミサイルなのである。
何時ものように話が少し横道にそれたが、軍需産業が衰退すれば・・・・。
産業界全体に大きな影響(不況)を及ぼすのである。
その結果として・・・・。
我々の生活の質も低下せざるを得ない。
果たして、反戦だ!、戦争は嫌だ、と言っている連中が、こんなことまで考えて言っているのであろうか?。
はっきり言って、私以外には殆どどいないのでは?。
私が自ら「へそ曲がり」と称しているのは、このことも含んでいるのです。
書きたいことはまだ山ほどあるのだが・・・・。
元々作文が苦手な私である。
頭の中には沢山のことが渦巻いていても、それを上手くまとめられないのです。
久しぶりに長い文章を書いたので、かなり疲れました。
作家の大変さが良くわかります。