かなり前ではあるが「サラリーマンは気楽な稼業」と言う趣旨の文章を書いたことがあるのだが、「有権者」と言うのはそれ以上に気楽な稼業ではないだろうか?。
「サラリーマン」の場合は、「会社の業績」「本人の勤務内容」などによってその資格を失うことがあるのだが、「有権者」と言う資格は二十歳になれば自動的に与えられ、めったなこと(公職選挙法違反など)以外では失う心配もないのである。
突然こんな話を始めるにはそれなりの理由があるのだが、その理由とは、「百年に一度」とも言われている世界的な不況に対する政府(自民・公明)の対応に、「余りにも自分勝手な批判ばかりする有権者(野党も含むのだが)が多すぎる」からである。
私自身は、いつも書いているように「自民党や公明党を支持するつもりは毛頭無い」のであるが、野党を支持するつもりも毛頭無いのである。
さて、「有権者と言う気楽な稼業」であるが、「政権与党の政策に批判をする」と言うことは、けして悪いことだと言うつもりも無いのだが、「批判をするだけ」と言う「無責任な態度」が気に入らないのである。
「批判するだけ」であれば小学生にでも出来ることで、「選挙権を持った大人のすることではない」と思うのだが・・・・。
良識ある大人であれば「批判をする以上、その結果には責任を持つ」と言うことが必要だと思うのだが、現実には「責任を持とう」などと言う人はごく一部ではないだろうか?。
「権利には義務が付くのは当然の話」なのであるが、現実には「選ぶ権利(選挙権)だけを主張して、その結果には責任を負わずに批判だけをする」と言うことでは「余りにも身勝手」と言うしかないであろうし、「健全な政治」も出来ないと思うのだが・・・・。
私自身は殆ど選挙権を行使しいたことは無いのだが(無いわけではないのだが、投票した人は必ず落選する)、だからと言って政治に無関心なわけではなく「選ぶに値する人がいない」と言うのが実情であるが、棄権する以上「政府には最低限(税金を払っている以上当然の権利だと思うのだが)の期待しかせず、自分の身は自分で守る」と言うことを心がけているのだが、政治批判ばかりする多くの有権者は「500円しか払わずに1000円の料理を要求する」と言うのと同じ事だと思うのだが・・・・。
仮の話ではあるが、「500円で1000円の料理を提供する」と言う店も無いわけではないが、あくまでも「一時的」なことで、毎日のように実施していれば、やがては「赤字(借金)で閉店」と言うことになってしまうのだが、今の日本の財政状態は、まさに「赤字で閉店に追い込まれる寸前の店」と同じ事で、経営者(総理大臣)が変わったとしても状況に変化は出ないのだが、一つだけ違うことがある。
違う部分は「経営者と総理大臣の違い」にあるのだが、「豊かな資本を持った経営者」であれば、その資本で店を立て直すことは出来るのだが(赤字が続けばやがては同じ道をたどる事になってしまうのだが・・・・)。
一方の「総理大臣は?」と言うと、仮の話し、「私財がどれほどあったとしても国家予算に比べれば微々たるもの」でしかなく、もとよりそんなことが許されるはずもない(昔は『代議士になると井戸と塀しか残らない』と言われたこともあるのだが)話で、「消費税のアップ」も仕方の無い話である。
麻生総理の支持率が非常に低いのだが、それでは一体誰が総理になれば支持率が上がると思っているのであろうか・・・・。
悲しいかな、誰が総理になろうと「結果は大同小異」でしかなく、「なるようにしかならない」と同時に、「無い袖は振れない」のである。
民主党や多くの有権者などが主張することは「無い袖を無理に振らせようとする」のと同じ事で、袖(財源)を借りてこなければ無理な話で、益々財政状態を悪くする事に気が付くべきなのだが・・・・。
「サラリーマン」の場合は、「会社の業績」「本人の勤務内容」などによってその資格を失うことがあるのだが、「有権者」と言う資格は二十歳になれば自動的に与えられ、めったなこと(公職選挙法違反など)以外では失う心配もないのである。
