へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

支持率が低下

2009年12月17日 04時25分05秒 | Weblog
アメリカのオバマ政権同様、鳩山政権も右肩下がりで支持率が下がっているのだが、その原因は至って簡単なことで、「下がるべくして下がった」と言う他ないだろう。
オバマ政権にしても鳩山政権にしても、「政権交代」と言う大仕事をするに当たって、「人気取り」を目的にした政策を前面に押し出していたのだから仕方ない話である。
過去にも同じような事を度々書いているのだが、選挙に勝つためには「有権者が喜ぶような政策(撒き餌)」がどうしても必要になるのだが、景気が右肩上がりの時代であればある程度財源に余裕があるため実現も可能であろうが、百年に一度と言われるような不況の中では、財源に余裕がないので「空手形」と言うことになり支持率が下がってしまうのである。
「私についてくれば○○をあげる」と言われてついて行ったとしても、何時になったらもらえるかわからないばかりか、口で言うばかりで「もらえそうにない」と言う事になっては仕方ないだろう。
「埋蔵金や無駄を無くして財源に充てる」などと言う聞こえの良い事を並べ立てていたのだが、いざ取り組んでみると思ったようには行かず、多くの問題が「先送り」と言うことになってしまったが、しかし・・・・、である。
沖縄の嘉手納基地移転の問題にしても、先送りしたとしてどのような解決策があると言うのだろうか?。
「国外移転」は日本の置かれた地理的条件を考えれば実現は殆ど不可能と言ってよく、「県外移転」にしても「受け入れ先がない」と言うのが現実だろうし、無理にでも移転先を決めようとすれば、それ相応の「財政的な補償が必要」と言うことになり、タダでさえ不足している財源では賄いきれなくなるのではないだろうか。
今の鳩山連立政権のドタバタぶりは、「始めから無理とわかっている事」をしようとしていることに原因があるのだから仕方ない話である。
「無理が通れば道理引っ込む」とはこのことを言うのではないだろうか・・・・。
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偽りの省エネ

2009年12月14日 03時34分31秒 | Weblog
時節柄、各地で中止ていたものを再開したものや規模を拡大したものなど、様々なイルミネーションが華やかに点灯されているのだが、これって「省エネに逆行している」と思わないのだろうか。
単純に考えれば「LEDは電力の消費量が少ない」と言う事で「省エネ」と言うことにはなるのだろうが、これはあくまでも「従来の電球をLEDに交換した場合」の話で、廃止していたものを復活させたり、規模を拡大した場合などは「省エネにならない」と言うことが忘れられている。
極端な話ではあるが、電力消費量が「10分の1」になったとしても、数が10倍に増えてしまえば元も子もなくなってしまうのである。
温暖化ガスの排出削減が求められている今日この頃、一般家庭で灯すイルミネーションもバカにならないだろうが、それ以上に「人集めのための豪華なイルミネーション」を考えなくてはいけないだろう。
不景気の影響を受け、各地の繁華街や商業施設が競って人集めのための豪華なイルミネーションを施しているのだが、一般家庭であれば、収入が減少すれば「無駄なものを減らして対応する」と言うことになるのだろうが、これが売り手側になると話が逆になるから困るのである。
更に困った事に「どこかが派手なイルミネーションで人を集めると、必ずと言ってよいほど他所も真似をする」と言う事で、言わば「見栄の張り合い」と言った感じになり、結果的には「温室効果ガスの増大」と言う悪影響しか残らないのである。
鳩山総理が打ち出した「温室効果ガス25%削減」、この目標を達成する事がどれほど難しい事かはこのことを見てもわかるだろう。
世界各国で省エネのための技術開発が進んでいるのだが、皮肉な事に「省エネ技術の発達が温室効果ガスを増加させる」と言うことには考えが及んでいないのである。
「まさか?!」と思うだろうが、一つの代表的な例として「電気自動車」を考えてみると良くわかるだろう。
「電気自動車は温室効果ガスを出さない」とは言うものの、「動かすための電気を作る発電所では温室効果ガスを排出する」と言う問題を抱えており、電気自動車の開発が比較的簡単なために「中国では沢山の電気自動車を作る会社が出来ている」と言う問題がそれに拍車をかけることになるだろう。
???、と思うかもしれないが、「比較的簡単に電気自動車が作れる」と言う事は、「安価でも売れる」と言うことになり、従来の車では価格が高いため買うことが出来なかった人たちでも買えるようになり、結果として「車の台数が増える」と言うことになり、必要な電力量も増加する事になるのである。
これは正に「いたちごっこ」と同じ事で、「新たな技術開発が新たな需要を掘り起こす」と言うことを忘れているからである。
ヨーロッパ諸国が比較的排出削減に成果を上げているのは、「出来るだけ車に乗らない」と言うことに努力している結果で、温室効果ガスの排出削減を真剣に考えるのであれば、「技術開発に頼る」より「出来る限る使わない」と言うことのほうが確実に成果を上げることが出来るだろう。
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驚異的な時代の変化

