へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

金は天下の回り物

2009年08月11日 04時19分13秒 | Weblog
昔からよく言われる言葉だが、大局的に見れば正しいだろうが、個々に見ると「正しい」とは言い難いだろう。
「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」と言う言葉もあるように、やっと回ってきたお金が直ぐに出て行ってしまう場合もある一方で、「お金がお金を呼ぶ」と言ったように、お金の有るところにばかりお金が集まる事も否めないだろう。
しかしながら、私の経験からすると「金持ちはお金の使い方が上手い」と言う事も言えるような気がするのだが・・・・。
更に、「金のあるところには儲け話が舞い込む(お金がお金を呼ぶ)」と言う事も良くある事で、お金が無ければ目の前の儲け話に乗る事も出来ず、「何時までたってもお金が貯まらない」と言う悪循環に陥ってしまう。
これは40年余り前に私が実際に立ち会った話なのだが、ある会社が資金繰りに困り「三千万で売れる商品を千五百万で買って欲しい」と言う話が私の友人に持ち込まれ、私に「どうしても三百万足らないので貸してもらえないか」と言う事になったのだが、そう簡単に用意できるわけが無い。
八方手を尽くして何とか用意出来そうになったのだが、「時すでに遅し」である。
こんな上手い話を嗅ぎ付けたのが「在日朝鮮人」の仲間である。
今はどうか知らないが、当時の彼らは銀行を信用しておらず、「手元に現金で置く」と言う事が多く、仲間内の結びつきも強いので、「儲け話がある」となると、数時間で「億の単位のお金」でも集めることが出来たのである。
結局この話、相手の弱みに付け込み、千三百万の現金を目の前に置いて値切り倒したそうであるが、これも現金が手元にあるからできる事で、銀行に預けてあっては出来ない相談である。
これに似た話はいくらでも身近にあることで、「お金が無いために安い時に買って買い置きをする事が出来ず、いよいよとなってから高い値段で買う」と言う事になり、結局「お金が残らない」と言う事になってしまうのであるが、この程度のレベルであれば工夫次第で解決する事は出来るだろう。
これも45年ほど前にあった私の話であるが、当時の私はテレビを持っていなかったのだが、「白黒14インチ39800円(当時のサラリーマンの月収より高い)」のテレビを買おうと思った。
買うだけのお金は十分に有ったのだがそのお金には手をつけず「一年かけてその分のお金を貯める」と言う方法をとった。
一年後にお金を持って買いに言ったところ、「機種変前の大安売り」と言う事で、ナント「19800円」で買うことが出来たのである。
結局、一年我慢する事で、貯金が減らないどころか「逆に二万増える」と言う事になったのである。
「少しの我慢が余裕を生み、余裕が更に余裕を呼ぶ」と言う好循環が起きればしめたものであるが、多くの人はこの事がなかなか理解出来ないようで、負のスパイラル(悪循環)に陥っているのである。
このように考えてゆくと「お金がお金を呼ぶ」と言うことはあながち間違いではないだろう。
「お金が一番大事」と言う人もいるだろうが、私は「お金も大事だが、それ以上に大事なのは健康」だと思うのだが・・・・。
「何は無くとも楽しい我が家」ではないが、お金が無くとも「心豊かな生活」を送る事は出来るのではないだろうか・・・・。
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平和すぎる今の日本

