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徳川美術館で企画特別展が行われる。開館80周年で国宝源氏物語絵巻を一挙公開する。12世紀前半に白河院、鳥羽院を中心とした宮廷サロンで製作されたというものである。>現在、尾張徳川家伝来の蓬生(よもぎう)、関屋(せきや)、絵合(えあわせ)、柏木(かしわぎ)一~三、横笛(よこぶえ)、竹河(たけかわ)一・二、橋姫(はしひめ)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)一~三、東屋(あずまや)一・二の9帖15段分の詞書と絵、および絵が失われ詞書のみが残る絵合の1段が名古屋・徳川美術館に、阿波・蜂須賀家に伝来した鈴虫(すずむし)一・二、夕霧(ゆうぎり)、御法(みのり)の3帖4段分の詞書と絵が東京・五島美術館に所蔵されています。これらを合わせた13帖分と、諸家に分蔵される若紫(わかむらさき)・末摘花(すえつむはな)・松風(まつかぜ)・薄雲(うすぐも)・少女(おとめ)・蛍(ほたる)・常夏(とこなつ)・柏木(かしわぎ)の詞書の数行の断簡、および後世の補筆が著しい若紫の絵の断簡(東京国立博物館蔵)を含めた20帖分が、900年近い星霜を経て現在に伝えられています。 . . . 本文を読む
桐壷が光る君の誕生と青春期を描き出すプレリュードの位置づけであることがわかる。
前奏に等しく、それは静かな語り口に秘められた情熱があり、光源氏と言われた由来を知るにふさわしい記述である。
そこに歴史を語るかのように悲劇がある。
中国の詩人に倣って脚色されている。
この桐壷の巻の特異性はそれだけで作品の導入に価値を持っていることがわかる。
そして帚木三帖とまとめられる物語にも三つに分けられる前の文章がある、ように見える。
語りだしと、語り終わりの、口さがなき物言いである。
空蝉、夕顔、と登場人物をそれぞれに、筋立ては青春期の疾風怒濤を品定めの会話によって織りり合わされている。
もとはひとつであったか、それを二つにしたか、三つにしたか、まとまりを持った文章は帖で切りつがれたように、不自然さと自然さを備えている。
これをとらえて、枠組み小説を構想したと文学に解説をする。
枠入り物語は見事に首尾照応して一篇の語り口を作っていた。
これが噂話とその後日談の複線であった。 . . . 本文を読む
花の宴の巻については、南殿の桜の宴と出てはくるが、、それを、須磨、乙女、薄雲の巻にそれぞれ花の宴としているので、そう呼ぶようになった。
巻の終わりになる夢の浮橋の名称も夢は多く見えても、巻名のことばそのものを、物語の中からは見いだせない。
このように巻の名前については、それぞれの趣によってことなる。
また、桐壷について一名をあげたように異名としての名前もある。
この異名を見ていくと、巻の成立にかかわるようでもあり、一方で異名としてだけ伝えられたことのようでもある。
かがやく日の宮はそれだけで、巻が存在していたかどうかという説もあり、名称が作られた経過は、巻につけられた言葉と物語にゆかりがあるだけに興味深い。 . . . 本文を読む
紅葉の賀は、試みの日かくかくしつればもみじのかげや、と物語り中にあるが、次の、花の宴の巻には、紅葉の賀として出てくるのと、さらに藤裏葉で、紅葉の賀れいのふる亊、として語られることから、巻の名称となったとされる。 . . . 本文を読む
文章中の語によるもの
桐壷、関谷、野分、梅が枝、藤の裏葉、匂宮、紅梅、手習
和歌の語によるもの
帚木、空蝉、若紫、葵、花散る里、澪標、薄雲、玉蔓、常夏、行幸、真木柱、横笛、夕霧、幻、御法、橋姫、椎本、宿木、浮船
文章と和歌両方にある語によるもの
夕顔、末摘花、賢木、須磨、明石、蓬生、松風、朝顔、少女、初音、胡蝶、蛍、篝火、藤袴、若菜、柏木、鈴虫、竹河、総角、早蕨、東屋、蜻蛉
巻名をまとまった形で載せるのは十二世紀頃のことになる。
このころまでに定着していたと考えられる。
わかむらさきのように、歌に使われた言葉を
てにつみていつしかも見むむらさきの
根にかよひけるのべの若草
