へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

あれから4年    8(手術後初めて声を出すまで)

2015年10月15日 22時44分02秒 | 舌癌手術後の経過
手術で半分近くの舌を失い、残った舌には痺れが残っていて、動かすことは全く出来ない。

なので、「筆談」と言うことになるが、これも始めは大変なことであった。

始めは、幼児が使うような、書いたことが直ぐに消せるボードを使ったので、必要最小限の事しか伝わらない。

あとは、医師や看護師の問いかけにこちらが反応をするだけ。

途中からはノートに書いたが、文字で意思を伝えるのは非常にまだるくてイライラしたが、誰かに文句を言うわけにも行かない。

3度目の手術後、何度か声を出しては見るが、言葉にはならない。

舌が半分になり、残った舌にしても、柔軟性は全くなく、自分の意思で動かすことさえ出来ないのです。

3度目の手術後から言語療法士が来るようにはなったが・・・・。

週に一回で、時間は1時間くらい。

言語療法士の所見もかなり悲観的である。

が・・・・。

年末最後の来院のあと、翌年の予約を取り付けるも、その言語療法士はそれ以後やって来なくなる。


が・・・・。

私が術後始めて言葉を発したのが、その言語療法士が最後にやってきた翌日なのです。

たまたま病室に看護師さんがやってきたときのことです。

入口で危なくぶつかりそうになったときに、思わず私の口から「危ない!」と言う言葉が出たのです。

その言葉を聞いた看護師さんは目を丸くして、「○○さんがしゃべった」と、涙を流して喜んでくれました。

私自身もビックリです。

そこで他の言葉も発してみたが、その半分も伝わらないものの、何となく言葉にはなるのです。

その話は直ぐに病棟全体に広がり、他の看護師さんたちも喜んでくれる。


言語療法士からは「当分話しは出来ないと思いますよ」と聞かされていた主治医たちもビックリ仰天です。


正直、言語療法士が来た時間は僅かで、まともにリハビリなどしてもらっていない。


が、ミキサー食とは言え、「口から食事をする」と言うことがリハビリにもなったようなのです。

これは今でも言えることなのです。


そう、ミキサー食を食べるようになってからは、それまでは殆んど動かせなかった残りの舌が、少しずつではあるが、動くようになるのです。



ただ、「動く」とは言っても、その動きは極めて限定的です。

何しろ、術後4年経過した今現在でも、その動きは「正常時の五分の一」にも満たないのだから。


なので、まだ上手くしゃべれない文字が幾つもあります。



が、メールの「予測変換」と同じで、前後の言葉で抜けた部分を推測してもらえるので、大体の意思疎通は出来るようになっています。


が・・・・。

人によっては上手く通じない事もあるのです。

初対面だと難しく、電話でも通じないことがあります。



続く
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風邪薬の影響?     追記

2015年10月15日 21時42分09秒 | 舌癌手術後の経過
何となく風邪を引きそうな予感があり、昨日から風邪薬を飲んでいて、その副作用か、何となくだるくて眠い。

なので、思考能力も低下してしまい、考えが上手くまとまらない。


別に、発熱しているわけでもなく、ただ単に、気管に違和感を感じるだけ。

たまにセキが出たりクシャミをすることはあるが・・・・。

9ヶ月の赤ちゃんを抱いて散歩に行くので、その子からもらったのかも。

赤ちゃんはそれ程でも無いようだが、今日のママは明らかに声がおかしい。

もう何年も(10年近く?)風邪を引いていないが、今年は気をつけないといけない。


風邪の予防には、手洗いとうがいがよいのだが、私の場合は、手術の後遺症の関係で、毎日10回くらいはうがいをしている。

退院直後は20回以上もしていたが、その後は少しずつ減ってきていて、今は10回くらいに。



追記

ご心配をおかけしたようだが、どうやら風邪ではなかったようです。

空気が乾燥したことで気管に異常が出たのか、今は何ともありません。
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あれから4年    7(病院食)