突然こんな話を始めるにはそれなりの理由があるのだが、その理由とは、「百年に一度」とも言われている世界的な不況に対する政府(自民・公明)の対応に、「余りにも自分勝手な批判ばかりする有権者(野党も含むのだが)が多すぎる」からである。
私自身は、いつも書いているように「自民党や公明党を支持するつもりは毛頭無い」のであるが、野党を支持するつもりも毛頭無いのである。
さて、「有権者と言う気楽な稼業」であるが、「政権与党の政策に批判をする」と言うことは、けして悪いことだと言うつもりも無いのだが、「批判をするだけ」と言う「無責任な態度」が気に入らないのである。
「批判するだけ」であれば小学生にでも出来ることで、「選挙権を持った大人のすることではない」と思うのだが・・・・。
良識ある大人であれば「批判をする以上、その結果には責任を持つ」と言うことが必要だと思うのだが、現実には「責任を持とう」などと言う人はごく一部ではないだろうか?。
「権利には義務が付くのは当然の話」なのであるが、現実には「選ぶ権利(選挙権)だけを主張して、その結果には責任を負わずに批判だけをする」と言うことでは「余りにも身勝手」と言うしかないであろうし、「健全な政治」も出来ないと思うのだが・・・・。
私自身は殆ど選挙権を行使しいたことは無いのだが(無いわけではないのだが、投票した人は必ず落選する)、だからと言って政治に無関心なわけではなく「選ぶに値する人がいない」と言うのが実情であるが、棄権する以上「政府には最低限(税金を払っている以上当然の権利だと思うのだが)の期待しかせず、自分の身は自分で守る」と言うことを心がけているのだが、政治批判ばかりする多くの有権者は「500円しか払わずに1000円の料理を要求する」と言うのと同じ事だと思うのだが・・・・。
仮の話ではあるが、「500円で1000円の料理を提供する」と言う店も無いわけではないが、あくまでも「一時的」なことで、毎日のように実施していれば、やがては「赤字(借金)で閉店」と言うことになってしまうのだが、今の日本の財政状態は、まさに「赤字で閉店に追い込まれる寸前の店」と同じ事で、経営者(総理大臣)が変わったとしても状況に変化は出ないのだが、一つだけ違うことがある。
違う部分は「経営者と総理大臣の違い」にあるのだが、「豊かな資本を持った経営者」であれば、その資本で店を立て直すことは出来るのだが(赤字が続けばやがては同じ道をたどる事になってしまうのだが・・・・)。
一方の「総理大臣は?」と言うと、仮の話し、「私財がどれほどあったとしても国家予算に比べれば微々たるもの」でしかなく、もとよりそんなことが許されるはずもない(昔は『代議士になると井戸と塀しか残らない』と言われたこともあるのだが)話で、「消費税のアップ」も仕方の無い話である。
麻生総理の支持率が非常に低いのだが、それでは一体誰が総理になれば支持率が上がると思っているのであろうか・・・・。
悲しいかな、誰が総理になろうと「結果は大同小異」でしかなく、「なるようにしかならない」と同時に、「無い袖は振れない」のである。
民主党や多くの有権者などが主張することは「無い袖を無理に振らせようとする」のと同じ事で、袖(財源)を借りてこなければ無理な話で、益々財政状態を悪くする事に気が付くべきなのだが・・・・。
定額給付金についてはあなたが言うとおり「表向きは批判するが、内心では欲しい」と言うのが本当の姿でしょう。
麻生総理に対する批判も激しいものがあり、支持率の低下が問題視されてはいるが、その一方で「小沢代表を総理に」と言う割合もたいした数字ではなく、「それでは一体どうすればいいんだ!」と私は言いたい。
結論から言うなら「世の中全体が勝手なことを言い合っている」と言うことだろう。
インフルエンザも、どんなに注意していても罹ってしまうこともあるので困ったものですが、ストレスも体力を弱めて病気に罹りやすくするので注意が必要なのだが、ストレスが溜まるような事ばかりで困ったものです。