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0129-25 映像資料は情報量が多い。それを見て飽きることなく、時間が過ぎゆく。小説も映画もこれだから、つまりは没頭すると危ないから、適当に切り上げるのだけれど、暇するいまは、久しぶりに目が疲れて時の隔たりに脳が回らない。1984年の夏、それ以降の時々に、上海、西安、大連、北京、天津そして南京、揚州、蘇州のビデオを記録映像として所有するが、媒体がベータマックスなものもあったりでそれをしまい込んでしまってどこへやら、そう、記憶をたどっても上海などはまったくの別世界の様子だったりして、ね、天津でも租界地を訪ねて、まだ残っていて人が住んでいる古い日本つくりの家屋を探して、と、信じられないようなことをしてきている。万里の長城を中国のお上りさんの観光客バスで行ったことがあって、その往復路のすごさは表現できないし、さすがにカメラには撮れなかった、ような、思い出がたくさんあるなぁ。
ながく封印をしてしまった1979年からの10年間、そのあいだの、先にも触れた84年、85年、87年を皮切りに、90年代になってから以降の27年間は毎年のように出かけて講義をしてきている。それを2018年まで続けて、40回近くなるわけだが、親中、媚中、嫌中などメディアの用語もあたらないころの、日中友好条約に必要があって国家間の、草の根でもないが民間友好に努めてきたつもりで、対中国の活動には、10年そしてまた10年、さらに10年とその間にはさまざまなことをしてきた。
国際とか条約とか、個人の働きが陰にあって進むことであるから、その役割を任じてきた。そろそろ記録にもならない記憶は消えかけているから、消して消されて、忘却の彼方、それは知る人のみよく知るというようなことで、それを解くわけではない。
1999年の学会参加、銅川市とは遠くへ出かけたものだ・・・
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