2015年10月14日 20時36分15秒 | 舌癌手術後の経過
病院食には何種類かあり、患者の状況によって選べます。

で、私の場合は、「ミキサー食」です。

これ以外には「三分」「五分」「七分」「普通」があります。

「ミキサー食」は、名前のごとく、食材は全てミキサーにかけたもので、ドロドロの液状です。

要するに、噛んで食べることなどとても出来ないので、スプーンですくって飲み込むのです。

が・・・・。

それでも私には簡単なことではないのです。


始めは、水を飲む練習をしたときと同じで、洗面台の前で立ったまま食べました。


誤嚥になることも多いので、テーブルで食べると、誤嚥で吹き出したとき大変なのです。

更に、飲み込むときに空気も一緒に飲み込むため、直ぐに胃が張ってしまい、休み休みにしか食べられず、一回の食事が「2時間」と言うことも多いのです。


今現在も、自分で作らなくてはならず、それを含めると2時間近くかかります。


食べる時に空気を飲み込むのは今もそうで、一回の食事で、2回は派手なゲップをします。


当然と言ってはおかしいが、おならも多いです。

余り臭くはないが・・・・。



ミキサー食。

正直言って、とても美味しいとはいえない代物です。


が、生きるためには食べなくてはならないので、必至の思いで食べるのです。



そして・・・・。

舌を半分失ったことでしゃべることが困難だったが、食べることがリハビリになったのか、その後少しずつだが、しゃべれるようになるのです。



これは後から聞かされたことだが、週一でやってくる言語療法士は「食べることも話すことも当分は困難なので、胃ろう(胃に穴を開けてそこから栄養を補給すること)にしたほうがよいと思う」と言う話しが出たそうです。

主治医たちはその意見に反対で、あえて私の回復力にかけたのだそうです。




続く
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あれから4年     6

2015年10月13日 21時36分35秒 | 舌癌手術後の経過
次々に起きる難問で、退院の時期が全く決まらない。


が、それらを少しずつ解決しても、最大の難関が2つも残っているのである。


それは、「食べること」と「話すこと」である。

まず始めに取り組むべきは「食べる(食事)」である。

2ヵ月半に渡る、鼻から胃にチューブを入れての「経管栄養補給」の状態では「退院させられない」と言う医師の宣告。


その時点では、まだ水を飲むことすら出来ない状態である。

話をすることは愚か、言葉を発することも出来ない状態である。


が、そうも言ってはいられない心情を医師がくんでくれて、思い切ってチューブを抜いてみることに。

ダメならまたチューブを入れればよいのだから、正に「ダメモト」である。



とりあえずはチューブを入れたままで水を飲んでみるが・・・・。

手術の後遺症で、下唇の左半分が麻痺をしていて、水を口の中に保持すること自体が難しい。

それでも、ほんの僅かではあるが、水を飲むことは出来た。


が・・・・。



手術の後遺症で喉が変形をしているので、ウッカリすると水が気管に入ってしまう。

なので、常に顔は少し下を向く感じでいなくてはならない。

そして・・・・。



口に含んだ水を飲むに当たっては、「さあこれから水を飲むぞ」と言う心の準備も必要なのである。

心の準備なしで水を飲めば、水が気管に入り、必ずむせて大変なことになるのです。

なので、これは洗面台で練習をしました。


数日の練習で何とかなりそうな感じになり、思い切ってチューブを抜いてみることに。


チューブを抜いても大丈夫そうなので、今度は「病院食」へのチャレンジである。


病院食。

これがまた難問である。


最も、病院食とは言っても、普通の病院食ではありません。




続く


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あれから4年    5(新たな問題の発生)

2015年10月13日 20時06分55秒 | 舌癌手術後の経過
2ヶ月で3回の手術をしたが、その結果、右手を下にした横向きの姿勢でしか寝られないようになってしまった。

