盆の年中行事、お盆として、藪入りのことがあった。里下がりは、里帰りでもあるから、商家が奉公人の休息に定着させるまでは、武家にあった使用人の休暇である。そこには盂蘭盆会の教えがあった、盆の起源になぞらえる盂蘭盆経は、先祖をあがめる民族にマッチした。盆そのものを日本独自と見るかどうかは、祖先祭りの風習にある。霊魂をどう扱ったかは、中国の南方にも伝わる儀式の流れがある。連綿とある庶民の感情は、くしくも現代になって、戦争の鎮魂と原爆の慰霊に、この時期が重なった。
>20060810
カテゴリ:思い遥かに
気温が36℃、あるいはそれより高い体感温度で照りつける。
駐車の車内はアッチッチ、やけどしそうだ。
気候は移ろうのは確か、朝夕の雲、空気の動きに、光に陰がある。
何とか生きているようだ。
毎年巡ってくる終戦記念日に、おかしな巡りあわせで、注目をするようになった。
終戦とその語を使っていて、政治家たちは、じつは歴史認識ではなにを認めているのか、敗戦の決着をしてはいない、というおかしなおかしな事態になってきた。
かんがえられないことだけれど、次の総裁候補が歴史は学者の判断に任せれば好いとか言っているのだから、ここでさらに、また敗戦を明らかにしておいたほうがいい。
敗戦はいつか、終戦を敗戦と言いかえて、その敗戦が決まった日は、また後のことになる。
敗北宣言が8月15日、いわば、戦争をやめた日。
降伏したのが9月2日、これもいわば、やめたことを認めた日。
すると、戦争状態は、どう捉えられるか。
>国際法上では、この条約が発効されるまでは「戦争状態」が続いていたとされ(第1条 (a) )、ポツダム宣言の受諾を表明した1945年(昭和20年)8月15日や、降伏文書に署名をした1945年(昭和20年)9月2日以降にも戦争状態は継続していたものとされる。
この条約とは、
>連合国の諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、両者の間で締結された平和条約である。アメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名されたことから、サンフランシスコ条約・サンフランシスコ平和条約・サンフランシスコ講和条約などとも呼ばれ、ほかにも対日平和条約・対日講和条約などとも呼ばれることがある。
のことである。
それはいつ発効したか。
>1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効した。日本国内では、昭和27年4月28日条約第5号として公布されている。
終戦を、敗戦と、言いかえる程度ではすまないことなのである。