2009年12月13日 03時55分29秒 | Weblog
昼間近くの家で光電話の引き込み工事をしていたのだが、これを見ていて時代の変化の激しさを改めて実感せざるを得ない。
私が今の家を建てたのはおよそ36年前の事であるが、そのころ都市部では電話の普及も進んでおり、申し込めば直ぐに電話を持つ事も可能だったのだが、私が家を建てた町では直ぐに電話を引く事が出来ず、電話の加入を申し込んでも、電話回線の増設工事が出来るまで2年か3年待たされた記憶があるのだが、僅か30年余りで劇的な変化を遂げたことに驚かざるを得ない。
時期的には「第一次石油ショック」が始まったころで、そのころは「電卓」などと言う便利なものはなく、当然の話、携帯電話もパソコンもなかったのであるが、僅かな期間で変われば変わるものであるが、この「驚異的な時代の変化」と言うものを安易に喜んでよいものであろうか。
地球の温暖化、資源の枯渇、環境破壊、・・・・、と、様々な問題が複合的に発生する根本的な問題の原点に、この「驚異的な時代の変化」と言うものがあるのだが、多くの人間はその事に気が付いていないのである。


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37兆円で102兆円の生活

2009年12月12日 03時45分07秒 | Weblog
麻生内閣時代の予算が102兆円だったのに対して、税収の方は当初の見込みを大きく下回り、「僅か37兆円弱」しか見込まれないのであるが、37兆円の収入で102兆円の支出をどうやってまかなうのか疑問に感じないのだろうか。
桁があまりにも大きすぎるために実感がわかないかもしれないので、一般家庭にも当てはまるように「37万円の収入で102万円の生活をする」として考えてみてはどうだろうか。
単純に考えると、「出て行くお金が102万円で入って来るお金は37万円」と言う事は「65万円の不足」と言うことになってしまうのだが、この65万円と言う不足額を補うには一体どうすればよいのであろうか。
一番手っ取り早い方法に「借金をする」と言う方法があるのだが、借金は必ず返さなくてはいけないので、返済期限までに返済額を用意しなくてはいけないのだが、多くの場合「お金の用意が出来ない」と言うことになり、「借金の返済をするために借金をする」と言う、正に「借金まみれ」と言う状態になってしまうのである。
つまリ、102兆円と言う日本の予算の多くは「期限が来た国債の償還に当てられる」と言うことになり、実際に使える額はそんなに多くはないのであるが、国債の発行額が多くなればなるほど「困った問題」が発生してくる事にも注意が必要なのである。
その困った問題とは、「借金(国債)には利息が付き物」と言う事で、政府が発表した国債の発行残高「およそ600兆円」にも利息を払わなくてはならず、1%の利息(国債発行の為の事務手数料などの経費を含めればもっと多いだろうが)としても「6兆円」と言う巨額なお金が必要になり、これが更に財政を圧迫してしまうのである。
バブル崩壊以前であれば国債の発行額も現在より少なく、税収の伸びである程度はカバーできたかもしれないが、バブル崩壊後は税収が落ち込んでしまい「借金が借金を呼ぶ」と言う体質に変わってしまい、このまま行けば「日本と言う国家が夕張市のようになる」と言うことを覚悟しなくてはいけないだろう。
「まさか?」と思う人もいるだろうが、麻生元総理が財政再建にこだわったのも、鳩山内閣が「国債発行額を44兆円以内に」と言うのも、根底にこの問題があることを十分に理解しているからであろうが、その一方で、国民新党の亀井静香が「予算は102兆円以上でなければ」などと言う戯言を言っているのは「借金を返すのは俺じゃないから、俺の知ったことじゃないよ!」と言ったところなのだろう。
現実の話、73歳になっていることを考えれば、この問題が重大化する頃には政界を引退していて「俺がそんなことを言ったの?」などと言うことにもなっているかもしれないのである。
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長生きする薬

