へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「高齢者と若い世代」どちらが大切?     追記します

2015年10月09日 23時25分32秒 | Weblog
優等生の答えであれば「どちらも大切」と言う事になるのだろうが、どちらも大切にするためにはどのようにすればよいのであろうか?。
私自身が高齢者なので、通常であれば「高齢者寄りの意見」を書く事になるのであるが、それでは「へそ曲がりの名が廃る」と言う事になるので、敢えて中立の立場に立って書いて見たい。
極めて「現実的で冷酷な考え方」をすれば、「高齢者がいなくなったとしても若い世代は成り立つが、若い世代がいなってしまえば高齢者は生きてゆけない」と言う決定的な違いが存在する。
人口に占める年齢構成が、「ピラミッド型社会」であれば安定した社会構造を維持できるのだが、高齢者が増えることによって起きる「釣鐘型社会」は非常に危険な状態と言うべきで、近い将来に「逆ピラミッド型社会」に進む危険性をはらんでいる。
医療技術の発達により、「助からない命が助かるようになる」と言う事が高齢化社会を招き、高齢者の増加と高度な医療技術が「健康保険財政を圧迫する」と言う副作用をもたらし、その結果として「後期高齢者医療制度」と言うものが必要になったのである。
それでは、現状の「後期高齢者医療制度」で十分なのかと言えば、「この程度では焼け石に水」と言うより仕方ないのではないだろうか?。
「年寄りは死ねと言うのか!」と言う話があるが、「自分の身は自分で守る」と言うことも少しは考えるべきだと思うのだが・・・・。
若い世代ばかり当てにしていれば、仮の話、若い世代がつぶれてしまえば「年よりもつぶれる」と言う事になり、「元も子もない」と言う事になってしまう。
「年寄りは大変だ」と言う話もあるが、これからの「先行き不透明な時代」を考えれば「若い世代はもっと大変だ」と言う事になるであろう。
私自身、66年人間をやってきて感じることは、今の高齢者は「アリとキリギリス」の、キリギリスと同じに思えてならない。
全ての高齢者がそうではないのだが、多くの高齢者の話を聞いていると「いい大人が甘ったれた事を言うな!」と言いたくなってしまう。
私自身は、「そんな高齢者にはなりたくない」と思ってはいるのだが・・・・。

2008.06.14.



追記します

この記事は7年以上も前に書いたので、今は後期高齢者の仲間入り寸前になっています。

そして「そんな高齢者にはなりたくない」と言う願望も空しく、健康保険財政の悪化に手を貸す身と成り果てています。

なので、若い世代には申し訳ない思いで一杯です。


正直な話し、気楽な稼業は、サラリーマンではなく「能天気な高齢者」の方なのです。

が、議員さんたちにとっては大事な「票田」である。

日本は数が物を言う社会である。

「穀潰し」ではあっても、1票にかわりは無いので、何とも困った問題でもあるのです。
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お母さん、ここのトイレおかしいよ!

2015年10月09日 23時09分10秒 | Weblog
2週間ぶりに車を運転して出かけてきたが、とある園芸センターでの出来事である。

タイトルは、私が用を済ませてトイレから出るのと同じくらいのタイミングで、幼稚園の年長さんか小学1年生くらいの女の子が出てきて、外で待っていた母親に言ったせりふである。

その母親が「どこが?」と聞くと、「便座が暖かくない」と言うのである。

そこのトイレは保温便座ではないので、暖かくないのは当たり前なのだが、その子にはそれが理解できないらしい。

たまたま近くにいた従業員がその話を聞き「申し訳ありません」と謝っていたが、何ともおかしな時代になったものである。


私の幼少期のトイレ(トイレなどとは言わず、便所と言っていたが)は「和式の汲み取り」だから、冬はお尻に冷たい風が当たって寒かったものだがね。

時には「おつり?」が返ってきた事もあったが・・・・。

トイレットペーパーなど無い時代で、古新聞で拭いたものです。


財布やメガネを落として泣いた人も、どれだけいたことか。
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昔話?     1(タイトルを少し変えてみた)

2015年10月09日 03時29分45秒 | Weblog
「昔々あるところに・・・・」と言うと、大昔のことだと思っている人が多いだろうが。お爺さんが山にシバを刈りに行き、お婆さんが川で洗濯をしたのは極最近まであったことです。

そう、昭和30年代くらいまでは全国各地で見られたのです。

便利な電気釜も洗濯機も無い時代である。

銭湯(公衆浴場)全盛の時代で、家に風呂があるうちは極僅か。

我が家にはあったが、木製の風呂桶で、薪を燃やして沸かしました。

木製の風呂桶なので、いくら洗ってもぬめりが取れず、沸き上がるころには独特の臭いがしました。

その家によって多少違ったらしいが、我が家の場合は「アサリの茹で汁」のような臭いがした。

今考えれば「不衛生極まりない」と思うかもしれないが、冬至はそのようなことなど全く考えません。

なので、銭湯のお湯だって余り綺麗ではなかったのです。

小さな子も入るので、お風呂の中でオシッコをすることも結構あったようで、今ではとても想像は出来ないかも。




「井戸端会議」もそのころはまだ残っていたと思うが・・・・。

今でも言葉自体は残っているようだが、肝心の「井戸」は殆んど残っていない。

が、近頃は近所付き合いが希薄になってしまったので、井戸端会議をする機会も無いだろう。

が、会社では「給湯室会議」と言う形で残っているらしいが・・・・。
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