1130 年の瀬の記憶は、記録は数えてみると、そうするまでもなく、年齢の数字となるから、誕生月を一つ一つ数えるようなことをすれば、霜月師走も生まれてこの方80回にならないのである。もっと過ごしてきたようにも思い、不思議なことに、とはならない、当然のことだけれども、その記憶なり記録なり日記なりを見ることによって、まあ365日のそれをざっと28470の数字で振り返れば過去というものがそこにある。これはさすがに多いと思うか、人間脳であると難しい、とは、実はならなくなってきた。わすれてればこそのことで、記憶しているのと比べて、それは生成AIに綴らせるとこの現在になるのだろうか。 . . . 本文を読む