へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「世界一」と言う言葉の魔力に負けた?

2015年10月02日 03時20分58秒 | Weblog
フォルクスワーゲンが、ディーゼルエンジンの排気ガスの規制値をクリアーするために違法な手段を使ったことで大問題になっているが、これは販売台数がトヨタに近づいたことが原因で始めたのではないだろうか。

その結果「販売台数世界一」と言う称号は手に入れたものの、それが一気に暗転したのだろう。


これは、スポーツの世界でしばしば問題になる「ドーピング」と同じではないだろうか。

ドーピングによって追放された選手も多いが、フォルクスワーゲンの場合はどうであろうか。

日本では「多数決」で物事を決めるので、「沢山売れるものは良いものである」と言う考えが蔓延しているが、本当にそうなのであろうか。

「ロールスロイス」「ジャガー」「ポルシェ」など、販売台数は少ないのに「名車」と言われるものがヨーロッパには多い。

「ベンツ」だって、トヨタより販売台数は少なくても、その地位に揺るぎは無い。

いい加減で、「数が多いの少ないの」なとと言うのはやめにして欲しいものだが・・・・。

最も、日本人の多くが「寄らば大樹の陰症候群」や「群れたがり症候群」に侵されてイルのだから「無理な相談」ではあるが・・・・。
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多数決の落とし穴

2015年10月02日 02時53分02秒 | Weblog
何かと日本人は「多数決」で物事を決めたがるが、それで良いのであろうか。

私はしばしば「多数決は数の暴力」と書いてきているが、一体何を基準に「多数」を決めるのであろうか。

2人であれば、意見の対立が起きても、多数決で決めることは困難である。

3人であれば「2対1」で決めることも出来るだろうが、これを地球規模で考えるとどうなるであろうか。

中国の人口は世界のおよそ2割を占めていて、最も人口の多い国であるから、多数決で決めるとなると、すべてが中国の思い通りになってしまう。

日本の人口は2%にも満たないので、「少数意見(その他大勢)」と成り、発言力など殆んど認められなくなってしまう。

にもかかわらず、日本人は多数決にこだわっている。

日本国内では、何事も多数決で決めているのに、こと国際問題となると多数決と言う言葉は使わなくなる。

これは「ご都合主義」の典型でもあるのだが・・・・。

だから「日本の常識は世界の非常識」と言われるのだろう。
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