2009年12月11日 04時38分13秒 | Weblog
朝日新聞の記事の中に、長生きする薬が出来た場合の効果がいろいろ書いてあったのだが、読んでいて「何を馬鹿なことを言っているのだ!」と言いたくなってしまった。
昔から人間は「不老長寿」「不老不死」と言うことを望んでいる事は周知の事実ではあるが、「長生き出来る薬」などが出来たらどのようなことになるのか想像出来ないのだろうか・・・・。
今現在でさえ「高齢化」が問題になっていると言うのに、これ以上年寄りが増えたらどんなことになるのであろうか。
一歩譲ったとして、単に長生きするのではなく「若い時代が長く続く」としたとしても、増え続ける人口によって「食料・資源などの不足」と言う問題が立ちはだかり、それを避けるためには中国が実施している「一人っ子政策」などの人口抑制策が必要になってしまうし、この事はあまり書きたくはないのだが「医療技術の発達」も同じような問題を引き起こす事に注意しなくてはいけないだろう。
このように問題を深く掘り下げると様々な問題が発生してくるのだが、このことに言及するような報道は極めて稀で、報道の殆どが民主党のマニュフェストと同様「良い事ばかり書き並べて問題点に触れない」のである。


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無責任な男

2009年12月10日 04時10分02秒 | Weblog
「自民党をぶっ壊す」と言って本当に壊した男がいるが、今度は日本を壊そうとする男が現れた。
この「日本を壊そうとしている男」だが、本人に言わせれば「国民の生活を少しでも豊かにしようとしている」と思っているのだろうが、今の日本の財政事情を考えれば「とんでもない話」である。
「前の政権の予算が102兆円だったのだから、それ以上でなければ・・・・」などとうそぶき、鳩山政権の弱みに付け込んで予算の増額を迫っているのだが、予想以上の税収の落ち込みで「税収より国債の発行額の方が多い」と言う逆転現象が起きている状態では、「国債の更なる増発」が必要になってしまうが、この事が将来にどんな影響を与えるのか考えているのだろうか。
今まで何度も書いているのだが、「国債の発行は国が借金をするのと同じ」で、そのツケは「次の世代に先送りされる」と言うことになり、次の世代はその国債の償還に苦しまなくてはならなくなるのであるが、多くの有権者はこのことに気が付いていないのである。
何故気がつかないかと言うと、一般家庭では使う事のない「予算」「国債」と言う言葉が使われているからではないだろうか。
本来の健全な財政状態であれば、国の予算は「予想される税収の範囲内で立てる」と言う事が基本なのだが、景気が悪くなれば必然的に税収も減少するので、予算も縮小させなければいけないのだが、そんな事をすれば「有権者の支持を失う」と言う、議員にとって致命的な問題が発生するために、「国債(借金)の発行」と言う誤った手段を用いてしまうのである。
これを一般家庭に当てはめてみると、「税収=給料」「国債の発行=借金をする」と言う事で、賢い人であれば「借金をしないで生活を切り詰める」と言う道を選ぶであろうが、安易に借金をして乗り越えようとすれば、後で返済に苦しむ事は明白で、その先に待ち受けるものは「借金地獄→自己破産」なのである。
さて、国民新党の党首である亀井静香が何故に予算の増額を迫るのかだが、「国民のため」と言うのはあくまでも「建前論」であって、真の目的は「党利党略」で、美味しい餌を撒いて支持者を集め「勢力を拡大する」と言う以外にないであろうが、非常に残念な事ではあるが「政治なんてこの程度のもの」でしかないのであるが、このようなことが起きるのは「美味しい餌に群がる有権者が大勢いる」と言うことを忘れてはいけない。
「政治が悪いから国が悪くなる」のではなく、「有権者が私利私欲に走るから政治が悪くなり、国も悪くなる」のである。
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種の多様性

