日本への遺言だという。文芸誌の企画である。戦前生まれとあるので、その境はどこにあるかと寄稿者115人を眺めていくと、1945年であるらしい。戦前と戦後が1945年で区切られて1946年はもう戦後であるから、単純な編集である。そう思って確かに戦後生まれといわれ続けてきた思いからすると戦後がわかり良いのは終戦があるからである。その終戦の前に生まれた人がなお存命であるとすると、さかのぼること30年前ぐらいのことか、1936年ごろで100歳の区切りが見えるので、戦前生まれというのは、ほどなく絶命する予備軍で、遺言を書かせてもおかしくはない、それにしては70歳では若すぎるし…と考えていて企画の単純さに意味が見えなくなってしまって、日本への遺言も、やっぱり、おかしなタイトルであると思うほうへと考えが移ってしまった。生存者に遺言を書かせて、それを公開したとて何になろうか。1000字前後ののエッセイ集であるようで、文学的なセンスで言えば、箴言の文集である。というところで、そうかこれは文芸誌であったと、文芸春秋という名前で合点をして、とりあえず115人の20人ほどを読み進めてみた。
編集後記に戦前生まれのお断りがあった。終戦の日までに生まれたことを戦前とするということだ。永六輔さんの追悼再録とあるから、原稿依頼の時期に亡くなられているので、かさなって、遺言としたもののようである。戦争体験、戦後日本の状況を通してのことを次世代に遺言するというわけだから、戦後史をつくったものを、それは政治であり、経済であり、社会のもろもろであるのを、対比させて何ほどかを言い残すのは難しいことだろう。
編集後記に戦前生まれのお断りがあった。終戦の日までに生まれたことを戦前とするということだ。永六輔さんの追悼再録とあるから、原稿依頼の時期に亡くなられているので、かさなって、遺言としたもののようである。戦争体験、戦後日本の状況を通してのことを次世代に遺言するというわけだから、戦後史をつくったものを、それは政治であり、経済であり、社会のもろもろであるのを、対比させて何ほどかを言い残すのは難しいことだろう。