現代新日本語百科がカテゴリー内の投稿100にあと2となった。明後日には、達成となる。
きっかけをもらったもとの記事は780回を超えているから、あと200ほどで1000回になるのだろう。大変な回数だと敬意を払いたい。
現代日本語百科は、そのネーミングをもらったのが、現代日本「誤」百科という語呂であった。日本語をいくら強調しても日本誤とするのはあまりにも語呂合わせがよくない。
強調表現というのはそれが普通になってしまうことがあるので、この強調のカギ附号が取れて、この用語が独り歩きし始めると、すでにこのコラムはその状態にあるので、これはよくないことだ。
当初、コーナーの名前を日本語珍百科、としてみたのだけれど、これについても、語呂がよくないなと、あえて表現を飾ることもいらないと、日本語新百科にしたら、となった。
するとページの名前が、現代日本語百科で、これがヒットしたのだ、つまり、現代日本語、日本語百科事典のほかに、現代日本語百科とするものがないということがわかって、これを使うことにした。
それで、ブログのページの継続性に可能性のあるところと、サービスプロバイダーのそのもとの合併吸収によるページの存続が心もとないので、探してgooにしたわけである。名前とSPの選択は順序が前後した説明となったが、gooのページは知らなかったわけではないから。
何を言っているかというと、ブログは無料サービスの時代から、有料にしても、かれこれ7つ8つを数えてページを開設してきたが、思い出すだけでもいくつか名前が出てきて、いまでもその名前だけはあるが、とっかわりひっ変わりするようで、せっかくにと思ってきたことが幾度かあって、名前が変わらないところはやはりこういうことだなと、選んだ次第である。
ホームページをデザインして掲示板をくっつけて日々更新をしていたころからすると、はやりの形式はとても手軽く使うことができる。テンプレートは使い方次第だが、ページを発信するほうからすれば使いよいのがベストに違いはない。ホームページを立ち上げて、浮沈を繰り返してきたのは、個人ページの域を出ないからであるが、思い起こせば1994年のことになる。準備を入れて1993年の年末から、落ち着いたところで、1995年であったかと記憶する。それからすれば、20年、パソコンのHPに付き合ってきたことになる。
きっかけをもらったもとの記事は780回を超えているから、あと200ほどで1000回になるのだろう。大変な回数だと敬意を払いたい。
現代日本語百科は、そのネーミングをもらったのが、現代日本「誤」百科という語呂であった。日本語をいくら強調しても日本誤とするのはあまりにも語呂合わせがよくない。
強調表現というのはそれが普通になってしまうことがあるので、この強調のカギ附号が取れて、この用語が独り歩きし始めると、すでにこのコラムはその状態にあるので、これはよくないことだ。
当初、コーナーの名前を日本語珍百科、としてみたのだけれど、これについても、語呂がよくないなと、あえて表現を飾ることもいらないと、日本語新百科にしたら、となった。
するとページの名前が、現代日本語百科で、これがヒットしたのだ、つまり、現代日本語、日本語百科事典のほかに、現代日本語百科とするものがないということがわかって、これを使うことにした。
それで、ブログのページの継続性に可能性のあるところと、サービスプロバイダーのそのもとの合併吸収によるページの存続が心もとないので、探してgooにしたわけである。名前とSPの選択は順序が前後した説明となったが、gooのページは知らなかったわけではないから。
何を言っているかというと、ブログは無料サービスの時代から、有料にしても、かれこれ7つ8つを数えてページを開設してきたが、思い出すだけでもいくつか名前が出てきて、いまでもその名前だけはあるが、とっかわりひっ変わりするようで、せっかくにと思ってきたことが幾度かあって、名前が変わらないところはやはりこういうことだなと、選んだ次第である。
ホームページをデザインして掲示板をくっつけて日々更新をしていたころからすると、はやりの形式はとても手軽く使うことができる。テンプレートは使い方次第だが、ページを発信するほうからすれば使いよいのがベストに違いはない。ホームページを立ち上げて、浮沈を繰り返してきたのは、個人ページの域を出ないからであるが、思い起こせば1994年のことになる。準備を入れて1993年の年末から、落ち着いたところで、1995年であったかと記憶する。それからすれば、20年、パソコンのHPに付き合ってきたことになる。