へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

私が二十歳だった頃

2010年01月11日 22時12分31秒 | Weblog
今日は成人式の日であるが、私が二十歳だった頃は「1月15日」と決められていたのだが、その頃の私には「成人式なんてどうでもいいよ!」と言う投げやりな感じで生きていたのであった。
正直な話、その頃の私は生きて行く事に何の希望も持てず、高校1年の秋に学校を辞めて以来、今で言うところの「プータロー」を続けていたのである。
それ故成人式に出る気もなかったのだが、実際にはその前の晩には、その頃の私が置かれていた状態を物語るように「区役所から来た成人式の通知のはがきがゴミ箱に捨てられていた」のである。
そして、この頃私が時折行っていた場所があるのだが、その場所は、東京の環状七号線「丸山陸橋の近く」だったのである。
この「丸山陸橋の近く」であるが、この場所は環状七号線内回りを少し代田橋の方へ進んだところにある西武新宿線の横で、この場所は環状七号線が西武新宿線の下をくぐっているのであるが、要するに、私がいるところは「環状七号線の真上」と言う事なのである。
上から眺めれば、丸山陸橋を越えてきた車はスピードが付いている上に西武新宿線の下をくぐるため更に加速されて行くのである。
ここまで書けば想像が付くと思うが、その時の私は「自殺」と言うことを考えていたのである。
しかしながら「死ぬ勇気?が無かった」と言う事で、死ぬ事もできず今に至っているのであるが、しかし・・・・・、である。
運命とは皮肉な物で、翌年の成人式の日に「運命的な出会い」が訪れ、それがきっかけで私の人生が決まったと言っても良いであろうし、このブログを書いている事も「その人の教えの賜物」と言っても良いだろう。
それは今から46年も前の話だが、そのとき私は長野県の白馬村にスキーに行っていたのだが、たまたま泊まっていた民宿である大学の心理学の教授と出会い、2日間にわたり話をする機会があったのだが、その話の中で教授が「お前は損な性格だが、お前のような人間がいないと世の中が困る、よって、もしお前が損な性格を受け入れられるのであるなら『信念を曲げずに押し通せ!』」と言われたのである。
このとき私は始めて「アーッ!、やっと理解してくれる人が現れた」と言う気持ちで一杯になり、生きてゆく希望がわいてきたのである。
この心理学の教授とは翌年も会えるはずであったが、翌年は教授の都合が悪かったらしく会うことが出来ず、結局はそれ以後会う事も無かったのだが、その時の事は今でも鮮明に覚えているのである。
正に私の生きて行く道を決めてくれた人で、今でもその人に会わなければ「どうなっていたか・・・・」と考え込んでしまう。
『運命的な出会い』、或るようで無いと思うかもしれないが、「運命的な出会い」になるかどうかは「その人の心がけ次第」だと私は思っている。
「良薬は口に苦く、忠言は耳に逆う」と言うように、せっかくの「運命的な出会い」も、本人の考え方一つで「ただの出会いに終わる」と言う事にもなり、気が付かない事も良くある事なのである。
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