手術は体の上半身の左側なので、左を下にしては寝られないのです。

上を向いて寝ると、手術の後遺症で、唾液が気管に入ってしまい、これも無理なのです。

なので、常に右手を下にして寝なくてはならず、右の腰骨の辺りは床ずれに近い状態となり、痛くて寝られなくなってしまったのです。

痛み止めの薬(ロキソニン)を処方してもらうが、それも一時的にしか効かないこともしばしばである。

なので、車椅子に座って寝たこともしばしばである。

が、このときはまだか隔離病室だったので、監視カメラでそれを見た看護師さんが「エアーベッド」の手配をしてくれて、その後はかなり楽にはななったが、しばらくは大変でした。



ついでなので書いておくが、このころはまだお風呂に入ることは出来なかったです。

そう、1回目の手術以後以降は、2ヵ月半近くに渡ってお風呂に入れなかったのです。

やっとお風呂に入れたのはその後で、始めは看護師さんが付き添ってくれた。

直ぐに一人で入ってもよいことにはなったが、傷口を濡らしてはいけないので、「半身浴」です。

首までお湯につかれるようになるのは「退院間際」になってからのことです。


手術前は62キロあった体重も、3回目の手術直後は「50キロ」にまで落ちていました。

当然のことだが、足腰の筋力もがた落ちで、しゃがむこともままならないほどにまでなっていたのです。


が・・・・。

がた落ちになった足腰の筋力は、私が持ち合わせていた「基礎体力」の強さのおかげか、医師や看護師さんたちが驚くほどの速さで回復するのです。



なので、退院後1ヶ月あまりでボーリングを再開したのです。

最も、始めはよたよたとした投球しか出来なかったがね。

それでも、何とか5ゲームを投げきる。



続く
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あれから4年     4

2015年10月13日 03時36分48秒 | 舌癌手術後の経過
自然治癒を待つと時間がかかるため、3回目の手術をすることにした。

12月中ごろのことである。

3回目の手術はそれ程難しい手術ではないのだが、それでも全身麻酔で4時間かかった。

が・・・・。

3回目の手術後は、1回目、2回目の手術後とは違い、予定より早い期間に麻酔から覚める。

が・・・・。

3回目は、悪夢を見て覚醒するのである。

それは、言葉では言い表せないほどの悪夢である。

その時そばには手術をした医師と助手など数人がいたが、私がかなり早い期間に覚醒したことで驚く。

そこで私が悪夢を見て覚醒したことを話す(会話は出来ないので、筆談です)と、その医師は「今回の手術では、悪夢を見ることのある麻薬を麻酔に使ったので」と話してくれた。

