9月9日は重陽の日、菊の宴、菊酒と菊水と、観菊会となると、旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句というが、いまなら違ってきて、また11月の催しがあったから、宮廷行事のいまむかしになる。重陽には長寿と家族の繁栄を祈った登高なる、ピクニックがあった。
しかし、それを思うのは、杜甫の登高の思いに替わる、
> 風ははげしく吹きわたり、天はいよいよ高く、猿の鳴き声が哀しげに聞こえてくる。見おろすと揚子江の渚は清く、砂浜は白く光って見える。その上を鳥が飛び回っている。
果てしない木々はもの寂しい中にざわざわという音をたてて葉を落とし、尽きることがない揚子江の水はさかんに流れている。
はるかに遠くまで旅を続けるもの悲しい秋、一生多病である身をもってひとり高台に登っている。
自分の一生は、艱難の連続で、はなはだうらめしいことに鬢の毛も真っ白くなり、そのうえに老いぼれてせめてもの慰めであった酒も近頃は飲めなくなった。(この淋しさをはらすことすらできない)
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デジタル大辞泉の解説
きく‐の‐えん【菊の宴】
陰暦9月9日、重陽(ちょうよう)の節句の日に宮中で催された観菊の宴。菊の節会(せちえ)。重陽の宴。菊花の宴。菊水の宴
精選版 日本国語大辞典の解説
きく【菊】 の 宴(えん・えに)
陰暦九月九日、重陽の節供の日に宮中で催された観菊の宴。さかずきに菊の花を浮かべて飲む。菊の節会(せちえ)。重陽(ちょうよう)の宴。菊花の宴。菊水の宴。《季・秋》
※躬恒集(924頃)「延喜十八年〈略〉同じとし十月九日更衣たちきくの宴し給ふ」
※大鏡(12C前)二「九月九日〈略〉内裏にて菊宴有りしに」
ウイキペディア
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中国で重陽が正式な節句として認められたのは漢代である。劉歆による『西京雑記』に、高祖の愛妾であった戚夫人が殺害された後、宮廷より放逐された侍女の賈佩蘭が、9月9日は宮廷では茱萸を肘に下げ、菊酒を飲み長寿を祈る習慣があったと人に話したことにより、民間でも祝われるようになったとある。
唐代の重陽は2日あるいは3日間にわたって祝われていた。これは李白の『九月十日即事』からもうかがい知ることができる。
『芸文類聚』巻四
「歳往月来、忽復九月九日。九為陽数而日月並応。俗嘉其名、以為宜於長久、故以享宴高会。……思食秋菊之落英、輔体延年。莫斯之貴。謹奉一束、以助彭祖之術」
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杜甫 登高
風 急 天 高 猿 嘯 哀
渚 清 沙 白 鳥 飛 廻
無 辺 落 木 蕭 蕭 下
不 尽 長 江 滾 滾 来
万 里 悲 秋 常 作 客
百 年 多 病 獨 登 台
艱 難 苦 恨 繁 霜 鬢
潦 倒 新 停 濁 酒 杯
高きに登る 杜甫
風急に天高くして 猿嘯哀し
渚清く沙白くして 鳥飛び廻る
無邊の落木 蕭蕭として下り
不盡の長江 滾滾として來る
萬里悲秋 常に客と作り
百年多病 獨り臺に登る
艱難苦だ恨む 繁霜の鬢
潦倒新たに停む 濁酒の杯
たかきにのぼる<とほ>
かぜきゅうにてんたかくして えんしょうかなし
なぎさきよくすなしろくして とりとびめぐる
むへんのらくぼく しょうしょうとしてくだり
ふじんのちょうこう こんこんとしてきたる
ばんりひしゅう つねにかくとなり
ひゃくねんたびょう ひとりだいにのぼる
かんなんはなはだうらむ はんそうのびん
ろうとうあらたにとどむ だくしゅのはい