組み合わせた場合もあり、その巻の物語の歌や詞をえらんでいる。
それに対して、もみじのが、と、はなのえん、とはそのつけ方のいずれでもない。
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源氏物語の巻名についてみておこう。
巻き巻きの名は物語成立当初からついていたかどうか、定かではない。
書物が写されて伝えられてくるあいだには、名称が整っていたいたことは確かである。
桐壷、帚木、空蝉、夕顔、若紫、末摘花、と、たどってきて、紅葉の賀、花の宴のところで、おやっと思うことがある。
この二つの巻は名称はほかのと様子が違う。
各巻の名前の由来についてはふつう、三つのつけ方があったと説明される。
ひとつは、物語に出てくる言葉で、その巻に語られているものが名称となった、という。
たとえば、桐壷は局を桐壷といったとあるところから、名前が付けられた。
桐壷には、ほかに、つぼせんざい、輝く日の宮、という名もある。
帚木は光源氏と空蝉の歌のやり取りに、、ははきぎが歌われているところから、巻の名称になった。
同じように、空蝉、夕顔には、それぞれ歌に使われたことばを名称にしている。
この二つ目には、その巻にうたわれた詞による命名である。
しかし、物語に出てくることばに、歌とともにとらえて名称とした巻もあり、これが三つ目となる。
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作り物語を読むためには朝廷または宮廷制度の知識がいる。
平安朝は言うまでもなく、唐代の制度を取り入れて都づくりをしてきた。
そこに漢文学、仮名物語を主に平安朝作品が輩出した。
後宮の制度は日本社会の貴族によって王族に対する独自の展開を遂げたものである。
源氏物語を味わうには歌の韻律を心得ることが大事である。
物語りの系譜は古代の口承文芸に端を発し、伝奇、怪異、そして歌語りと辿れる。
源氏物語の紫のゆかりで影響した伊勢物語は、その主題をすきとみやびに描く物語りであった。
作者が有名な歌人として名をのこした紫式部の文体には韻文のリズムがあった。
源氏物語をとらえて好色と風雅を言う一方で、文章経国の思想的影響を見逃してはならない。
官人の才は学問の能力を挙げて、詩歌をよくすることであった。
漢詩文の伝統は物語にあらわされて、鬼神をも哀れと思わせる詞と歌の力を信じていたのである。
物語りを女子が読むものとしたのは歴史の偶然であった。 . . . 本文を読む
系図に見えるのは表層としてのできごとであり、そこには語られるべき事実が隠されていたのである。
光源氏は桐壷帝の第二皇子であった
第一皇子でなかったことを物語のモチーフとした。
そしてのちの冷泉亭は第十皇子である。
好色の様相を明らかにするには系図は欠かせないだろうが、それはまた、前時代的な和を求める古来の発想になった、と思う。
古典の物語を理解するのには歴史的背景を知る必要がある。
豪族社会から王族社会へと移ったとみられる氏族は系図を作って来た。
古代史のようすは尊卑文脈を見て源平籐橘、菅原の氏族によってたどることができる。
源氏物語系図は物語り中の人物の相関図を官位職名で巻ごとに追って知ることのできる便利な一覧である。 . . . 本文を読む
それ外色好みの思想とはなにか、それは貴族の家系を維持するために許された婚姻制にある。
結婚の歴史を見ると古代から中国の影響によるところが大きく、天智天皇の近江令制定に続き
養老3年、701年の養老律令に定められたのは、男子十五歳女子十三歳で結婚を許可する戸令である。
遷都をして平安朝になり貴族の台頭により藤原氏の専制には、宮廷において我が国独自の制度として、後宮二皇后の時代が出現をした。
后のほかにもう一人の后である、中宮と呼ぶ後宮の正妻が行われたのである。
さらに前後して天皇の内寵を受けて後宮に王族の子が、桓武天皇、嵯峨天皇の代に多く出た歴史事実がある。
そして814年に嵯峨天皇の皇子皇女に源朝臣を賜姓したことがあった。
光源氏を主人公とした物語の人物相関図は . . . 本文を読む