2009年12月09日 03時12分06秒 | Weblog
最近良く耳にする言葉に「種の多様性」と言うものがあるが、これは種に限った事ではなく、物の考え方や食生活、生活様式など、様々な事にも当てはまる事なのだが、「大量生産大量消費」「合理性の追求」「際限のない経済成長を求める心」などによって失われようとしている。
特に日本ではその傾向が強く、「群れたがリ症候群」と言いたくなるほど考え方の多様性を嫌うため、私のようなへそ曲がりな人間は「異端児」と言うレッテルを張られやすく、余程意思(意地?)が強くなくては生きてゆく事が難しいのである。
よく「日本は民主主義国家だ!」と言われているのだが、私に言わせれば「単にアメリカの民主主義の猿真似」に過ぎず、民主党政権になってよりその傾向が強くなってしまったように思うのだが。
その典型的なものが「事業仕分け」で、「始めに廃止ありき」と言う事もあり、担当した議員たちの態度は正に「権力をかさに着るかさ役人」同様の傲慢な態度で、「これが民主主義国家のすること?」と言いたくなってしまう。
民主党の言うところの「無駄を無くす」と言う事自体には反対するつもりなど毛頭ないのだが,現代社会の発展は「無駄によって成り立っている」と言う事を理解する必要があるだろう。
私が考える無駄と、民主党が考える無駄には大きな隔たりがあるようだが、これも考えようによっては「考え方の多様性」と言う事にもなるのだが、事業仕分けの時のような「問答無用」と言う態度では「多様性以前の問題」と言わざるを得ないだろう。
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獅子身中の虫

2009年12月08日 03時47分36秒 | Weblog
社民党・国民新党と連立して政策を実行しようとしている鳩山政権にとって、社民党と国民新党の存在は「獅子身中の虫」と言ってよいだろう。
衆議院では300議席を超える圧倒的多数を誇り「社民党も国民新党も必要ない」はずの民主党ではあるが、参議院では両党の議席がなければ過半数にならないために、言わば「仕方ナシ」に連立を組んでいるのだが、社民党にしても国民新党にしても「相手の弱みに付け込む」と言う形で自分たちの主張を推し通そうとしているのだが、来年の参議院選挙で民主党が議席を増やし「単独で過半数を超える」と言う事にでもなれば、「トカゲのしっぽ切り」と同じような事になってしまうだろう。
「が!しかし」である。
これはあくまでも「8月の衆議院選挙の時の勢いを持続できたら」と言う事が前提条件で、現在のようなドタバタを続けているようでは実現は困難になるだろうが、考えようによっては民主党に有利な条件もないではないのである。
その「有利な条件」とは、「対立する自民党にも元気がない」と言う事で、民主党の思惑通りに行くかどうかは微妙ではないだろうか。
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詐欺は、騙す方も悪いが、騙される方も悪い