そして、驚くほど元気な私を見てまた驚くのです。


しかし・・・・。

退院できたのはこの1ヶ月半も後のことで、それまでにはまだまだ乗り越えなければいけない、大きな壁が立ちはだかるのです。


最大の壁は、「食事」です。

その次が「話すこと」。

これらはまた改めて書くが、それ以外にも新たな問題が発生するのです。


その問題は次で書くことに。



続く
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あれから4年     3

2015年10月12日 23時22分13秒 | 舌癌手術後の経過
1回目の手術の3週間後に2度目の手術をすることに。

1回目は8時間だったが、2回目は6時間。

一回目の手術後の2日か3日の記憶が途絶えているが、2回目の手術後も似たようなものだった。

が・・・・。

また新たな問題が発生することに。

2回目の手術後の血液検査で、「耐性菌」が見つかったのです。

が、感染源は不明で、私以外に感染者はなし。

比較的毒性は弱いらしいのだが、念のため急遽隔離病室に。



が、私の場合は普通の人より傷口の回復が早いのだが、それでも遅々として回復が進まない。

化膿している部分が深いだけでなく、数ヶ所もあるのだから、これは当たり前である。

それでも普通の人と比べれば回復はしているが、それでも長期化は避けられないと言う。

が、私としては早く退院したい。

そのためには、3回目の手術が必要になる。


が、先生とすれば、「2ヶ月で3回の手術」になるので、出来れば避けたいとも言うが・・・・。


最終的には、私のに礎体力があることを信じて、3度目の手術をすることに。


基礎体力。

「生命力」「生きる力」と言う言い方も出来ると思うが。

別の言い方をすれば「手術に耐えられる体」とも言えるだろう。



続く
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あれから4年     2

2015年10月12日 20時47分51秒 | 舌癌手術後の経過
手術直後に眠れないことで地獄の苦しみを味わったが、それが何とか治まると、今度は別の問題が。

手術後の2日か3日間の間の記憶が全く無いが、その間にも色々とあったようである。

私の場合、舌の半分近くを摘出するため、その部分に大胸筋を移植したのだが・・・・。

私の記憶が飛んでいる2日間、私はベッドの上でかなり暴れたらしい。

後から聞いた話によると、私の体には何本もの管がつながれていて、それが嫌で取ろうとしたらしいのだが、私はそれを全く覚えていないのです。

その結果、大胸筋の移植は上手く行かず、3週間後に再手術をすることに。

が、再手術までの間も、連日に渡る発熱(38度前後)で苦しむことに。

そう、移植した大胸筋が定着しなかったので、それが体内で腐ってしまい、それが原因で発熱が起きるのです。

なので、2度目の手術までの間のことも、余りよく覚えていません。



続く
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あれから4年     1

2015年10月12日 04時20分38秒 | 舌癌手術後の経過
前に書いたものと重複するが、改めて4年間を振り返ってみた。

正直な話し、手術前はかなり楽観的で、それ程深刻には考えていなかった。

が・・・・。

未来を予測することなど出来るはずもなく、結局は想定外の結果に。

と言うのも、全身麻酔で8時間にも及ぶ手術なので、ある程度大変なことは予想していたが、まさか、手術後に地獄が待っているとは予想だにしなかったのです。

まず始めに、手術が終った後麻酔が覚めた時の記憶が、まったく無いのである。

その期間は、2日か3日?にも及ぶのです。

はっきりと意識が戻ったのは深夜のこと。

そして・・・・。

それが地獄の苦しみの始まりです。

が、手術による傷が痛いわけではありません。

それは、意識が戻るまでの間は眠っていたのと同じだったのか、今度は眠れないのです。

体はベッドに横になったままで、身動きが出来ない。

普段の状態であれば眠れないのはそれほど苦にはならないが、このときは、何故か眠りたくいて仕方が無かったのです。

が・・・・。

必至に眠ろうとしても眠れない。

何とか眠れたと思っても、何故か直ぐ目が覚める。

時計を見ると・・・・。

数分しか経っていない。

そして、また眠ろうとして必至でもがく。

この時の気持ちを理解してもらうのは困難だが、正直な話し、本気で「死にたい」と思うほどの苦しみです。

それが1週間近く続いたであろうか。

結局、ベッドから起き上がれるようにはなっても、それ以上のことは出来ず、徐々に気持ちも落ち着いたのです。

が・・・・。

それで終わりではありません。


続く。
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今日で丸4年

2015年10月12日 03時31分13秒 | 舌癌手術後の経過
4年前の今日、私は8時間にも及ぶ舌癌の摘出手術を受けた。

術後5年経つと再発の危険性が低くなると言うことで、「術後5年」と言う言葉もある。

が、これは初期の癌ほど生存率が高く、発見が遅れるほど低くなる。

私の場合は「中期(ステージ3)」で、リンパ節1ヶ所に転移が見られたと言う。

なので、以前はかなり再発や転移におびえたこともあるが、最近は余り無くなっている。


が・・・・。

年齢的なことを考えると「ガン以外の病気や疾病」のリスクは高くなるのだから、楽観は出来ないのである。


昔であれば助からなかった命。

医療の発達によって救われた命ではあるが、それが健康保険の「財政悪化」に手を貸している。

年金財政の悪化にも・・・・。


今のところは「介護保険」のお世話にだけはなっていないが・・・・。
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