2009年08月09日 04時25分54秒 | Weblog
毎年の事ではあるが、8月になるとNHKでは盛んに太平洋戦争に関する放送をしているのだが、そんな中で気になる新聞の投書を目にした。
その内容は「NHKの放送が映らないテレビを作れないか」と言うのだが、単刀直入に言うなら「受信料を払いたくない」と言う事なのだが、こんな考えを持つ人は結構いるようで、「今の平和な日本がいかにして構築されたか」など考えた事も無いだろうし、民放が「巧妙な手口で受信料を搾取?している」と言う事など考えも及ばないだろう。
こんな人にとっては、60年以上も昔の戦争の話など「あっしにはかかわりのない事でござんす」と言ったところだろう。
こんな考え方をする人が増えているのだが、これは今の日本が平和だからできる事だろうが、平和すぎるために「平和ボケ」しているのではないだろうか。
広島、長崎に投下された原爆に関しても「投下したアメリカの責任」を追及する声に対するアメリカの「戦争を早期に終結させるため」と言う発言に批判が集中しているのだが、私に言わせれば、原爆投下の是非を問うなら、「早期に戦争を終結させなかった日本軍の責任」も問うべきだと思うのだが・・・・。
相手の非を責めれば、当然の事だが相手はそれを正当化しようとするのは仕方ない事で、更に掘り下げるなら「無謀な戦争を始めた日本の責任」の方が重大だと思うのだが・・・・。
「原爆投下」と言う結果ばかりが表に出て、「その原因となる戦争を始めて人の責任」はウヤムヤになる。
「戦争反対」を叫ぶのであれば、「日本がなぜ戦争を起こしたのか?」と言う部分まで掘り下げて考える必要があると思うのだが・・・・。
ここで戦争と言う物について考えてみたいのだが、多くの人は「自分とは遠く離れた存在」と考えるかもしれないのだが、実は「身の回りに無数に存在する」と言う事に気が付いていない。
「身の回りに無数に存在する?」と思うだろうが、実は「兄弟げんかも広い意味の戦争」だと言う事に気付いて欲しい物である。
「兄弟げんか=戦争」などと言うと違和感があるだろうが、単に規模が違うだけで、所詮は「五十歩百歩」なのである。

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いまどきの若者たち

2009年08月06日 04時12分16秒 | Weblog
昨日は孫たちを連れてボーリングに行って来たのだが、このボーリング場、四階建てのビルの中にあり、カラオケから、ビリヤード、ダーツ、その他様々なゲーム機などがある「複合型遊技場」と言った感じで、「本格的なボーリング場」と言うには少し無理があるようであった。
ボーリングが終わったあと、子供たちがゲームを楽しんでいるときに気が付いたのだが、平日の昼日中ゲームに夢中になっている多くの若者の姿を目にしたのだが、どの顔を見ても「覇気が無く無表情」だったのが気になって仕方が無かった。
ゲームに夢中になること自体は悪い事だとは言いたくないのだが、顔に覇気が無く、全く無表情で画面を見続ける姿は「これでまともな社会生活が出来るのだろうか?」と言う不安に駆られてならない。
ゲーム機が相手では「社会生活で必要なコミニュケーション術」と言う物は得られるはずも無く、対人関係が上手く行かないためにゲームにのめり込むのだろうが、これが更に状況を悪くするため、結局は悪循環に陥り、「社会に溶け込めず問題行動を起こす」と言う事につながるのだろうが、この事が「科学技術の発達による弊害」として問題視される事は殆どない。
これと同じような事は様々な局面で見られるのだが、今争われている「自公政権と民主党を中心にする野党との政権争い」の中でも顕著に現れており、お互いの公約を批判しあうだけで「公約を実現した結果起きる弊害」と言う事には全く触れようとはしない。
それでは何ゆえに触れようとしないのであろうか・・・・。
答えは至って簡単で「相手の弱点=自分の弱点」と言う事で、大同小異の公約を実現した結果起きる弊害を追求する事は「やぶへび」でしかないからである。
その中で唯一、麻生総理だけが頑張っているようには見えるのだが、その内容は「全く問題にならない」と言うレベルなのだが、「孤立無援の状態」ではこの程度しか出来ないのだろう。
地球という限られた環境の中では「飽く無き人間の欲望を際限なく満たす力」は無く、景気回復とか経済発展ということを諦める時が来ていると思うのだが・・・・。
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ある可哀想な男の話