2009年12月05日 03時34分35秒 | Weblog
「上手い話には気をつけろ」とよく言われるように、上手い話など早々あるわけがないのであるが、欲に目がくらんだ人は簡単に騙されてしまうようで、私に言わせれば、今回の民主党政権誕生は「その典型的な例」と言っても過言ではないだろう。
前の記事にも書いているように、家計が給与と言う収入の中でやり繰りしなければ、遅かれ早かれ「借金地獄」に陥るのは仕方のないことで、国の事業にしても、税収の範囲以内でやり繰りしなくては「国債の増発→借金大国→財政破綻・・・・」と言う事になるのは仕方ないであろう。
さて、タイトルの「詐欺は、騙す方も悪いが、騙される方も悪い」であるが、ここで民主党のマニュフェストを詐欺だと言うと問題が発生しかねないので敢えて言わないが、かなり早い段階から財源に問題があることが指摘されていた事と、世界的不況の中で「税収の落ち込み」と言う問題も取りざたされていた事を考えれば「騙される方も悪い」と言わざるを得ないだろうが、そのツケを払うのは「騙された本人ではない」と言うところが重大な問題なのである。
遺産相続であれば、親の作った借金は「相続放棄」と言う手段で免れる事も出来るだろうが、国の借金は相続放棄などという手段は使えず、増え続ける国債などの債務の償還が出来なくなり、「債務不履行」などと言う事にでもなれば「国際的な信用問題」になり大変な事になるのである。
このように厳しい財政事情の中で誕生した民主党を中心とする連立政権には、当然の事ではあるが、早くも亀裂が出来始めており、悪くすると「内部崩壊」と言う事態も有り得る状態になっているのではないだろうか。
しかしながら・・・・、である。
仮の話であるが、「民主党政権が崩壊」と言う事態になったとしても、「その後をどの政党が引き継ぐか」と言う問題も十分に考えておかねばならないのだが、非常に残念なことではあるが、「自分に都合の良い政策(私利私欲)を求める」と言う国民の意識が変わらなければ、自民党を始めてするどの政党が引き継いだとしても「大同小異」でしかないだろう。
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国の予算と家計の違い

2009年12月04日 04時09分37秒 | Weblog
ある人と事業仕分けの話をしている中で、彼は「国の予算と家計は別物だ」と言っているのだが、これは「明らかな間違い」だと私が言っても彼は自分の主張を曲げようとしなかったのだが、彼に限らず「別物」と思っている人は多いのではないだろうか。
金額が余りにも違い過ぎるので「実感がわかない」と言う面はあるだろうが、「国の予算も家計も基本的には同じ」だと言う事を認識する必要があるだろう。
国の場合は「税金(税収)」と言う形でお金が入ってくるのだが、家計の場合は「給与」と言う形でお金が入ってくるだけで、名称は違ってもお金が入ってこなければ何も出来ず、共にそのお金で遣り繰りをしなくてはいけないのであるが、この事が正しく認識されていないために民主党政権が出来上がり、麻生政権が崩壊したのである。
さて、バブル崩壊後の厳しい社会情勢により、サラリーマンの所得も国の税収も伸び悩んでいるのだが、そのような状態の中で家計の遣り繰りは一体どうなっているのであろうか。
多くの家庭では無駄?な出費を抑え、あちらを削りこちらを削りして帳尻を合わせようと頑張っているのだろうが、一部には「サラ金」などからの借金で穴埋めをしている家庭もあるようが、無計画に借金をし続ければその先に待っているものは「借金地獄」以外にはないのであるが、国が発行する「国債」も「一般家庭がサラ金から借りる借金と同じ」だと言う事が理解されていないのである。
そして、この事が理解されていないために「民主党なら何とかしてくれるのでは・・・・」と言う「空しい期待感」を多くの人が抱いてしまったのだが、実際に民主党政権が成立してみると、「厳しい財源問題」と言う暗礁に乗り上げてしまったのであるが、それに追い討ちをかけるように「予想以上の税収の落ち込み」と言う問題も表面化しているのである。
このように考えてゆけば「始めから民主党のマニュフェストは実現不可能」だと言う事は明白な事実で、無理に実現すようとすれば「国債の増発→借金地獄への道をひた走る」と言う以外にないのである。
かつて「経済大国」「技術大国」などと自惚れていた日本も、今では同じ大国でも「借金大国」に成り下がろうとしているのである。
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