2009年08月03日 02時12分24秒 | Weblog
昼間ある集まりに参加した時の話であるが、雑談になってある人と趣味の話を始め、私がレッドビーシュリンプを飼い始めたことを話すと、即座に「あれは儲からないから止めた方が良い」と言うのである。
私が「金を儲けるつもりで飼ったわけではない」と言うと安心したようで、レッドビーシュリンプで大損をして、家ばかりか奥さんと子供まで失った男の話をしてくれた。
私は知らなかったのだが、数年前はかなりの人気があり、小さなエビ一匹に10万20万(なかには100万と言う事もあったらしいが)という値が付いて取引されていたのだそうである。
一部には大儲けした話も流されていたようで、可哀想な男も「俺も儲けてやろう」とばかり150万を注ぎ込んで始めたのだそうだが、素人が突然始めて上手く行くはずもなく、翌年さらに150万を注ぎ込む破目に陥ったという。
これで少し飼育の方は上手く行くようになり、3年目にはある程度売る事も可能になったのだが、ここで新たな難問が発生したのである。
飼育を始めて3年、エビの数は増えたが「いざ売ろうとしても販売ルートがない」という現実を前に愕然としたらしい。
飼育を始めた当時は「買ってもいいよ」と言っていたペットショップも「今は供給過剰なので、一匹300円でも・・・・」と言われたそうなのである。
仮に一匹300円で売れたとしても、注ぎ込んだ300万(ランニングコストを入れると400万以上?)を回収するには、単純に考えても「1万匹売らなければ」と言う事で、完全に挫折してしまったのだそうである。
奥さんの働きでギリギリつないでいた生活も行き詰まり、「住宅ローンが払えない」ということにもなり、「家も奥さんも子供も失い、借金だけが残る」という悲惨な結末になってしまったのだそうであるが、こんな話はいつの時代でもあることで、金儲けをしようとすれば必ずこのようなリスクが潜んでいる事に気が付くべきだろう。
「君子危うきに近寄らず」ということわざにはこのような意味も含まれていると思うのだが・・・・。
余談ではあるが、私がネットオークションで落札した価格は「一匹150円(送料などの諸経費を含めても250円ほど)」で、同じ程度の物がペットショップでは「一匹700円、十匹で6500円」で売られているのだが・・・・。
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目くそ鼻くそをなじる

2009年08月01日 04時56分53秒 | Weblog
目くそが鼻くそに「俺の方が綺麗だ」と言っていることを指し、「五十歩百歩」と同じ意味であるが、自民党と民主党の政策論争にも当てはまる事で、もはや「政策論争ではなく、泥試合」と言う様相を呈している。
なりふりかまわず政権を奪取しようとしている民主党の政策に対抗しようとあせる自民党。
この政権争いによってもたらされるものを「国(国民)の繁栄」だと信じている人もいるかも知れないが、「上手い話には気を付けろ」と言うように、後になって「こんなはずでは・・・・」と言う事になってしまってからでは手遅れなのだが・・・・。
ここに来て麻生総理が「私は国民に都合の悪い事も言います・・・・」と言う発言をしているのだが、今まで何故この事が言われてこなかったのであろうか。
「良く効く薬ほど副作用も強い」と言うように、「国民にとって都合の良い政策ほど後の負担が大きい」と考えなくてはいけない。
「ハイリスク、ハイリターン」と言われる事が多いが、世界的な経済不況の中で「ハイリターン」ばかりが求められて「ハイリスク」の存在が忘れられている。
「国民に都合の悪い事を言う=言った本人の立場を悪くする」と言う図式により誰も口にしなかったのであろうが、麻生総理にしてみれば「総理の座はもはやこれまで」と覚悟しての発言かもしれないが・・・・。
有り得ない事だが「ひょっとして私のブログを読んだ?」なんてことになると面白いのだが・・・・。
それにしてはかなり「看板倒れ」のように感じてならないのだが・・・・。
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うわさをすれば影

2009年08月01日 03時36分01秒 | Weblog
昨日セミの声が聞こえないと書いたのだが、今日初めてミンミンゼミの鳴き声を聞く事が出来たが、その鳴き方は非常に元気が無く、ヒグラシの鳴き声の方が大きいくらいで、数分で鳴きやんでしまった。
30分くらい後に別の場所でも聞いたのだが、こちらは少し元気に鳴いてはいたのだが、いつもの年に比べると元気がないようであるし、アブラゼミの声は相変わらず聞く事が出来ない。
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